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本当の誕生日に

十月三十日、今日は珠子の弟・元太の誕生日だ。先日、みんなでお祝いをしたのだが、やはり当日におめでとうが言いたくて幼稚園から戻った珠子は操と二人で鴻のところを訪れた。


「元太、本当のお誕生日おめでとう」


珠子がインターホン越しに言った。


「珠子、お義母さん、入って」


鴻が元太を抱いて玄関扉を開けた。


「おじゃまします」


珠子がそう言って入ると


「あなたの家でしょう」


少し寂しそうに鴻が微笑む。


「うきー、たあー」


元太が手を伸ばして珠子に触ろうとする。その手を握って珠子が顔を覗き込んだ。


「元太、1歳になったんだね。おめでとう」


「たあーまあー」


「今、元太が私を呼んだ!」


鴻が元太を下ろすと立ったまま珠子にしがみついた。


「今、私の名前を呼んだよね、珠って。嬉しい。それにしても元太は力があるね。足なんて私よりしっかりしてる」


両手を繋いで立っている姉弟に鴻が声をかけた。


「さ、奥へ行ってソファーに座って」


鴻のところも操の部屋と同じで、南に面したスペースにソファーのセットが置かれている。珠子は元太と手を繋いでそこに歩いていった。ソファーをよじ登り元太がうまいこと座ると、それを見届けた珠子も隣に座った。

操と鴻はキッチンでお茶の用意をした。


「お義母さんはコーヒーでいい?」


「ええ、コウちゃんの淹れたコーヒーは美味しいのよね。ブラックでお願い。姫と元太は何を飲むかしら」


「お昼にバナナミルクを作ったの。珠子は飲んでくれるかな」


鴻が冷蔵庫から縦長のタッパーを出して、グラスとストローがセットできるカップに中身を注いだ。ローテーブルに飲み物とクッキーの皿を置いて操がソファーに座ると珠子はその隣に移動した。珠子が座っていたところに鴻が腰かける。元太にストローのついたカップを持たせると、珠子はグラス、操と鴻はコーヒーカップを持ち


