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操、酔っぱらう

「ただいまぁ」


玄関の鍵を開けた操と珠子が小さな声で言った。静かに靴を脱ぎ、部屋の奥に行くとソファーで石井美子が寝息を立てて熟睡していた。

操が珠子を迎えに出かけた時と殆ど姿勢が変わっていない。久しぶりに熟睡できたのかも知れない。

珠子が手を洗い、制服を脱いでソファーのところに戻ると


「珠子ちゃーん、お邪魔してまーす」


アルコールの抜けていない美子が起き上がってこちらに向かって軽く右手を挙げた。


「美子さん、じゃなくて千春ちゃんのおばあちゃん、こんにちは」


珠子がちょこんとお辞儀する。


「美子でいいわよ。珠子ちゃんこっちに座って」


美子は珠子の手を取り隣に座らせた。


「美子さん、お酒飲んだの?」


「あら、お酒臭い?」


「そうじゃ無いけど、とてもご機嫌だから」


本当はお酒の匂いがしていたが、それを言うと失礼かなと思って、珠子はそう答えた。


「姫、美子さんがあなたの大好きなものをくださったのよ」


操に言われて


「なあに」


珠子は首を傾げた。そして、


「あっ、もしかして」


期待に胸を膨らませる。普段はなかなか食べられないあれかなと思ったのだ。


「そう。鰻の蒲焼きを姫にどうぞって持ってきてくださっ」


操が話し終わる前に


「やったぁ」


珠子は大喜びして


「美子さん、ありがとうございます。食べるのが楽しみです!」


美子の手をギュッと握った。


「珠子ちゃんて本当に可愛いわね。千春も早くこうやって話ができるようになるといいのに」


珠子の肩をギュッとハグしながら美子は噛みしめるように言った。


「美子さん、孫の成長はあっという間よ。千春ちゃんの仕草の可愛さは今だけのものだわ」


「うふっ、そうね。ねえ操さん、お迎えも終わったんでしょ。差しで吞みましょうよ」


美子が誘うので


「それじゃ、ちょっと待っててね」


と言いながら、操はさっき美子が飲んでいた焼酎とアイスペールとロックグラスと水割り用のグラスをローテーブルに置いた。


「姫、おやつに美味しいどら焼きいただく?これも美子さんがくれたの」


「うん。どら焼き食べる!」


「わかったわ。待っててね」


操が水出し緑茶とどら焼きを珠子の前に置いた。

美子の前には厚く切った栗蒸し羊羹とカットしたカマンベールチーズと胡瓜と蕪のぬか漬けを置き、美子は焼酎のロックを操は水割りを、珠子は水出し緑茶のグラスを持って


「カンパーイ」


と、みんなで言った。

焼酎の水割りをゴクンと飲んだ操はアルコールが喉に流れていく感じを久しぶりに味わった。そして間もなく膝の辺りがドクンドクンと脈打つのを感じた。それと同時に頭の中がふわっと軽くなり、顔の筋肉が緩むせいか何だか笑いたくなった。

どら焼きを頬張りながら珠子がこちらをチラリと見た。


「ミサオ、なんかご機嫌だね」


「そうね。なんか頭がくるくるして気持ちいいの」


にこやかに操が言う。


「操さんは明るいお酒なのね」


美子はグラスの氷をカラカラ鳴らしながら言うと


「美子さんは豪快なお酒かな」


操がうんうんと頷きながら微笑んだ。

そんな操をチラチラ見ながら、珠子は大丈夫かなぁと心配になった。

操がお酒を飲むところを初めて見たのだ。

珠子の隣で羊羹を頬張りながらロックの焼酎をゴクリと飲む美子と、向かい側で水割りの焼酎をゆっくり飲んでいる操とでは、何かが違う。珠子は子どもながらに、操はお酒に弱そうだなぁと思った。

