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吉田正子の困惑

操・珠子・孝が商店街に向かっていると、その入り口辺りで誰かが騒いでいる声が聞こえてきた。男の声だった。

珠子と孝の後ろを歩いていた操は、二人の歩みを制して自分が前に出た。

商店街の入り口に店を構えている吉田精肉店の真ん前で小柄で痩せた中年の男が叫んでいた。興奮しているのが見て取れたが、男の言っている内容は操には聞き取れなかった。ただ、男に応対している精肉店の看板女将の吉田正子(まさこ)が困惑しているのが見えた。

好奇心旺盛な野次馬が遠巻きにその様子を眺めている。

操は後ろを向いて


「あなたたちはお肉屋さんからできるだけ離れてプリンちゃんのお店に行きなさい。用事が済んだら迎えに行くから。タカシ君、姫を頼むわね」


珠子と孝を吉田精肉店の向かい側に行かせると肉のショーケースの向こうで困り果てている正子に目配せした。

操の姿を見つけた正子は、目で参ってると訴えているようだった。

それを受けて、野次馬たちの間を縫って肉屋に行きそこのショーケースを物色するように見ながら、操は騒ぎ立てている男の前に立った。


「なんらー。おばざん、じゃまら!うぉれのまぇにとぁつな!」


男が操に向かって怒鳴りつける。彼女はそれを無視してケースの肉を見続ける。

男からはかなりの酒臭さが漂っていた。


「うぉい、ばばぁ、きこぇなぃのらー。どくぇ!」


男が操の肩にぐっと手をかけたので、それを振り解き


「アンタは何様なの?」


と、睨みつけた。珠子より強力な眼力を持つ操の圧は、男の目を焼くような衝撃を与える。もちろん手加減をしているので催涙スプレーを軽くシュッとしたぐらいのダメージだ。


「うっ」


男は両目を手で覆い(うずくま)った。


「正子ちゃん、大丈夫?」


操が本人にだけ聞こえるぐらいの声で聞くと、正子は小さく頷いた。


「正子ちゃん、悪いけど冷たーいおしぼりもらえる」


操に言われて正子は冷水で濡らしたタオルを持ってきた。


「ありがとう」


濡れタオルを受け取ると操はそれをしゃがみ込んだ男に差し出した。


「酔っぱらいおじさん、これで目元を押さえて」


男は手を出してこない。

仕方がないので、目を押さえている手を掴みタオルを無理矢理持たせた。


「タオルが冷たいうちに目に当てた方がいいわよ。そうすれば楽になるわ」


操の優しい声に男は従った。


「この人、常連さん?」


正子に聞くと


「初めて見る人だわ」


と首を横に振る。


「おじさん、名前教えて」


操が尋ねるが何も言わない。

野次馬の人数が大分減った頃、四十代ぐらいの大柄な女の人がこちらの様子を窺いながら近づいてきた。


「あら、沢田さん」


正子がその人に気がつき声をかけた。

沢田と呼ばれた女の人は軽く会釈をすると操の傍で蹲っている男の肩に手を置いた。


「あなた」


「ええっ。この人、沢田さんの旦那さんなの」


目の前のことに正子が声をあげた。

その声に女の人が


「あの、ウチの(ひと)が何かご迷惑をおかけしていたんでしょうか」


と聞いてきたので


「この酩酊おじさんが、こちらのお肉屋さんの女将さんに絡んでいたんです」


操はまだタオルで目元を押さえてしゃがみ込んでいる男を見ながら説明した。


「吉田さん、主人がご迷惑をおかけしたようですみません」


沢田の妻が正子に謝罪した。

そして、


「あの…主人は、何を言っていたんでしょう」


消えそうな声で聞いた。


「実は私もこの人が何に腹を立てていたのか、わからないの。文句を言ってるみたいな雰囲気だったけど、呂律が回ってなかったから聞き取れなくてね」


正子は相変わらず困惑した顔をしている。


「ええと、沢田さん」


操が酔っぱらいの奥さんに声をかけ、何かを耳打ちした。

途端、彼女は操にお辞儀をした。そして、正子にも頭を下げて


「吉田さん、ごめんなさい。後日、改めてお詫びに伺います」


と言って、まだタオルで目を押さえている夫を抱え起こしその場を去っていった。

ふうーっと大きく息を吐いて正子が操を見た。


「操さん、結局、何が起きたのかわからないんだけど、とにかくあなたがいてくれて助かったわ」


「あの小柄な酔っぱらいは正子ちゃんに何を言おうとしてたのかしらね」


操も首を傾げる振りをした。

だが実際は、あの沢田という男の気持ちを操は感じ取っていた。彼は自分の奥さんが正子から言葉の暴力を受けたと思い込んでいたのだ。それは、かなり大柄な沢田の妻が正子とお互いの体型の悩みを冗談交じりで話したという内容を彼が聞いて、何を勘違いしたのか正子が妻に酷いことを言っていると思い込んだのだった。愛妻家の沢田は正子に文句を言ってやろうと思い立った。素面(しらふ)では言いたいことを上手く言えないと考えたのか彼は酒の力を借りようとして、結局酒に吞まれたまま正子と向かい合ったのだ。

つまり、蚤の夫婦の優しい夫が勘違いした。ただそれだけの事だったのである。

一応、沢田の妻には、彼の勘違いと愛妻のことを思うが故にこんな状況になったと伝えた。


「まあ、大事にならずに事態が落ち着いて良かったわね」


と、お互い同じことを言った。

そして操は、本来の目的を伝えた。


「ところで正子ちゃん、豚ロースのしゃぶしゃぶ用を三百と、鶏モモ肉のぶつ切りを二百、それから姫の好きなバターコーンコロッケを三つちょうだい。帰りに寄るからヨロシクね」

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