「元太、お誕生日おめでとう」


操が言うと珠子も


「おめでとう」


と言いながらグラスを掲げた。


「ああー」


元太も声を上げて珠子の真似をしてカップを少し持ち上げた。


「元太の着てるのはこの間プレゼントしたやつね」


肘当てのついたトレーナーと膝当てのついたスウェットパンツを着た目の前の暴れん坊を見て、操が似合ってるわよと言った。


「ええ、早速着せてます。動きやすいみたいで、気に入ってるのね」


鴻が元太の服を撫でた。

バナナミルクをチューっと凄い勢いで吸いきった暴れん坊は、もう入ってないよと言うアピールなのか、空のカップをストローで吸ってズズッズズッと音を立てた。


「元太は全てがダイナミックね」


操が彼の飲みっぷりに驚く。


「体力や動きは申し分ないんだけど、言葉がなかなか発音できないの」


鴻が元太の口の周りを拭きながらぼやく。


「姫と反対ね。姫は喋るのが凄く早かったけど、ちゃんと歩けるようになったのは2歳を過ぎてからだったじゃない」

操が言うと


「確かに、そのうち元太もおしゃべりさんになれるのかな」


鴻が元太の頬を左右から摘まむように挟んで口を尖らせた。


「今さっき、私のことをたーまーって言ってたから、元太はもうすぐお話できるようになるよ」


珠子は正面で機嫌よくしている元太を見て頷いた。


「たーまー、たーまー」


「ホントね。今まで姫とタカシ君は、どちらもタアーだったのに。彼のことはなんて呼ぶかしらね」


「ばあー」


元太が操を見ながら声をあげた。


「私を呼んだ?今のは私のことよね」

操は嬉しそうに、やるじゃない元太!と彼を褒めた。


「珠子、あなたと孝君の書はテレビの上に飾らせてもらったわ」


鴻が顔をテレビが設置してある壁の方に顔を向けた。珠子もそちらを見る。壁掛けタイプのテレビの少し上に珠子と孝の『元太一才』と書かれた額が並んで飾られていた。


「正月に源ちゃんが帰ってきて、これを見たら喜ぶわ。元太にもね抱っこして、ちょくちょく見せてるのよ」


鴻に言われた珠子は立ち上がるとそろりそろりと褒めてくれた母親の傍に近づいた。

操が気を利かせて


「元太、バナナミルクのおかわり少しだけ飲もうね」


と言いながら立ち上がり元太を抱きかかえ彼のカップを手に取るとキッチンへ向かった。

鴻の目の前に立った珠子は


「ママ、ぎゅっとしてもらっていい?」


と言いながら母の首元にしがみついた。

鴻も、そんな愛娘を向かい合うように膝の上に座らせて、おもいきり抱きしめた。


「ママ…」


囁くように鴻を呼ぶ珠子に


「珠子、愛してるわ。だけどあなた、お姉さんになった」


「だって元太のお姉さんだもん」


「そうじゃなくて、あなたの匂いがね段々お姉さんの匂いになってきた」


「そうなの?」


珠子は驚いて鴻とぺったりくっ付いていた体を少し離した。そして、自分の肩の辺りをクンクンと嗅いだ。


「自分じゃわからないわ。でも私が嗅ぐと、薄くなってるのミルクの匂いが」


鴻の話を聞いて前にも誰かに言われた気がすると珠子は思った。


「私、ミルクの匂いがしていたの?」


「そう。元太が戻ってきたら、そっと頭とか顔とか嗅いでごらん。あの子は赤ちゃんだからよくわかるわよ」


と、鴻が言う。

そこへ自分のカップにバナナミルクを入れてもらいご機嫌な元太が操と手を繋いで戻ってきた。珠子は鴻の膝から下りて元太の正面に立つと、背中を丸めて元太の顔の傍に鼻を近づけた。


「あっ、ミルク!ミルクの匂いがする!」


興奮気味に声をあげた珠子に


「ね。するでしょう」


鴻が元太の傍に行き珠子と一緒にミルクの匂いを嗅いだ。母と姉の間で、元太は戸惑った顔をして立っていた。

三人の様子を見てやっぱり親子っていいわね、と操は思った。




夜、お風呂場で一緒に浴槽に入った操と珠子は元太の話をしていた。


「元太って誕生日が来たら急に言葉がはっきり言えるようになったね」


「そうね。姫のことをタマって言ったし、私のこともファーからバアーに変わったものね。ちゃんと成長してるわ」


操は珠子の柔らかいほっぺたを人さし指でちょんと突きながら言った。


「ところで姫、そろそろコウちゃんのところに戻って一緒に暮らす?」


突然、操が話を切り出した。


「えっ、何で」


珠子は軽くうろたえた。


「ミサオ、やっぱり私がいると迷惑なの?」


「違う、違うわよ。私は姫と一緒にいたいわ。でもね、昼間あなたがコウちゃんと元太と一緒に幼い子どもの匂いの話をしてたでしょう。あの時、母親と子どもは一緒に暮らすべきなのかなって思ったの」


操は珠子の頭を撫でながら言った。


「私は、ここが私のいられる場所だと思ってた。でもそうじゃないのかな。ミサオのところには、もう私の居場所は無くなっちゃうの!もう私がいられる所はどこにも無くなっちゃう!」


珠子は号泣した。


「姫、そうじゃないの。私はずっとあなたと一緒にいたいのよ。ただ、あなたがコウちゃんと一緒に暮らしたいと思っているのかと…」


「私、ママは大好きだよ。だけど、私は毎日ミサオとごはんを食べて、ミサオとお出かけして、ミサオとお家でゆっくりして、ミサオと一緒にお風呂に入って、ミサオと一緒にベッドで寝る毎日がもっと好きなの。でもミサオはそうじゃなかったんだね」


珠子は浴槽から出ると一人で風呂場を出ていった。

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