パエリア
「こんにちは。珠子です」
珠子は柏の部屋のインターホンに向かって元気に挨拶をした。
すぐに玄関扉が開いて
「おう、あがって」
孝が出迎えた。
珠子は部屋にあがるとキッチンへ向かった。月美は普段ここに立っていることが多いので、まず覗いてみる。が、珍しく姿が見えない。シンクの前で背の高い男が真面目な顔で何か作業をしていた。柏だ。彼は自分の手元に集中しながら
「タマコ、月美はここにいないよ。ミシンのところじゃないか」
と言った。
「お母さんは奥で裁縫をしてるよ。おいで」
孝が珠子の手を取ってミシンが置いてある作業スペースに引っ張って行った。
「珠子ちゃん、いらっしゃい」
ミシンの前に座っていた月美が手を止めて、こちらを向いた。
「月美さん、こんにちは」
珠子がちょこんとお辞儀をした。
「ミサオが、これ、よろしくお願いしますって」
淡いピンク色のとクリーム色の長袖ポロシャツを月美に渡す。
「裁縫が苦手だとボタンの付け替えも億劫になっちゃうの、ってミサオが言ってました」
「お預かりします。ボタン、すぐ付け替えるわね。お昼、ここで食べてって。今ね、柏君がパエリアに挑戦してるのよ」
と言う月美に、
「なんか、カシワ君らしくない真剣な顔をしてたよ」
「確かに、あんなに集中したお父さん、久しぶりに見たかも」
珠子と孝が笑った。
「そんなに構えなくても彼は器用だから上手に出来るはずなんだけど、テキスト通りに作ろうとするから大変何じゃない」
そんな柏君って可愛いわよねと月美がのろけた。
それから、孝と珠子はノッシーのケージの前に立った。
「相変わらず勇ましいだろ」
床材を掻きながら蹴り上げながら、のしのしとケージ内を歩き回るリクガメの姿は十六センチ程の小さい体なのに貫禄十分だった。
「うん、そうだね。ノッシーはもう大人なの?」
「多分な。温浴中にリラックスすると尻尾から、ちんちんを出すんだぜ」
笑いながら話す孝の説明に
「そうか。ノッシーは大人なんだ。タカシも大人なの?」
珠子が、最近気になっていた疑問をぶつけた。
「おれは…多分、まだ大人じゃない」
「でもさ、タカシの声がたまにかすれて低くなるよね。カシワ君の声に似てるよ」
「おれの声がお父さんに似てる?」
「そっくりじゃないけど、話し方のせいかな。なんか似てる」
珠子にそう言われて、孝はとても嬉しくなった。血は繋がっていないが大好きな父、柏に似ていると言ってもらえるのは、たまらなく嬉しいのだ。
「タマコ、ありがとう」
孝が珠子を抱きしめた。
「えっ、何?何がありがとう?」
珠子は一瞬驚き、孝が自分に対して感謝する理由が何なのか感じ取ろうとした。が、それは出来なかった。
前に操が言っていた。珠子にとって孝は特別だから、彼からの珠子への思いだけは感じ取ることが出来ないのだ、と。
「おう、親の目の前でラブシーンとは大胆だな」
いつの間にか柏が二人の傍に来ていた。
「ち、違うよ」
孝は慌てて珠子から離れた。
「タマコが、嬉しいことを言ってくれたから…思わず」
孝は、自分の声が柏に似てきたと珠子に言われて嬉しくて、ハグをしたと話した。
すると今度は、柏が孝を抱きしめた。
「そうか。パエリア出来たから、みんなで食べよう」




