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ハイツ一ツ谷のホッとな日常  作者: モリサキ日トミ


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操、入居者のトラブルを解決する

日暮満(ひぐらしみつる)、43歳。現在、職業は在宅業務のオペレーターで契約社員だ。親の遺産があるらしく生活にはあまり困っていないという。偏屈ではないが人づき合いは得意ではなく、引っ込み思案ではあるが性格は前向きで胸の内には何か熱いものを持っている。それが何なのかまでは操にも感じ取れなかったが、入居を希望していた日暮との面談で感じた印象は悪くなかったと彼女は記憶している。

そんな彼は、操が大家をしている『ハイツ一ツ谷』の203号室の住人であり、今まさに、彼の部屋の玄関で操と珠子と向かい合っているところだ。


「日暮さん、こんに……ち…は」


操が目を丸くしたまま挨拶をした。


「こんにちは。大家さんと、ええと…お孫さん」


「はい、神波珠子です。こんにちは」


珠子は、目の前に立っている日暮の出で立ちに驚きながらもきちんと挨拶をした。


「お二人揃って、どうされたんですか」


日暮は口元に手を当てるような仕草で聞いてきた。


「ええ、あの…」


操が周りを見ながら


「玄関の中でお話をしてもいいですか。あまり人に聞かれたくない話なので」


と言うと


「はい、どうぞ」


日暮は上がりがまちに立ち、操と珠子は玄関に入ると扉を閉めた。


「日暮さん、あのね、最近205号室の金子さんに頻繁に声をかけてるように見受けられるんですが」


操に言われて、日暮は体をくねっと少しひねり


「ごめんなさい。実は……」


金子咲良に話しかけた理由を告白した。

それを聞いた操は、あきれた態度で


「日暮さん、あなたのやっていることはとても良くないことですよ」


ため息交じりに(たしな)めた。

日暮満は、小説コンテストの公募に応募しようと話を創作しているのだと言った。

四十代の今に至るまで、のほほんと生きてきた独身男の人生経験はとても浅く想像力も乏しいので、物語の登場人物の行動や気持ちを実際に経験したり感じたかったらしい。

そこで手始めに、年頃の娘にウザがられる父親の気持ちを体感したくて、身近にいた高校生の金子咲良に話しかけたのだと言った。


「日暮さん、金子さんはあなたから突然声をかけられたり、待ち伏せのようなことをされて、とても怯えていたんですよ。一つ屋根の下に住んでいても、私たちは他人の集まりです。他人のあなたからそのような行動を取られたら金子さんは警戒する態度を取ります。それは親の干渉をうざったいと思う年頃の娘の態度とは違います。一つ間違えたら犯罪ですよ。ちゃんと彼女に謝ってください」


操に諭されて、日暮は俯き


「申し訳ありません」


素直に謝った。彼が深く反省しているのを感じ取れたので、


「私に頭を下げても意味がないわ。これから、彼女に謝罪しに行きましょう。私も一緒に行くから」


「はい」


日暮は返事をしてピンヒールのサンダルをつっかけて操の後に立つと、三人で205号室へ向かった。


「ミサオ、日暮さんは、この格好で謝りに行くの?」


珠子が小声で聞いた。


「ええ、このままの方がこれまでの彼の怪しい行動の原因を咲良さんにわかってもらえると思うわ」


操は珠子にウインクをした。

咲良の部屋のインターホンを鳴らす。


「はい。あっ、大家さん」


若々しい声の応答に


「こんにちは。神波です」


操はカメラに向かって笑顔を向けた。

すぐに玄関扉が開いて咲良が顔を出した。が、操と手を繋いだ珠子の後ろに立っていた異様な姿の人物に彼女は固まった。


「大家さん、あの…後ろの人は……」


「彼、日暮さんです」


「えっ」


咲良が絶句する。

不慣れな化粧に不自然なヘアスタイル、よく見ると赤い唇の周りにぷちぷちと髭らしきものが見えている。おじさんがよく着ている胸元にワンポイントの入ったポロシャツにフレアースカート、すね毛の見える足にピンヒールのサンダルを履いた日暮が寒そうに立っていた。


「あ、あの…」


何を言っていいかわからず口を開けたまま固まっている咲良に


「日暮さんは今、小説を書いているんですって。趣味でね。それで登場人物の心情を感じたくて、こうやって女装をしたり、年頃の娘にウザがられる父親になりきろうとしたそうよ」


操は、日暮が先ほど自分に話していたことを伝えた。


「じゃあ、朝、私に声をかけたのは娘に冷たくあしらわれるお父さんの気持ちを感じたかったってことですか?」


と言いながら、咲良は困惑した顔をする。


「金子さん、気味の悪い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」


中途半端な女装姿で深くお辞儀をしながら謝る日暮を見て、咲良は脱力しながらなんだか可笑しくなってクスッと笑いながら


「もう、いいです。頭をあげてください」


と言ったが、日暮の顔を見て


「ごめんなさい、やっぱり頭を少し下げてもらっていいですか。その顔が可笑しくて」


ツボに入ってしまった彼女はお腹を押さえてクックッと大笑いした。

咲良の笑いが収まったところで、操が真面目な声のトーンで聞いた。


「咲良さん、日暮さんは自分の小説を書くためにあなたに迷惑をかけました。大家の私としては彼の行動は許されることではないと思っています。自分が可笑しな格好をするのは他人(ひと)に迷惑をかけていなければ構いませんが、突然咲良さんにつきまとうような態度や話しかけて怖い思いをさせたことは大変な問題だと思っています。咲良さんの気持ちによっては、日暮さんにここを退去していただくことも考えます」


どうしますか?と操に見つめられた咲良は、深呼吸をひとつして日暮を見た。


「日暮さん、もうあんなことしませんよね」


「はい。四十を過ぎてるのに僕はとても非常識でした。今後は、もちろん金子さんに妙なことはしません。でも偶然お会いした時は普通に挨拶をさせてください」


日暮はもう一度深くお辞儀をした。

それを見ていた珠子が咲良の傍に行き何か言いたそうな顔を見せた。それに気づいて腰をかがめた咲良に珠子が耳打ちした。


「金子先生、あのおじさんはとっても反省してるよ。出来れば許してあげてください」


咲良は珠子に向かって微笑むと


「日暮さん、本当にもういいです。大家さん、私は大丈夫です」


日暮を見た後、操に顔を向けて頷いた。


「そうですか。日暮さん、許してもらえて良かったですね」


操に言われて


「はい」


と、彼は返事をした。


「あの…日暮さん、その格好で外に出るのもやめた方がいいですよ」


咲良が笑いを堪えて言うと


「ワタシ、ゲイバーのチーママのつもりだったんですけど、そう見えませんか?」


体をくねらせて日暮が聞いてきたので


「全く見えません!」


操と咲良は口を揃えて、バッサリと一刀両断した。

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