操の悩みと驚き
土曜日の正午過ぎ、205号室の相沢咲良が操のところにやって来た。何か困り事があるらしい。
「お昼時にすみません」
「気にしないで。咲良さんの悩みを聞かせて」
操は咲良をソファーに座らせて、話を聞いた。
「はい。実は…」
咲良は言いづらそうにもじもじしている。
「大丈夫。他言はしないわ」
「大事になると困るんですけど、あの…203号室の日暮さんがやたらと声をかけてくるんです。私の自意識過剰なのかも知れないんですけど」
操は咲良の言わんとしていることは感じていたのだが、直接彼女の口から聞きたかったので
「詳しく話してくれるかしら」
と促した。
「今月に入った頃からなんですけど、私が学校へ行こうと部屋を出ると、同じタイミングで日暮さんが出てきて、初めのうちは偶然だと思っていたんです。でもそれから、気をつけて行っておいでとか、変なヤツと付き合ってないだろうなとか言ってくるんです。この間も、部屋を出る時間が遅くなった時に日暮さんが私の部屋の前に立っていて、今日はゆっくりなんだね、忘れ物はないのかいって言われたんです」
なんだか気味が悪くて、と咲良は腕をクロスして自分を抱きしめながら話した。
「彼があなたに話しかけるようになったきっかけに心当たりはないの?」
「そうですね、私がここに入居してから、ほとんど顔を会わせることがなかったし、203号室にどんな方が住んでいるのかも最近知ったんです。十月の終わり頃、私のポストに日暮さん宛の郵便物が入っていたので、日暮さんのポストに入れたんです。その時、彼が後ろから見ていたみたいで…何を勘違いしたのか私がラブレター的なものを彼のポストに入れたと勘違いされたのかも知れないです」
タイミングが良くなかったって感じなんです、と咲良が落ち込む。
「日暮さんのポストに咲良さんからの手紙は入ってないわけよね。それなら勘違いしないわよね」
「でもその事があってから急に日暮さんが私に近づいてきてるような気がします」
「そうなのね。わかりました。それとなく日暮さんの様子を見てみますね。咲良さんの登校時間は何時頃かしら」
「大体七時頃にアパートを出ます」
「それじゃ、その時間に私も外に出ているようにするわ」
「珠子ちゃんの支度もあるのに、朝の忙しい時間にすみません。少しの間、よろしくお願いします」
咲良が頭を下げた。
「気にしないで。日暮さんのその行動も何か訳があるのかも知れないから、それとなく調べてみますね。私が咲良さんをちゃんと見守っているから安心して、残り少ない高校生活を楽しんで」
操は、暖かな視線を咲良に送った。
不安を抱えていた咲良の心が次第に軽くなっていった。なぜだろう?彼女は不思議な気持ちになった。
咲良が自分の部屋に帰っていった後、操はソファーに座ったまま、しばらく考え込んでいた。
「ミサオ、大丈夫?」
寝室にいて、咲良と操の話を聞かないようにしていた珠子がやって来て操の隣に座り、難しい顔をしている祖母の顔を心配して覗き込んだ。
「大丈夫よ」
操は珠子に笑顔を見せたが、頭の中で考えをぐるぐる巡らせていた。
『ハイツ一ツ谷』の入居希望者とは操が面談をしながら彼女の能力を使い、その人の人となりを確認する。そのため、ここの住人はみんな常識人で悪い人はいない…はずだ。
もし日暮が咲良に対して取った行動がストーカーまがいの行為なら、そんな危険人物の入居を認めてしまった自分に責任があると操は思った。
とにかく彼に会おうと思い、操が立ち上がると
「ミサオ、私も行く」
珠子が手を握ってきた。
彼女は自分に対する操の気持ちは感じることが出来ないが、それ以外のことなら感じ取れる。操の悩みや不安に寄り添いたいと思ったのだ。
「姫が私を心配してくれるのはありがたいけど、今回はここで待っていてくれる。出来るだけ早く戻るから」
操は珠子の申し出を断り部屋を出て行った。
玄関扉が閉まる音が聞こえると、珠子はソファーから立ち上がった。靴を履いて扉をそっと開けると足音をさせずに操の後を追った。
操は階段を上り203号室の前に立った。珠子は階段を上りきらずに手すりの陰から操の様子を窺う。
操がインターホンを押し、相手の返事を待った。
「はーい」
と甲高い声とともに玄関扉が開いた。
「日暮さん、こんに……ち…は」
出てきた日暮を見て操は言葉を失った。
そんな祖母の様子に珠子は階段を上りきり駆け寄ると、えっ!と息を飲んだ。




