操に聞く
「タカシ、おはよう」
月曜日の朝、珠子は、いつものように外で孝が出てくるのを待ち、彼が玄関扉を開けて片足を外に踏み出したところで声をかけた。
「おお、おはよう」
フライング気味の珠子の挨拶にちょっと驚いた孝だった。
「びっくりした?驚かしてごめん」
少しでも早くおはようが言いたかった、と珠子は謝った。
「いいんだよ。気にすんな」
孝が反省している珠子と向かい合って、ポンと彼女の肩に手を置いた。
「おばあちゃんは、どうしてる?」
「うん。いつもと変わらないよ」
「そうか。なら良かった」
「タカシ、今度のお休みは一緒にどこかに行こう。ママが作ってくれたベストを着てお出かけしたい」
「おれは構わないけど、タマコは大丈夫か?」
「大丈夫って?」
「昨日、おばあちゃんが体力を使い切ったのって、前にタマコのほっぺたをつねった女がまた危害を加えようと思ったのをブロックしたってことだろう」
「うん」
「ってことは、またその女がタマコを狙うかも知れないぞ」
「そうか。でもそれを怖がったら、どこにも行けなくなっちゃう」
「確かにそうだよな。おばあちゃんに聞いてOKが出たら、出かけよう」
「わかった。いってらっしゃい」
「いってきます」
お互いに手を振った。
部屋に戻ろうとすると
「全く以て、ごちそうさま」
後ろから声をかけられて珠子は振り向く。
藍が笑顔で手を振っていた。
「藍ちゃん。おはようございます」
「おはよう。お母さん、何してる?」
「ミサオは、多分ごはんの用意をしてると思います」
「体調はどうなのかな」
昨夜、月美から昼間に起きた出来事を聞いた藍は、珠子の肩を抱きながら操の部屋の玄関扉を開けた。
「お母さん、おはよう」
珠子と一緒に部屋にあがると、藍はキッチンに顔を出した。
「あら、藍、おはよう」
簡単で珠子が喜ぶ卵かけご飯を用意していた操が笑顔を向ける。
「元気そうで良かった」
藍は母親の隣に立って、卵と混ぜたご飯と味噌汁と青菜炒めを食卓に運び、
「お母さん、ありがとうね」
「ん?」
「昨日、体を張って礼奈を帰らせてくれたんでしょう」
「ああ、別に体を張った訳じゃないけど、彼女、自分は何でここにいるんだろうって顔をして帰っていったわ」
「その前の日にも茜に声をかけてくれて」
「あの人、あなたと茜をごっちゃにしてたわよ。茜のことを、藍が雰囲気変わったって言ってた」
「何を考えているんだか」
藍がため息を吐いた。
「でもね、あの人のあんたに対する気持ちが完全に消せた訳じゃないから」
「そうなの?」
「そうよ。人の頭や心にはたくさんの引き出しがあって、経験したことや感じたこと、様々な思いがしまってあるの。昨日私がしたのは、あの人の藍に対する思いをどこかの引き出しに入れて鍵をかけたようなものなの。でも、いつか何かが鍵になってその引き出しを開けてしまうかも知れない」
「そしたら、また私に思いを寄せるかも知れないってこと?」
「そうね。でもそのまま引き出しの奥にしまい続ける可能性もあるわ。だから、あまり心配しないで」
「わかった。本当にありがとう」
それじゃ、と藍は自分のところへ帰っていった。
「姫、ごはん食べちゃって」
操が声をかけると
「はーい」
珠子が椅子に座って、スプーンと茶碗を持って卵かけご飯をぱくぱく食べて味噌汁をゴクリと飲んだ。
「おいしーい」
満足気な顔をしている珠子に
「姫、青菜も食べてね」
操が言うので、仕方なく口に運んだ。
「あっ、炒めてある!」
おひたしはあまり好きではないが、油炒めした青菜は大好きな珠子だった。
「美味しかった。ごちそうさま」
「姫、この後、私が何を言うかわかるわね」
「うん。歯を磨いて支度しなさい、だよね」
「その通り」
操が言うと、珠子は洗面所へ急いだ。
そして、幼稚園の制服を羽織りバッグをかけ帽子を被ると
「ミサオ、準備オッケーだよ」
いつもより素直に早く支度を終わらせた。
その様子を見ていた操は
「姫、私に何か言いたいことがあるんでしょう」
いい子にしている孫娘に聞いた。
「えへへ。あのね、今度のお休みにタカシとお出かけしてもいいかな」
珠子がお伺いを立てる。
「タカシ君と一緒なら構わないわよ」
操に言われて、やったぁ、と珠子は喜んだ。
「ずいぶんきちんと、私に確認をするのね」
「タカシに言われたの。昨日のことがあるからって」
「彼は、良くできた子ね。タカシ君と一緒ならいいわよ」
操からOKをもらって、週始めから週末が待ち遠しくなった珠子だった。