珠子、新年の信念(2)
珠子と柏は正月の二日、初詣に行った。が、そこで見かけたのは、珠子宛に不気味な手紙やクリスマスカードをを送った女だった。
そして珠子は、その人物と話をするために柏と一緒に追いかけた。
社務所の手前で追いつき珠子は声をかけた。
「すみません。あの、ちょっといいですか」
すぐ後ろから言ったのに相手は足を止めない。珠子はもう一度声をかけた。
「大島さん」
この呼びかけに、女は足を止めゆっくりと振り返った。今日はアクセサリーをつけておらずピアスホールが確認できた。
やっぱり。と、珠子は思った。久しぶりに訪れたカルチャーセンターの廊下ですれ違った淡い藤色のスーツを着ていた人。
受付の大田恵が書道教室の先生と言っていた人だ。「愛想がないのよね」と恵が言っていたツンとした感じの人。
「大島さん、大島かの子さん、突然声をかけてすみません。私は」
「神波珠子…さん」
かの子は、冷めた目で珠子を見下ろした。
「はい、神波珠子です」
かの子の目をしっかり見つめる。
「こちらは」
「珠子の叔父の神波柏です」
柏は軽く会釈した。
「大島かの子さん、大事なお話があります。聞いていただけますか」
珠子がかの子を見上げる。かの子は無言で珠子を睨むように見ている。
「どうしてもお伝えしたいんです」
珠子も負けずに相手を見続ける。
柏は珠子の手をしっかり繋いで、静かに二人の様子を見守った。
かの子が、ふうっと軽く息を吐くと
「場所を変えましょうか」
ゆっくり歩き出した。珠子と柏は後に続いた。
珠子と柏は大島かの子と神社のすぐ近くのカフェで向かい合って座った。
広めの明るい店内は初詣帰りの客で結構賑わっていた。人々の話し声がざわめいて、珠子とかの子の話を周りに聞かれる心配はなさそうだ。
注文した飲み物が届いたところで、
「私が生まれた時、同じ病院にいらっしゃいましたね」
珠子が話始めた。かの子は否定も肯定もしない。黙って珠子を見ている。
「私の母、鴻が分娩室に入った時、あなたの娘さん、いえ、お嫁さんの沙理奈さんも別の分娩室で出産に臨まれた」
「あなたは嫁の名前をなぜ」
「沙理奈さんは先天的な心疾患がありました。胎児に栄養や酸素をきちんと届けるのも大変だったと思われます。そして」
「待って。そんな話どこから」
「病院は違います。守秘義務を徹底されています」
おい、何だこれ。四歳の幼児の言葉じゃないぞ、と柏は思いながら珠子の話を聞いていた。
「かの子さんも沙理奈さん自身も体調に大変気を使い胎児がしっかり育つよう努力されました」
「そうよ」
「あの…あなたの息子さん、賢一さんは鬼籍に入られている」
「あなたが、どこからこの事を知ることができたのか知らないけど、沙理奈ちゃんの妊娠がわかってすぐに、交通事故で逝ってしまった。ショックで流産にならないように、私は息子が亡くなった悲しみをこらえて、何とか孫が無事に生まれるように沙理奈ちゃんの体を気遣ったわ」
「きらり」
珠子がお告げのように言い放つ。
かの子は、思わず開けた口を閉じることができないまま目を見開いた。柏も同じ顔をしてしまった。
「ごめんなさい。呼び捨てしてしまいました。きらりちゃん、賢一さんが名付けたんですね。その名前はかの子さんと沙理奈さんしか知りません。でも沙理奈さんのお腹できらりちゃんは聞いていた」
「あなた」
「かの子さん、私のおばあちゃんは、もちろんご存知でしょうが神波操といいます」
「ええ、知ってます」
「かの子さんと私のおばあちゃん、ともに『ある能力』がありますね」
「そうね」
「そして、その力は隔世遺伝で受け継がれる。必ずではないけれど高い確率で。そんなお産が、たまたま同じ産院で同じ時に…。でも、沙理奈さんは体調が急変し亡くなりました。生まれたきらりちゃんも産声をあげることはなかった。あなたはその時、別の分娩室で私が生まれたことを感じたんですよね?」
「そう。もし沙理奈ちゃんが無事に出産できていたら、私たちとあなたたちは仲のいい付き合いができたでしょうね」
かの子はすっかり冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。珠子も氷が溶けて薄まってしまったオレンジジュースをストローで啜った。
「きらりちゃんは、あの時私に話しかけてくれたんですよ」
かの子が珠子を凝視する。
「バカなこと言わないで。もう私には、私の傍には誰もいない。元気でみんなから大事にされているあなたが憎い。あなたも、きらりみたいにこの世から消えてしまえばいい」
かの子は珠子を睨み付けた。
「あんた何言ってるんだ」
柏が低い声を絞り出した。
「カシワ君」
珠子が柏に向かって、微かに微笑んだ。
そして、かの子をじっと見つめた。
「かの子さん、私が生まれた時、産声をあげることをしなかったんです」
「しなかった?できない状態だったってことじゃなかったのか?俺はそう聞いてた」
柏が思わず口を挟んだ。
「多分、カルテにはそう記されているかもしれないけど、本当はそうじゃないの。私ね、ママから生まれた瞬間、この世界が明るくて暖かくて声をあげるのを忘れてしまったの」
「忘れたって。大体まだ目は見えないはずだよな」
「カシワ君、さすがにその時は目では見えないよ。でも感じたの。感動していたの。そしたらね、きらりちゃんが私に言ったの。声を出してって」
「きらりが」
かの子が思わず声をあげた。
「はい。私はすぐにお腹から声を出して騒ぎは収まったんです。そして、きらりちゃんは続けて言ったんです。私とおかあさんは一緒におとうさんのところに行くけど、おばあちゃん、悲しまないでって。だって私たちは苦しくも辛くもないし自由なの。こっちで私たちのことをたまに思い出してくれればうれしいな。でも、私たちがいなくて寂しいと思った時は」
珠子は言葉を一度切り、かの子を見つめた。かの子も静かに珠子を見て言葉の続きを待った。
「寂しいと思った時は、おばあちゃん、あなたの両手のひらを見てって。手のひらの筋、それから指紋の渦巻きの形が十本ともよく似ているのよ、私たち。特に私とおばあちゃんは大きさ以外そっくりよ。おばあちゃんの手は私の手だよ。と」
かの子は掌をじっと見た。
「あの子はあなたにそう言ったの?」
「正確には、私の頭の中に響いたんです」
「そう。きらりが」
かの子はバッグからB5サイズのミニアルバムを取り出しあるページを開いた。そこには『命名 きらり』と記され、とても小さいけれど五本の指を伸ばした手形と足形が押された紙をパウチされたものがあった。
その小さな手を見る。珠子の言う通りだ。白く抜けている手相は自分のとそっくりだ。掌を見比べていたかの子は、その手で顔を覆った。嗚咽で肩が揺れる。
珠子は、かの子の傍に座り背中を小さな手で擦った。
かの子は手帳に住所と電話番号を記すと、そのページを破り柏に渡した。
「神波操さんにお渡しください。数々の酷い行いお許しくださいとお伝えください。改めて謝罪に伺います。そして…」
かの子は珠子を見て、
「珠子さん、ごめんなさい。あなたには怖い思いをたくさんさせてしまいました。ちゃんと罪を償います」
かの子と別れた珠子は相当草臥れたのだろう。
シロクマを背負った珠子を背負った柏は西からの日射しを浴びながら家路を急いだ。
「タマコ、おまえ凄いな」
柏は心の中で呟いた。