珠子の寝顔
夕刻、操が晩ごはんの支度をしていると石井美子から連絡が入った。
美子は操の息子・柊の義理の母で、操と馬が合うので結構交流がある。
「はい、操です。美子さんお久しぶりです」
──操さん、夕方忙しい時間にごめんなさいね。
「いいえ、大丈夫よ。どうしたのかしら」
──突然で申し訳ないんだけど、明後日丸一日付き合ってもらえないかなぁと思って。
「何かしら?」
──あのね、そちらの最寄り駅スタートの日帰りバスツアーがあってね、ウチの人と行こうと思って予約をしたの。ところが、あの人ったら今日の昼頃ぎっくり腰をやっちゃって今寝てるのよ。
「まあ、大変じゃない」
──キャンセルしようと思ったんだけど、ウチのが操さんを誘って行っておいでって言うから、お誘いしたの。操さんの都合がよければなんだけど付き合ってくれると嬉しいわ。
「美子さん、ちょっとだけ時間をくれるかしら。折り返し連絡するわね」
そう言うと操は通話を切り、柏の部屋を訪れた。
「月美さん、こんばんは。あのね、急なことで申し訳ないんだけど、明後日、姫の送り迎えと夕方まで預かってもらえるかしら」
操が頼み込むと
「はい。大丈夫です。もし良ければ、前の晩からお預かりしますよ」
月美は快く頷いた。
「ありがとう。美子さんから誘われて一日外出したいの」
「珠子ちゃんがいてくれると、孝も喜ぶし私も嬉しいです。家の中がぱっと明るくなるような気がして」
「本当にありがとう。よろしくお願いします」
操は自分の部屋に戻ると
「姫、明後日ね、バスツアーに誘われて私は美子さんと出かけるんだけど、姫は月美さんのところにいてくれる?」
珠子にお伺いを立てた。
「いいよ。幼稚園は?」
珠子が聞く。
「うん。月美さんが送り迎えをしてくれるって。だから前の晩から姫に泊まりにおいでって言ってたわ」
「わかった。美子さんと楽しんで来て」
「ありがとう。何か美味しいものを買ってくるわね」
「やったぁ!楽しみ!」
珠子の了承をもらって、操は電話をかけ美子に明後日のツアーを楽しみにしていると伝えた。
「ミサオ、バスに乗ってどこに行くの?」
「静岡の方みたいよ。みかん狩りって美子さんが言ってたわ」
「みかんかぁ。食べて甘かったらお土産お願いします」
珠子の口の中は甘酸っぱい温州みかんを頬張るイメージでいっぱいになった。
翌日の夜、晩ごはんを済ませて、浴室で珠子は操の背中をタオルで擦っていた。
「姫、そこ気持ちいいわ」
そして、その後
「お客様、痒いところはありませんか?」
と言いながら珠子はシャンプーを泡立てて操の髪を洗うとシャワーで流してあげた。
泡を綺麗に流すと、今度は操が珠子の髪と体を洗い流し、二人で浴槽に沈んだ。
「あるこう、あるこう、わたしはげんきぃ」
大きな声で『さんぽ』を歌って体が温まってきたので
「姫、そろそろ出ようか」
浴室から出てパジャマを着ると
「今夜は髪をしっかり乾かそうね」
操は珠子の柔らかな髪にドライヤーを当て、よく乾かしブラシでとかした。
その後、明日着る服と幼稚園の制服やバッグをまとめて、
「姫、隣に行こうか」
「うん」
二人は柏の部屋を訪ねた。
「こんばんは」
「いらっしゃい。どうぞあがって」
月美が出迎え、二人が奥に行くと
「タマコ、いらっしゃい」
「おばあちゃん、こんばんは」
柏と孝が手招きする。
「月美さん、お世話になります。姫をよろしくお願いします」
操は珠子の荷物を月美に預けた。
「お預かりします」
と言って月美は珠子の服を寝室に置きに行った。
そこへ柏が
「母さん、ちょっといいかな」
操の傍に来てキッチンへ連れて行った。
「どうしたの」
「あのさ、ここだけの話にして欲しいんだけど」
「うん」
「タカシがさ、タマコのことが好きすぎて爆発しそうなんだ」
「まあ!素敵」
「そうなんだけど、タカシは自分の気持ちを抑えるのが大変そうでさ」
父親として可愛い息子が何かに耐えているのを見るのが忍びないんだと、柏は言った。
「姫もタカシ君が大好きでしょ。なんだか幼い頃の源とコウちゃんを見てるみたいだわ」
珠子の両親、源と鴻はまだハイハイをしていた頃から相思相愛だったのだ。
「とにかく、あんたはタカシ君の悩みを黙って聞いてあげて。そして耐えていたり頑張ってる彼を褒めてあげるの。大人としてアドバイス出来ることがあったらさり気なく言ってあげてちょうだい。ただし、押しつけないでね」
「わかった」
柏は素直に頷いた。
そこへ珠子が、何してるの?と操の顔を見に来た。
「カシワに姫をよろしくって言ってたの。姫、お利口さんにしていてね。それじゃ、おやすみ」
操は珠子を抱きしめながら言った。
「ミサオ、明日は気をつけていってらっしゃい。おやすみ」
珠子も操をぎゅっとしてから手を振った。
珠子の隣にやって来た孝に
「姫をよろしくお願いします」
操が言うと、
「はい」
彼はしっかり返事をした。
操が帰ると
「タカシ、眠くなっちゃった」
珠子に言われて
「それじゃ、寝るか」
孝は彼女を連れて自分の部屋へ行った。
自分のベッドに珠子を寝かせて、部屋の灯りを暗くすると
「タカシは、まだ寝ないの?」
珠子が聞く。
「うん。もう少し起きてる」
孝の返事に
「そうか」
寂しそうな珠子の声を聞いて
「わかった。タマコが眠るまでここにいるよ」
ベッドの縁に腰を下ろした。
「ありがとう。おやすみ」
薄暗い中、目を閉じた珠子の顔を見つめて
「おやすみ」
孝はため息交じりに言った。




