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桜の下の珠子と操

空は少し霞んでいるが、空気は暖かくそよ風に桜の花びらが少しずつ舞い始めている。


「気持ちがいいわね」


操は顔を上げて枝を覆いつくす花を見つめている。


「桜の花の下って静かだね。花びらが音を吸収するのかな」


珠子が目を閉じて言った。

先日、珠子は母である鴻のお腹にいるのは男の子だと、そして自分とは違い普通の子であると伝えてから、目に見えて元気がなくなった。そんな孫に操は花見をしようと誘った。

一口サイズの手毬寿司、小さなロールキャベツ、色味の綺麗な煮染め、甘い卵焼き、梅酢で漬けた桜大根、タコさんウインナーが納まった重箱を広げて、操が珠子に勧めた。


「姫、食べよう」


「うん」


返事をしたが珠子は手を伸ばさない。


「温かいお茶をどうぞ」


操はポットのお茶をマグに注いで珠子に渡した。手にしたマグカップにふうっと吹きかけたのは、彼女のため息だったのかも知れない。


「姫」


操はこの後、どのような言葉をかけたらいいのか悩んだ。


「ミサオ」


珠子が操を見つめる。


「ミサオが私ぐらいの時、どんな毎日を過ごしていたの?」


「私の小さな子ども時代ねぇ」


操はしばらくの間、遠い目をして思い出していた。


「私は今からは想像がつかないぐらい人見知りで、誰とも話をしない子どもだったな」


それを聞いて珠子はくすっと笑った。


「確かに想像がつかないね」


「姫、言うわね。でも本当に人と目を合わすのも苦手だったの」



操も生まれた時から他とは違う赤子だった。

誰かが教えたわけでもないのに言葉を話すのが早く、それは操の祖母を除いた家族と親戚が、特に彼女を産んだ母親が驚愕する事態だった。眼力も強く彼女に見つめられると全てが硬直してしまいそうだと言われていた。

そのため、操は育児放棄され彼女と同じ能力を持っていた祖母に育てられた。

祖母は操にたっぷりと愛情を注いでくれた。そして自分たちのことを優しい語り口で話してくれた。


──あのね操、私たちは一代置きに、相手の思いや考えていることが感じられる力を持って生まれるの。いろいろな人のいろいろな感情を受け止めてしまうから辛かったり切なかったり、周りからは驚異の目で見られたりして自分は変人なのではないのかと悩むこともあると思うわ──


その話に不安そうな操の顔を見て祖母は優しく頭を撫でながら続けた。


──でもね私たちの力は、生まれつき走るのが速いとか、暗算が凄く速くて正確とか、凄く絵が上手(うま)いとか、生まれつき手先が器用とか、そういうものと同じだと私は思うの。だから少しも悩むことはないわ。けれど常に相手のことを感じ取っているとその思いに押し潰されそうになってしまうから、ここぞというときだけ感じ取るようにコントロールする必要はあるわね。ま、とにかく、操は自然体ででーんと構えていればいいの。あなたはちょっとした特技を持った普通の子なのよ──


祖母は操の中で一番の人格者で尊敬する最愛の人だった。

自分には祖母さえいれば何とか生きていけると思っていた。しかし操が10歳の時、祖母は病に倒れ一年後に帰らぬ人となった。

心の支えだった最愛の人を失った操は引き籠もった。

母は相変わらず我関せずで操と目を合わせることすらなかった。

そんな引き籠もりの彼女を(まも)ってくれたのは操の父で亡くなった祖母の息子の一ツ谷太朗だった。

操が生まれたばかりのころは太朗もどう接していいのかわからなかったが、一人娘であり、心根の優しい子なので少しずつ親子の距離を縮めていった。

とにかく祖母が言っていた、自然体ででーんと(って何?)構えることにした。

やがて、友だちもできて普通に学生生活を送れるようになった。

操が成人したとき、母が他界した。最後まで彼女とはわかり合えなかった。

ある日、母の遺品を整理していると、一冊のアルバムを見つけた。開くと産着に包まれた操の写真が一枚だけ貼られていた。それ以外のページには毎年、操の誕生日の日付けとおめでとうの言葉が直筆で書き込まれたバースデーカードが貼ってあった。それは二十枚、母が入院する直前まで毎年メッセージ入りのカードを貼っていてくれたのだ。

そんな気配を全く見せなかった母、そしてそれを感じることができなかった操、彼女はアルバムを胸に静かに泣いた。

それから二年後、太朗は再婚し継母は大好きだった祖母に性格が似ていて操との関係は良好だった。

その二人も今から八年前にこの世を去った。



「ミサオ」


「なあに、姫」


「ミサオも私と同じように悩んだのね、子どものころ」


「そうよ。でもね、私のおばあさんが言っていたように、姫と私のこの力は特技みたいなものなの。足が速いとか、リョウ君みたいに絵が上手いとか、記憶力がいいとかと同じなのよ」


「うん」


珠子は微笑んで、やっと重箱に箸を伸ばした。

桜が満開の春である。

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