柊、久しぶりの102号室
「こんにちは。カシワ、俺」
柊がインターホン越しに声をかける。
「おう、お帰り」
102号室の玄関扉が開いて、柏が笑顔で迎えた。
「ただいま。みんないるの?」
「ああ、三人それぞれ好きなことしてた」
とにかくあがれと柏が柊を奥へ促した。
二人は仲の良い兄弟で、この部屋は柊が結婚するまで兄の柏と二人で暮らしていた。その後、柊が美雪との新しい住まいに引っ越し、柏も結婚して現在は妻の月美と息子の孝と共にこの部屋で一緒に暮らしているのだ。
兄弟がキッチンに行くと、この場所の主である月美が忙しく動き回っている。それが柊には楽しそうに見えた。
「柊さん、いらっしゃい。お久しぶりですね」
背の高い二人の男の気配に月美が笑顔でこちらを向いた。
「お久しぶりです。元気そうですね」
なんとなく照れくさそうに柊が言うと
「ええ、そこそこ元気よ」
月美がそう返答した。
「そこそこ?」
どうかしたのかと、柊が柏を見た。
「今週の初めに結石で救急搬送されたんだ。今は体調も落ち着いているけどな」
「そうだったんだ。お大事にね。それからこれ、お義父さんから」
柊が『松亀』の紙袋を月美に渡した。
「まあ、これは。柏君、高級なものいただいた」
月美が紙袋を広げると柏が彼女にぐっと近づいて、お互いの頭をくっ付けるようにして中を覗いている姿に
「なんか、ごちそうさま」
と小さな声で言い残すと、柊はキッチンを離れ部屋の奥へ進んだ。
その先には、リクガメ・ノッシーのケージがあり、孝が床材に転がっているフンや白い尿酸の塊や食べ残した小松菜の破片を取り除いていた。
「タカシ、久しぶり。ずいぶん背が伸びたな」
柊が声をかけると、孝がこちらに顔を向けた。
「ヒイラギ、いらっしゃい。ホント、久しぶりだ」
と言う孝の隣に柊が立つ。
「ノッシーの世話か」
「そう」
「こいつ元気そうだな」
ケージの中を我がもの顔でノシノシ歩いているリクガメの頭を、柊は人差し指でツンと触った。ノッシーは歩みを止めたが首を引っ込めることなく、逆に頭をくいっと上に伸ばし柊の指を押し返した。
「おまえ、力があるな」
「ノッシーは怖いもの知らずだよ」
でもって可愛いんだと、孝が言った。
「タカシも来年は中学生か」
「そう」
「もう左腕は完治したのか?」
「全然平気だよ。美雪さんと千春ちゃんは元気?」
「ああ、元気だ。今、隣にいるんだけど千春がタマコにブッチュー攻撃を仕掛けててさ」
「ブッチュー攻撃?」
「そう。タマコの顔にチューをして、あいつの顔がよだれだらけになってた。千春はタマコが大好きみたいだ」
「千春ちゃんは積極的だね」
孝は、よだれだらけになって耐えている珠子の姿を想像してぷっと吹き出した。
「おまえは、タマコと上手くいってるのか?」
柊の突然の問いに面食らった孝は思わず
「うん」
と即答したが、ハッとして顔を紅くした。
「さっきも俺と一緒にここに行くってタマコは言ってたんだけど、千春が離してくれなくてさ」
「そうか。ヒイラギ、おれさ、いつもあいつに助けてもらってばかりだからさ、これからはおれがタマコを守れるようになりたいんだよ」
「おまえ、前にもそう言ってた。その気持ちは変わってないんだな」
「あいつ、自分がいていい場所を今も探してるんだ」
「どう言う意味だ?」
孝が急に真面目なトーンで話し始めたので、柊も真剣に聞く姿勢を見せた。
「タマコって特殊な力を持ってるでしょう」
「そうだな」
「その力のせいで、お母さんと離れてるでしょう」
「ああ」
「おばあちゃんはタマコのお母さんがあいつのことを怖がっているのを知ってるから、あいつと一緒に暮らしてる」
「ああ」
「タマコはさ、おばあちゃんに負担をかけてる、迷惑をかけてるって思ってるんだ。だけど、お母さんを怖がらせたくないから201号室でも暮らせない」
「幼いのに、そんなことを考えているのか」
「そうみたい。普段は大人っぽい意見を言ったり、かと思えば調子いいことを言ってみたりしてるけど、本心は、自分はここにいていいのかって思ってる。だから…」
「だから?」
「だからさ、おれ、いつかあいつの居場所になれるように考えている」
「そうか」
「お父さんには話したんだけど、おれ将来、理学療法士になりたいんだ。おれの腕が骨折から早く回復したのはリハビリのおかげだし、その先生の仕事に憧れを持ったんだ。それで資格を取ったら病院に勤務してさ生活の基盤を作って」
「そうしたらタマコを嫁さんにもらうのか」
「うん。おれがあいつの居場所になる」
「そうか。タマコは幸せ者だな。そんな風に思ってくれる人がいて」
柊がしみじみと言った。




