珠子と手を繋いで
「ただいま。ミサオ、大丈夫?まだお熱あるの?」
幼稚園から帰ってきた珠子は玄関で靴を脱ぎ捨てるようにして走って部屋の奥へと向かった。
彼女の靴を揃え、月美も部屋にあがり奥へ進む。
操は寝室のベッドではなく、ソファーで横になっていた。額に濡れタオルを置いて毛布を掛けている。
「ミサオ、調子はどうなの?ベッドで寝た方がいいよ」
「姫、お帰り。月美さんありがとう」
操が怠そうに口を開いた。
「お義母さん、珠子ちゃんはウチで預かりますから、寝室で休んでください。何か飲みますか」
月美が聞いた。
「冷たい麦茶をもらえるかしら」
操が頼むと月美は頷きキッチンへ行った。
冷蔵庫からペットボトルを取りキャップを開け、ストローを挿して操の口元に持っていくと操は美味しそうに吸った。
「おでこのタオル、冷やしてくるね」
珠子は温くなった濡れタオルをキッチンで流水に浸して小さな手で何回も絞り操の額に置いた。
「ああ、冷たくて気持ちいい。姫、ありがとう」
「ミサオ、お願いだからベッドで寝て。私、ずっと傍にいるから。毎日の送り迎えで疲れちゃったんだね。ごめんなさい」
珠子は泣き声を上げた。
「そうじゃないわ。十月なのに暑かったり涼しくなったりで体がびっくりしただけよ。私、デリケートだから」
操は珠子の手を握った。熱い、と珠子は思った。
「ミサオ、お熱あるよ。お薬飲んだ?」
「ええ、横になる前に総合感冒薬を飲んだけど、そろそろ二回目を飲んだ方がいいかな」
ちょっと待ってくださいと月美が言う。
「お義母さん、何も食べてないんじゃないですか。今お粥を炊いているからもう少し待ってくださいね。薬は食べた後にしてください」
「月美さん、ありがとう。姫をお願いしていいかしら」
「はい。お預かりします」
「ミサオ、私、ここにいて看病するよ」
珠子は操の手を握り続けた。
「姫、ありがとう。でも孝君と一緒にいてくれた方が安心して休めるの。月美さんのところにいてくれるかな」
優しく操がお願いと言った。
そして
「私がただの風邪なのは、わかるでしょう。姫なら感じ取れるわね」
確かに操は風邪の症状だけで他に重篤な病を感じられない。それを理解した珠子は、コクンと頷き
「わかった、ミサオ。帰ってきた私を出迎えようと思ってソファーにいたんでしょ。無事に戻ったから、もうベッドで寝てね」
「はい。月美さんのお粥を食べたら寝室で横になるわ。姫の顔を見たらお腹が空いてきた」
操が笑って体をゆっくり起こした。
「お義母さんお待たせ。鰹だしで炊いた玉子粥です。熱いからゆっくり食べてくださいね」
「ありがとう。ああ、鰹節の匂いがする!鼻づまりが回復したのかしら」
そう言いながらスプーンでふうふうしながらゆっくり口に運んだ。
それを見て珠子と月美は顔を見合わせてほっとした。
操は小丼一杯分のお粥を綺麗に平らげ、薬を飲んでベッドに入った。寝息を確認すると、月美は珠子を伴って自分の部屋に戻った。
「お母さんお帰り。おっ、タマコ」
孝が玄関で二人を出迎え、元気のない珠子の手を取った。
「タカシ、お邪魔します」
「なんだよ、随分他人行儀だな」
硬い表情の珠子見ながら肩を抱く。
すると珠子は声を上げて泣き出した。
「ど、どうした?」
珠子の様子に孝は驚き
「お母さん、おばあちゃんはかなり具合が悪いの?」
と、聞いた。
「多分大丈夫よ。珠子ちゃんの顔を見たら落ち着いたみたいで、お粥を食べて薬も飲んで休んでるわ。時々様子を見に行ってくる」
寒暖差で疲れちゃったみたいよと、月美は答えた。
「その割にはおまえ、元気がないじゃん。どうしたんだよ」
「ミサオが疲れたのは、私のせいなの」
俯いている珠子は泣きじゃくりながら言った。
孝は珠子とソファーに座って彼女の話を聞いた。
「毎日、毎日、幼稚園に送り迎えをして草臥れちゃったんだよ。私が歩くのが下手ですぐ転ぶから、いつも気を使ってくれて疲れちゃったの。絶対そうだよ」
「おまえ、前にも同じことを言ってたな。夏休みに入ってすぐに、一人で幼稚園に行こうとして大変なことなっただろう」
珠子は一人で幼稚園に向かい、道を一本間違えて迷子になり熱中症で倒れたのだった。
「うん。私一人では何にもできなくて、結局、ミサオに迷惑をかけちゃうの」
「一人でできなくて当たり前だろう。タマコはまだ6歳なんだぜ」
「わかってる。でもね私、感じちゃうの。ミサオが疲れてるの」
「じゃあさ、疲れるのがタマコのせいだっておばあちゃんが思っているのを感じるのか?」
「ううん。その気持ちは感じられない」
「だよな。それは、特別な能力がないおれにだってわかるよ」
孝の言葉に珠子は顔を上げる。
「おばあちゃんは、おまえと手を繋いで一緒に歩くことが嬉しいし幸せだと思っている。おれにはそう感じるけどな」
「私も孝の言う通りだと思うわよ」
月美が手作りのオムレツケーキの乗った皿を持って二人のもとに来た。
「お義母さんはきっと、来年の四月になったら珠子ちゃんと毎日手を繋いでいつもの道を歩くことがなくなって寂しくなるなって思ってるんじゃない」
「そうかなぁ」
珠子は月美を見つめる。
「そうよ。私、珠子ちゃんと手を繋いで帰ってきたでしょう。あなたが小さな手で私の手をぎゅって握ってくれて、なんか心が暖かくなったの。お義母さんは毎日こうやって過ごしているんだと思ったら、凄く羨ましくなったわ」
「おれも、そう思う。珠子と手を繋ぐと、なぜか優しい気持ちになるんだ」
月美と孝に言われて、珠子は少し笑顔になれた。
悩んでいた気持ちが軽くなり、それと同時にぐうーっとお腹が鳴った。どうやら、いつもの食いしん坊に戻ったようだ。
彼女のお腹の音に、月美が皿を差し出した。
「オムレツケーキを召し上がれ」