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お父さんみたいになりたい

「うーん、いい匂い」


珠子はキッチンでずっと鼻をクンクンさせている。チンと鳴ったレンジの扉を開けると、あの香ばしい独特な香りが漂う。

思ったより早く操の酔いが醒めてキッチンに立てたので、今夜のごはんは珠子が大好きな鰻丼だ。老舗の鰻屋『松亀』の鰻の一枚ものを半分に切って日本酒をほんの少し振ってレンチンした。

温めた鰻は大きな長焼きで二人で半分ずつでも食べ応えがありそうだ。それを三枚もいただいたので、珠子は操と鰻丼を三度も食べられると思うとスキップしたくなった。


「姫、私やっぱり今夜は鰻丼やめておこうかな。ちょっと飲みすぎちゃった」


鰻を丼のご飯の乗せながら、操が胃の辺りを押さえた。


「えー、私ひとりで食べるのぉ」


珠子は操と一緒に食べて、美味しいねぇと言い合いたかったのだ。


「そうだ」


操は壁の時計をチラリと見て、月美に連絡を入れた。すると間もなくして


「こんばんは」


孝がやって来た。


「タカシ、いらっしゃい。どうしたの?」


珠子が聞いた。


「どうしたのって、おれも聞きたい。おばあちゃん、どうしたの?」


夕食時になぜ急に呼ばれたのかと孝も聞いた。


「タカシ君、鰻食べられる?」


「鰻?多分…一度だけ食べたことがあったかな」


あまり記憶にないことだった。


「今日ねミユキちゃんのお母さんがいらしたの。で、蒲焼きをいただいたんだけど、私、お酒を吞み過ぎちゃって…タカシ君よかったら姫と一緒に鰻丼を食べてくれる」


操が頼むと


「タカシ、一緒に食べよう。すっごく美味しいんだよ」


珠子と孝は並んで丼を食べた。


「美味い!何これ」


孝が一口食べて驚いていた。


「美味しいでしょう。ミユキちゃんの実家で焼いた蒲焼きなのよ」


「美雪さんの実家は鰻屋さんなんだ。香ばしくてふっくらしてる」


珠子と孝は競うように丼を平らげた。


「タカシ君、ミユキちゃんとヒイラギの披露宴で私たちのテーブルに挨拶に来た二人の男の人、覚えてる?」


二人の前に温かいお茶を置きながら操が聞いて、孝はその時のことを思い出そうとした。柊の結婚式で孝と珠子は美雪のベールを持って歩く大役を果たした。花嫁の後ろを一緒に並んで歩いた珠子が可愛くてドキドキしたことは覚えているが、操の言った男の人たちのことはなかなか思い出せなかった。


「すらりとした人たちで、スーツが凄く似合ってたのよ」


暫く、その時のテーブルでのことを思い出していると


「ああ、美雪さんのお兄さんだって言ってた人いたね。おれのお父さんより少し年上な感じの格好いい男の人たちだった」


孝がそうだったそうだったと頷いた。


「あの人たちが鰻を捌いて焼いて、この蒲焼きを作ってる職人さんなのよ」


「えっ、職人なんだ、あのおじさんたち。確かに髪は短かったけど、職人さんって感じはしなかった。あの人たちが炭火の前で焼いて、こんなに美味しい蒲焼きを作ってるんだ」


見かけだけじゃわからないねと孝が言った。


「私、作ってるところを見せてもらったよ」


珠子は自慢気に話す。


「へえ。おれも見てみたい」


孝は職人と言う響きに憧れを持った。

彼は幼い頃、経済的に苦労したシングルマザーの月美を見ていたので、将来自分が家庭を持つ時には今の父親である柏のように、家族をしっかり養える男になりたいと思っているのだ。そのためには、資格や手に職をもつのが大事だと考えている。

来年中学生になる彼は、少しずつ自分の将来について考えるようになった。

過去に被害に遭った交通事故でリハビリを受けた時、彼は身体機能の回復を手助けする理学療法士になりたいと思った。

そして今、黙々と仕事をこなすイメージの職人にも憧れを感じたのだった。


「それじゃ近い内に美子さんのところに行きましょうか」


「行く!明日でもいいよ」


珠子が食い入るように言う。


「それは急すぎるけど年末になる前には行きましょうね、タカシ君」


「はい」


孝が返事をすると


「はーい!」


彼に負けない大きな声で珠子も返事をした。




「ただいま」


孝が柏のところへ戻ってきた。


「お帰り。美味いもの食べさせてもらったか?」


仕事から帰ってきた柏が出迎えた。


「お父さん、帰ってたんだ。おかえりなさい」


孝は言いながら、これ、と包みを父親に渡した。


「なんだ?」


「おばあちゃんが、持って行きなさいって。すっごく美味しかったよ蒲焼き」


「おっ、この包み『松亀』のか。これは贅沢だな」


「ヒイラギの奥さんの実家ってそんなに有名な鰻屋なの?」


「ああ、この辺りでは相当の老舗だな。仕事が丁寧で、その割にリーズナブルだからっていつも混んでるらしいぞ」


「へえ」


柏と孝がキッチンに行き、月美が包みを開くと


「立派な長焼きね。肉厚で大きくて」


「とっても美味かったよ」


間髪入れずに孝が言った。


「ほんのちょっとお酒を振ってレンチンすればいいって。早めに食べてくれって、おばあちゃんが言ってた」


「月美、すぐ食べよう。それで俺にも日本酒を振る舞って」


柏が甘えた声を出した。


「お父さん、キモ」


「そんなことを言うなよ」


冷たい目で見た孝を柏がギュッと後ろからハグをする。


「もう、お父さんやめろって」


孝が笑いながら手を振り解こうとした。


「はい。そこの親子、じゃれてないで。温めた鰻をいただきましょう。美味しそうよ」


月美がみんなで食べられるように包丁を入れ、山椒を振った。


「おれは、おばあちゃんのところで食べたから、お父さんとお母さんで食べなよ」


「いいから、おまえも食べろ。美味いものは、家族みんなで分け合って食べるんだ」


食卓には月美の手料理が並んでいたがそこにもう一品大きな鰻の蒲焼きが加わり、親子三人で味わった。


「おばあちゃんが年内に美雪さんの実家に連れて行ってくれるって。おれ、美雪さんのお兄さんたちが鰻を捌いたり焼いたりしてるところを見てみたいんだ」


孝が言うと


「おまえ、職人の仕事に興味があるのか」


柏が温燗を飲みながら聞いた。


「職人っていうか、資格や手に職をもつっていうか、おれ、お父さんみたいになりたいんだ。だってお父さんは一級建築士の資格を持って仕事をしてるだろう。おれ、そういうの憧れなんだ。お父さんのように家族を養ってくれて家族を大事にしてくれる男になりたいんだ」


孝の真面目な話に柏が嬉しそうに照れた。


「そうか。俺はタカシのやりたいことを応援する。そのためにもいろんな経験や、見学をするのは大切だな」


柏の言葉に孝は嬉しそうに頷いた。

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