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大島かの子の告白

『ハイツ一ツ谷』の101号室のインターホンが鳴った。神波のみんながそこに顔を向ける中、操が応対した。


「はい」


「ごめんください。わたくし昨日電話をさせていただきました、大島かの子と申します」


「今、行きます」


操が玄関の扉を開けると細身の60代と思われる女が立っていた。


「狭いところですが、お入りになって」


操は奥の部屋へ促し、


「そこにお掛けください」


ソファーを勧めた。

かの子はすぐには座らず、遠目に様子を窺っている柏たちに向かって


「申し訳ございませんでした」


深々と頭を下げた。そして、お茶を持ってきた操に向き直ると床に正座し、額が床につくほど頭を下げて詫びた。


「大島さん、頭を上げてソファーにどうぞ」


操はかの子の向かい側に腰を下ろしながら言った。そしてかの子の顔をじっくりと見つめた。

カルチャーセンターですれ違った時のあのツンとした人物とは思えないほど顔色が悪くやつれている。


「つまらないものですが皆様でお召し上がりください」


かの子が『菓匠・藤花』の手提げを差し出した。この店はこの辺りで一番格式の高い和菓子店だ。

操はありがたく受け取り、お茶を勧めた。


「温かいうちにお茶を召し上がって」


「はい、いただきます」


かの子がゆっくり湯呑みを持ち上げ口に運ぶ姿を、操はじっと見つめた。かの子の周りに憎しみや嫌悪と言った雰囲気は見えなかった。悲しみとそれを少しずつ覆う安らぎだろうか。それと後悔の念が見てとれる。


「神波さん」


操の視線を感じてか、かの子が口を開いた。


「神波さんは私と同じで相手の気持ちがおわかりになる」


「ええ、なので今のあなたの気持ちはわかります。でも、今までのあなたの行いは受け止めることができません。昨日、初詣から戻ってきた孫の珠子と息子の柏からおおよその話は聞きましたが、なぜ珠子を憎むようになったのか話してもらえますか」


操はかの子の目を見た。かの子も操から目をそらすことなくゆっくりと話し始めた。


「嫁の沙理奈と珠子さんのお母様、ええと」


「珠子の母の鴻です」


キッチンで珠子の肩に手を置いて立っていた鴻が名乗った。

かの子は会釈をした。


「うちの嫁と鴻さんがあの産院で出産のタイミングを待っていたのは、偶然なのか運命なのかわかりません。でも、操さんと私が特異な体質とでもいいますか…」


「ええ」


操が頷いた。


「そして、孫にも同じ力が備わる確率が高く、私はあの子が生まれてくるのを待ちわびました。沙理奈は先天性の心疾患があったのでそれはもう細心の注意を払い、無事出産の時を迎えました。でも、突然沙理奈の心臓が止まり蘇生術を施してくれましたが助かりませんでした。ですが孫の頭が見えていたんです。引っ張り出した孫にも医療スタッフは蘇生を試みましたが呼吸をすることはなかったんです」


「それはお気の毒でした」


「私、これで家族を全てなくしました。沙理奈の妊娠がわかったとき、私も一人息子の賢一もそれは嬉しくて喜びました。ところが、それから間もなく賢一を交通事故で亡くしました。私は恐怖に駆られました。私にはもう沙理奈と生まれてくる孫しかいません。この二人がいなくなったらどうしよう。私は怖くて怖くて堪りませんでした。そして不安は現実となってしまいました。そんなとき、近くの分娩室の方から、やたらと明るく幸せな気配を感じたんです。私は思わずそちらへ向かいました。そこでは、出産のおめでたい雰囲気だけでなく私がこの手で抱くはずだった孫に似た気配を感じました。なぜなのかうまく説明できないのですが、この分娩室の前で私の悲しみが憎しみに転化してしまいました」


みんな静かに聞いている。

かの子は話を続けた。


「沙理奈の担当スタッフが私を彼女の分娩室へ連れていきました。そこには全ての筋肉が緩んでしまった嫁と小さな小さな孫の亡骸がストレッチャーのような寝台に横たわっていました。私はせめて孫の手形足形を取って欲しいと頼みました。あの子の手は生まれたばかりなのに細かな皺がなくくっきりした線が刻まれた掌でした」


「お茶を淹れなおしたので、喉を潤して」


操が、かの子の湯呑みに茶を注いだ。

かの子は湯呑みを大事そうに両手で包み込むと茶を静かに啜った。


「私はあの子の小さな手形足形を胸に何も考えられなくなりました。それでも、二人を弔い先に入っていた賢一の墓に納めました。こんなところで親子水入らずなんて耐えられませんでした。そこで思い出したのが、こちらの珠子さんでした。その時は名前を存じ上げませんでした。もちろん産院に問い合わせても教えてもらえません。ふつふつと憎しみだけが膨らんでいきました。私の一方的な逆恨みなのですが、それだけが生きる糧、生きている意味だったんです。去年の夏ごろ、この辺りにとても可愛くて聡明な小さな女の子がいるという噂を聞きました。私は人付き合いが苦手でしたが何とか情報を得ようと世間話の輪に入ってみたりしました。そして、フリーペーパーの表紙モデルの話を耳にしたんです。それからの私はもうほぼストーカーでした」


最後は消え入りそうな小さな声で言った。

その時、柊が声は抑えてはいたが強い語り口で聞いた。


「あのさ、タマコと母さんが車道に突き飛ばされそうになったり、ホームセンターで連れ去られそうになったんだけど、あなたはどう考えているだ。ひとつ間違えればタマコはここにいなかったかも知れない。それがあなたの望みだったんだろうけど」


「申し訳ございません。何の言い訳も申しません。この事は、これから警察に出頭して話をします」


かの子は柊を始め皆の顔をしっかり見つめて、きっぱりと言った。


「そうですか。大事(おおごと)にならなくてよかったけど」


柊はもう口を挟まない。

かの子は、大きく息を吐くと自分の両方の掌をじっと見つめた。


「珠子さん、あなたが教えてくれた通り、こうやって自分の手を見ることにしました。そして手をグーにするとこの中に、きらりのあの小さな手があるみたいに感じるの。そうすると胸のずっと奥が暖かくなるわ。本当にありがとうございました。そして申し訳ありませんでした」


大島かの子は胸の内を話すことができてほっとしたのか少し表情を緩めてソファーから立ち上がった。


「長々話を聞いていただきありがとうございました。これから駅前の交番に行ってきます。そちらへも警察から確認の問い合わせなどがあるかも知れません。お手間を取らせることに重ね重ねお詫びします」


彼女は深く一礼して玄関へ向かった。

かの子を送り出した操は、ため息を一つ付いて自分の頬をぱんぱんと軽く叩いた。

そして、ここにいる家族全員に


「さ、お昼にしましょう」


元気に言った。

そして柊の隣に行くと耳元で聞いた。


「アンタの彼女、いつ会わせてくれるの」


柊は耳を紅くして目を見開いた。

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