そうこうしているうちに、操がソファーに倒れ込んだ。美子の隣に座っていた珠子は立ち上がると、向かい側で酔い潰れた操を暫く見つめて、ため息を吐いた。


「操さん、気持ち良さそうね」


「どうしよう。このままそっとしておいた方がいいのかな」


「可愛い顔して寝てるわね。ここに、さっき操さんが掛けてくれた毛布があるわよ」


と美子は言ったが、彼女もかなりアルコールが回って動けなさそうだったので、珠子が彼女から毛布を受け取り操に掛けてあげた。


「美子さん、お水飲みますか?」


珠子が聞くと美子はくださいなと言った。

大きめのグラスに水を入れてきた珠子はアイスペールの氷を入れて美子に渡した。

美子はゴクゴクと飲んで


「ああ、美味しい。珠子ちゃんありがとう。こんな呑兵衛の私を嫌いにならないでね」


と、珠子の柔らかなほっぺたをツンツンと優しく突いた。

その時、インターホンが鳴って


「どうも。石井です。ウチのがお邪魔してすみません」


美子の夫の守之(もりゆき)が訪ねてきたようだ。

珠子が玄関扉を開けて、


「石井のおじさん、こんにちは。どうぞあがってください」


挨拶をしながら守之を奥に連れて行った。

ソファーで寝ている操と、その向こう側で楽しそうな顔をこちらに向けた美子を見て


「珠子ちゃん、ウチのが迷惑をかけてゴメンね」


と、守之が申し訳なさそうな顔をこちらに向けた。


「迷惑じゃないです。ミサオが凄く楽しそうにしていました。それよりおじさん、私の大好きな蒲焼きをありがとうございます。今晩早速いただきます」


珠子は満面の笑みでお礼を言った。


「あんたは本当に良い子だね。今度はウチに食べにいらっしゃい」


「はい」


元気よく返事をした珠子の頭を撫でながら、


「美子、テーブルの上を片づけて帰るぞ」


と言った。


「テーブルはそのままで大丈夫です。石井のおじさん、美子さん、今日はごちそうさまでした。美子さん、またミサオとお話してください」


珠子はちょこんとお辞儀をした。


「珠子ちゃん、こちらこそありがとう。操さんにいっぱい私の話を聞いてもらったの。気持ち良さそうに寝てらっしゃるから、このまま失礼するわね」


かなりアルコールの回っている美子はゆっくり立ち上がり、守之に支えられながら玄関に向かった。


「それじゃ、お邪魔しました。珠子ちゃん今日は本当にありがとうね。操さんによろしく伝えてね」


「また来てください。おやすみなさい」


珠子が手を振ると石井夫婦も手を振りながら玄関を出て行った。

外で車のドアの開閉音がしたのを確認して、珠子は玄関の鍵をかけた。

そして操の元に戻ると、テーブルの上のものをキッチンに持って行った。操と美子が使ったグラスは落とさないように慎重に運んだ。

テーブルが片づくと


「ミサオ」


声をかけた。

うっすらと目を開けた操は


「ひ…め」


手をこちらに差し出した。


「ミサオ、大丈夫」


珠子がもう一度声をかける。

操がゆっくり起き上がると


「姫!」


珠子をギュッと抱きしめた。


「ミサオ、ちょっと苦しい。お水持ってきてあげる」


「うん。お水ちょうだい」


ちょっとお酒臭いと思いながら、珠子は大きなマグカップに水と氷をを入れて操に渡した。


「ありがとう」


マグを傾けて操が美味しそう水を飲む様子を珠子がじっと見つめた。


「ふうー、美味しかった」


操が水を飲み干して氷も口に入れて空になったマグカップをテーブルに置くと


「姫!」


また、珠子がギュッとされた。


「ミ、ミサオ」


珠子が何とか声を出す。


「なあに」


「ミサオもストレスが溜まってるの?やっぱり私のせい?」


「えっ」


珠子の言葉に操が手を緩めて少し距離を置いて孫娘の顔を見た。


「何を言ってるの」


「美子さんはストレスが溜まると、羊羹をかじりながら焼酎を飲むんでしょう。ミサオも今、ストレスが溜まってるの?だからお酒を飲んだの?」


「姫、お酒はね楽しい気分の時にも吞むのよ」


「そうなの?」


「そう。私は傍に姫がいて、今日は久しぶりに美子さんに会えて嬉しかったの。だから彼女と一緒に吞んで私も楽しい気分になったの」


「本当?」


「本当よ。私から暗い辛い雰囲気を感じる?」


「うんん、感じない。緩ーい感じがする。なんか楽しそうだね」


「でしょう」


操は、今度はそっと珠子を抱きしめた。


「姫は私に負担をかけてるって思い込んでるけど、大きな誤解だわ。私はね、少しの時間でもあなたと一緒にいたいのよ。姫は私が草臥れてるって思ってるみたいだけど、それは加齢よ。カレイって言っても華やかって意味じゃないわよ。年を取ってるってこと」


「今日のミサオはとってもおしゃべりだね」


珠子が笑った。


「だって、気持ち良く酔っぱらってるんだもの」


「ミサオ、それでも飲みすぎには気をつけて」


珠子が操の首にしがみつきながら言った。


「姫、私を心配してくれてるの?嬉しい!」


「うん」


珠子はそう返事をしながらも本当は、今夜、操の酔いが醒めてちゃんと鰻を温めてくれて美味しく食べられるか気になったのだった。

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