体の中の石
リクガメのケージの前で月美は顔を歪ませて体を丸めるようにして座り込んでいた。
痛…い…。
声にならない声で呟いている。
「月美さん、どこが痛むの?」
操が羽織っていたカーディガンを脱いで月美に掛けながら声をかけた。
「ど、どこが痛いのか、よくわからないんです。背中から腰からお腹まで痛くて…」
冷や汗をかきながら消えそうな声で月美が言った。
操は119番に電話をして、珠子を見る。
「姫はここで留守番を頼むわね。タカシ君が戻ってきたら、詳しいことがわかり次第連絡を入れるって伝えて」
「わかった」
珠子はしっかりと返事をした。
やがて救急隊員がやって来て、立ち上がることのできない月美を担架に乗せ救急車まで運んだ。
そして搬送先の病院が決まり、
「姫、これから月美さんと私は、タカシ君が事故に遭った時に運ばれた病気に連れて行ってもらうから後をお願いね」
操は珠子に伝え、救急車に乗り込んだ。
サイレンを鳴らして去って行く救急車を見送りながら、
「大丈夫。月美さんは、きっとすぐ元気になって戻ってくる」
珠子は自分に言い聞かせるように言った。
その時、
「珠子!」
上から呼ばれて顔を上げると、二階の通路から鴻が呼びかけていた。
「ママ」
珠子が階段を上り鴻の傍に行った。
「サイレンが聞こえたけど何かあったの?」
「月美さんが動けなくなって病院に運んでもらったの。ミサオが付き添って一緒に救急車に乗ったの」
「それは心配ね。私にできることなんてあまり無いでしょうけど、それでも何か必要なことがあったら言ってちょうだいね」
「うん。わかった。ミサオに伝えるね。ママ、私ね幼稚園のクリスマス会で人魚姫っていう劇をやるんだけど深海の魔女の役を演じるの。ちょっと怖くて優しい魔女なんだよ」
「まあ、珠子が演じるとずいぶん可愛らしい魔女になりそうね。当日、私は見に行けるかわからないけど頑張ってね。お義母さんにビデオに撮ってもらおう。ところで月美さんのこと、どこかに連絡を取るのとかならできるから、何かあったら私にも教えてね」
「わかった。それじゃ私、戻るね。タカシが帰ってくるのを待つから」
珠子は母に手を振って階段を下りると柏の部屋へ入っていった。
月美が搬送されて一時間ほど経ったころ、孝が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
珠子が玄関に走って来た。
「タマコ、どうした?」
「あのね、月美さんが救急車で運ばれたの。タカシが入院とリハビリに通ってた病院に行ったみたい」
珠子の話を聞いて孝が青ざめる。
「どうしたんだろう。怪我か?」
「そうじゃない。私とミサオがクリスマス会の劇で着る衣装の相談をしに来たら返事がなくて合鍵でここに入ったの。そうしたら、月美さんがノッシーの前でしゃがみ込んで動けないでいたの」
「朝はいつも通り元気そうだったけど、どうしちゃったんだろう」
「ミサオが一緒にいるから、詳しいことがわかったら、すぐにタカシに連絡するって」
とにかく連絡を待とう、と珠子が言った。
孝は頷き、ランドセルを自分の部屋に置きに行った。
スマホを片手に
「タマコ、おれの隣にいてくれないか」
と言いながら、孝はソファーに座った。
珠子が頷き隣に腰を下ろした。
間もなくして、操から孝に連絡が入った。
──もしもし、タカシ君。
「はい、孝です」
──月美さん、尿管結石で今、投薬治療を受けてるの。
「尿管結石?」
──そう。腎臓から膀胱に伸びている管に石ができて詰まっちゃったの。私はなったことがないんだけど、突然起こって相当痛いみたい。でもそれが砕けるか小さくなって排出されれば大丈夫だから。
「そうですか。おばあちゃん、面倒かけます」
──何言ってるのよ。月美さんは私の娘なんだからね。いろいろ検査をしてもらって結石以外は問題ないそうよ。これからカシワに連絡して、病院に来てもらうから。タカシ君は姫と留守番を頼むわね。
「わかりました。おばあちゃんありがとう」
通話を切った孝は、ふうーっとため息を一つ吐いた。
「タカシ?」
珠子が顔を覗き込む。
「お母さんさ、おしっこが通る管に石ができて詰まっちゃったんだって」
「体の中に石ができるの?」
「そうみたい。今までそんなこと無かったから驚くよな」
「そうだね。石は取れるの?」
「薬で小さくするらしい」
「そうなれば、元気になるの?」
「おばあちゃんは大丈夫って言ってた」
「少しほっとしたね」
「そうだな。タマコが傍にいてくれて良かった」
そう言って孝が珠子を見た。
「私が傍にいたって、何にもできないよ」
「何もしなくていいんだ。おまえが、こうやって隣にいるだけで、おれの気持ちは落ち着く」
そう言われて、珠子はぺたりと孝にくっ付いた。
孝は珠子の体温を感じながら目の前のテーブルに置かれたB5サイズぐらいの冊子を見た。
「なんだ、これ」
手に取ると
「人魚姫 神波珠子ちゃん用」
孝が表紙の文字を読む。
「クリスマス会でやる劇の台本だよ。これを見てもらおうと思って、ミサオとここに来たの」
「そうか。そのおかげでお母さんは早く病院に連れて行ってもらって治療してもらえたんだな」
孝は台本を開きページをめくっていくと
「このピンク色のマーカーで引かれた部分がタマコの台詞か」
と言って指でなぞった。
「結構優しい魔女なんだな」
「そうなの。中山先生が作ったお話は全部が優しくてあったかいの」
「クリスマス会はいつやるんだ?」
「クリスマス前の土曜日だよ。パパやママたちが見に来るんだよ」
「土曜日なら、おれもタマコの魔女を見に行ける。保護者じゃないけど行っていいかなぁ」
「もちろんだよ。だってタカシは私のお迎えに来てくれたじゃない。タカシが見るんなら私、張り切っちゃう!絶対見に来てね!」
珠子が元気な声を上げて
「楽しみにしてるよ」
と、孝は微笑んだ。
「そうだ、土曜日って言えば、今度の土曜日にヒイラギ君たちが来るよ」
「そうなのか」
「うん。ミユキちゃんと千春ちゃんと千春ちゃんのおじいさんも来るの」
「それは賑やかになるな」
「そうだね」
珠子の頭には、また鰻の蒲焼きが浮かんでしまった。




