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ハイツ一ツ谷のホッとな日常  作者: モリサキ日トミ


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平和なひとときが…

「ミサオ、このサボテンは棘が無いね」


土曜日の朝、珠子はローテーブルに置かれた小さな鉢植えを見つめていた。


「サボテンが置いてあるの、やっと気がついてくれた」


操は珠子の傍へ行くと、一緒に素焼きの植木鉢を見た。


「バスツアーの時に見つけて、ぷくっと丸くて棘がほとんど無いから姫に買ってきたのよ」


「そうだったんだ。可愛いサボテンだね。ありがとう」


珠子が人さし指でツンツンと触った。


「私、昨日まで落ち込んでいたから、ここにこんな小さくて可愛いのが置いてあったの気がつかなかった」


「そのようね。でもタカシ君の気持ちがわかって良かったわね」


「うん」


珠子が嬉しそうに頷いた。

最近、大好きな孝の素っ気ない態度に珠子は嫌われたのかなと悩んでいたのだ。食事もほとんど食べられず、小さな体が更に小さく痩せてしまった。

だが、昨日の夕方、孝から珠子に対して連れない態度を取っていた理由を知らされて嫌われたわけでは無いことがわかったのだ。途端に元気いっぱいになった珠子は昨夜の夕食ではカレーライスをおかわりして、みかんも三個ほどパクパク食べていた。そして、食べ過ぎたぁと言いながらお腹を擦る普段の珠子の姿に戻ったのを見て、操はほっと胸をなで下ろしたのだった。


「姫、天気がいいからこのサボテンを外に出してあげようか。亀甲竜(きっこうりゅう)の隣に置いてくれる」


操に言われて


「はーい」


珠子はサボテンの鉢を持って、南側の庭に面した掃きだし窓を開けると外に出た。

大きく成長すると茎の元の胡桃のような塊が松ぼっくりを思わせる形になるという、今はまだ小さな亀甲竜の鉢が珠子の目に止まった。これは塊根(かいこん)植物をたくさん育てている、204号室の相沢(みやび)がプレゼントしてくれたものだ。

窓のすぐ下で冬の陽射しを浴びて、伸びた蔓性の茎にハート型の葉をたくさんつけた亀甲竜の隣にサボテンを置くと、


「二つとも小さいけど元気だなぁ。うん、どっちも可愛いよ」


珠子が笑顔を向けた。

陽射しは暖かいが、吹き抜ける風が冷たくて


「クシュッ」


珠子はくしゃみをして


「結構寒いなぁ」


独り言を言いながら急いで部屋に戻った。


「ミサオ、あったかいココアが飲みたい」


キッチンに行き、シンクに立っていた操に抱きついた珠子を


「姫、体が凄く冷たいじゃない」


彼女は体の向きを変えて抱きしめると擦った。


「今すぐ用意するからね。ソファーに座って膝掛けをしっかり掛けて待ってて」


「うん。わかった」


珠子は操に言われた通り膝掛けに包まるようにしてソファーに座った。


「お待たせ」


操がココアの入ったマグカップを二つ手にして珠子の隣に座った。


「熱いから気をつけて飲んでね」


「うん。いただきます」


カップの取っ手を右手で握り、珠子はフウーっと息を吹きかけた。

ゆっくりココアを啜り


「美味しい。暖まる!」


珠子が満足気に言った。


「そう、良かったわ」


「ミサオ、お外は天気が良いけど風が冷たくて、サボテンや亀さんの葉っぱは寒くないのかなぁ」


「相沢さんの話では亀甲竜は秋から春の間に成長するんですって。今ぐらいの気温が丁度いいみたいよ。サボテンも日光と風が必要だって買った店の人が言ってたの」


「そうなんだ。生きものによって好きな温度が違うんだね。私はこうやってミサオとくっついてあったかいのが好き」


珠子が顔を上げて操を見る。


「私もよ」


と、操は珠子の肩をそっと抱いた。

ココアと操のハグで暖まった珠子は、画用紙とクレヨンを持ってきてローテーブルに広げた。

無心に手を動かして画用紙に絵を描いた。

昼ごはんの準備をしながら、操はチラチラと珠子の様子を見に行った。

画用紙には二つの茶色い植木鉢が並び、一つは緑色の丸が、もう一つは緑色をしたたくさんのハートが描かれている。その周りを空色の薄青クレヨンで塗り、右上に黄色とオレンジ色で描いた太陽があった。


「まあ、素敵!姫上手く描けてるわ」


操にべた褒めされて、珠子は恥ずかしそうな顔をした。


「サボテンと亀さんの葉っぱが、とっても気持ちよさそうに見えたから、それを描いてみたの」


「描き上がったら、壁に貼るわよ。姫のサインも入れてね」


「わかった」


そう言うと、珠子はクレヨン画に集中した。

操は彼女の邪魔をしないように、そっとその場を離れキッチンで昼ごはんの準備を続けた。今日の昼食は、骨をしっかり取った塩鯖と炊きたてのご飯、なめこの味噌汁とカボチャのサラダだ。全て珠子の好物で、彼女がもりもり食べる姿を想像しながら操は作った。


「ミサオ、見て」


珠子が描き上げた鉢植えの絵を持ってキッチンへやって来た。


「姫、傑作だわ。本当によく描けてる」


操に褒められて珠子は満面の笑みだ。


「お昼を食べたら、その絵を飾りましょうね」


平和な土曜日だ。

珠子と向かい合って食卓で食事をしていると、インターホンのチャイムが鳴った。

可愛い孫娘が塩鯖焼きにかぶりついているのを楽しそうに見ていた操は、よいしょと立ち上がり


「はい」


と返事をすると


「こんにちは。205号室の金子です」


「あら咲良さん。今、開けますね。ちょっと待ってて」


玄関扉を開けた。

そこには、すっかりお姉さんになった金子咲良が立っていた。


「大家さんこんにちは。お昼時にすみません」


咲良の声を聞いて珠子が走って来ると元気よく挨拶をした。


「金子先生こんにちは!」


夏休み明け、初等教育科のある大学の付属高校三年生の咲良は、授業の一環で珠子が通う幼稚園のクラスに教育実習に来ていたのだった。その時の素敵なお姉さん先生のイメージをずっと持っていた珠子は久しぶりに彼女と会えてとっても嬉しかったのだ。


「珠子ちゃん、お久しぶりね。なんだかお姉さんになったね」


咲良に言われて、恥ずかしそうに珠子は笑顔を見せた。

優しい顔で珠子に接していた咲良だったが、目線を操の顔に移すと急に暗い目つきに変わった。


「咲良さん、何か悩みでもあるの?」


「はい」


「とにかく中に入って」


「すみません。おじゃまします」


咲良は操の後について行き、奥のソファーに座った。


操が温かいお茶を咲良の前に置くと


「お食事中にすみません」


口の縁にご飯粒をつけた珠子を見て謝った。


「気にしないで。咲良さんの悩みを聞かせて」


「はい。実は…」


咲良の相談事に、平和なひとときを過ごしていた操は心の中でため息を吐いた。

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