珠子のモヤモヤ、孝のモヤモヤ
夜、操と珠子は並んでベッドに横になっていた。
こうやって寝るのは一日ぶりなのに、とても久しいことに感じる操だった。
「ミサオ、昨夜は私がいなくて寂しかった?」
珠子が聞く。
「ええ、とっても。隣に姫がいないから寂しいし布団の中がとっても冷たいし、なかなか眠れなかった」
「今はあったかい?」
珠子が操の方を向いてぴたりと体を寄せた。
「ええ、とっても」
操も珠子の方を向いて抱き込む形になると、お互い目を閉じた。
操は小さな珠子の体温や匂いに彼女の存在の大きさを感じ、改めて自分にとって一番大切な宝物なのだと思った。
翌朝、珠子はモコモコのフリースジャケットを羽織り、いつものように孝が外に出てくるのを待っていた。
柏の部屋の玄関扉が開いて孝が出てきた。
「タカシ、おはよう!」
瞳をキラキラさせて珠子が笑顔を向けた。
孝は彼女の顔をしっかり見つめて挨拶をしようとしたが、目を合わせられず伏せ目がちに
「おはよう」
と言った。
「タカシ、もしかして私の見送りは迷惑なのかな?」
孝の最近の様子を見て感じたことを珠子は聞いてみた。
「そんなことないよ。毎朝タマコに見送ってもらえて嬉しいよ。ただ…」
「ただ?」
「おまえの姿を見るとドキドキするんだ。なんか、この辺りが苦しくなるんだよ」
孝は自分の胸を押さえた。
「大丈夫?お医者さんに診てもらった方がいいのかなぁ」
珠子はとても心配になる。
「病気じゃないから大丈夫だよ。じゃあ、いってきます」
「……いってらっしゃい」
孝に向かって手を振った珠子は、もう見送りをしない方がいいのかなと思いながら部屋に戻った。
「姫、ごはんを食べて支度をしないと」
操が急かしながら朝食のミックスサンドが乗った皿を食卓に着いた珠子の前に置いた。それと一緒にみかんジュースを注いだグラスも置くと
「昨日行ったみかん狩りの農家さんが絞ったジュースよ。飲んでみて」
味見をしたら美味しかったの、と操が勧めた。
「いただきます」
珠子はサンドイッチを一口食べてジュースを飲み干すと
「ごちそうさま」
歯磨きをするために洗面所へ行った。
「姫、サンドイッチを一切れだけでもいいから食べてちょうだい」
操が洗面所へ珠子を追いかける。
「ミサオ、残してごめんね。美味しいんだけどお腹が空いてなくて食べられないの」
歯ブラシに歯磨き粉を乗せながら、鏡越しに操を見て珠子は言った。
その後、今日の珠子は幼稚園でもおとなしく過ごした。
「珠子ちゃん、昨日も今日も元気が無いよ。何かあったの?」
仲良しの永井葵が珠子の顔を覗き込む。
珠子はしばらく考えて
「あのね、葵ちゃんにだけ教えるね」
最近の孝の自分に対する態度が変なの、と告白した。
「傍にいても私の顔を見てくれないし、あんまりお喋りもしてくれないの」
「どうしちゃったんだろうね、孝君」
孝を好きな葵は、珠子への気遣いと、珠子しか目に入らなかった孝と少し近づけるかも知れないという期待がぐるぐる回った。
「珠子ちゃん、今日ウチに遊びに来ない?」
葵に聞かれて、珠子は少し考えてから
「うん。いいよ。おじゃまします。一緒に遊ぼう」
と頷いた。
それからも珠子は給食をほとんど残し、歌の時間もあまり声を出さず、中山先生の絵本の読み聞かせも頭に入ってこなかった。
帰りの時間、操が迎えに行くと珠子は小さく手を振った。
「姫、お待たせ」
「ミサオ、これから葵ちゃんのお家に遊びに行ってもいい?」
「いいわよ。それならちょっとウチに寄ってみかんを持っていってもらいましょう」
そこへ葵の母のレイラが迎えに来て、彼が珠子と家で遊びたいと伝えると
「是非いらして」
と言ってくれたので四人は一緒に幼稚園を出た。途中『ハイツ一ツ谷』の前を通るので、操が急いで部屋に入るとみかんを入れた袋を下げて戻り
「姫をよろしくお願いします。夕方四時頃迎えに伺います」
レイラに渡し、珠子のバッグと帽子を手にした。
「ごちそうさまです。小ぶりで味がぎゅっと濃さそうなみかんですね」
このサイズの温州みかん大好きです!と嬉しそうにレイラが言い、操が手を振る中、三人はアパートを出て行った。
レイラの家に上がり手洗いを済ませて葵の部屋へ入った珠子は、相変わらずメルヘンな雰囲気に
「素敵!」
感動した。
「前に来たときより可愛らしくなってる!」
「ホント?珠子ちゃんに言ってもらうと嬉しいな」
葵が笑顔を見せた。
レースや淡い色味の花柄テキスタイルに囲まれた彼の部屋は、まるで夢の国のお姫様が暮らしているみたいだと珠子は思った。
二人は葵のおままごとセットとぬいぐるみで遊びながら、クリスマス会で発表する劇の練習もした。
その頃、操の部屋には孝が顔を出していた。
今朝、珠子に対してぎこちない態度を見せてしまったので自分の思いを彼女にしっかり伝えようとしたのだった。
「姫は葵ちゃんのところにいるの」
と操に言われて、孝は言葉に出来ないモヤモヤが胸の中を駆け巡った。
「もう少ししたら迎えに行くんだけどタカシ君も一緒に来る?」
操が時計を見ながら言うと
「はい、おれも行きます」
孝がはっきりと返事をした。




