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ハイツ一ツ谷のホッとな日常  作者: モリサキ日トミ


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ママとハグ

『ハイツ一ツ谷』の201号室では、珠子の母の神波鴻と珠子の弟の元太が暮らしている。珠子の父、神波源は単身赴任中で夏と冬の休暇や家族の行事がある時に戻ってくる。

鴻はとても優しく内気な女性だ。

彼女の夫、源との出会いは彼女が生まれて間もない頃だ。0歳の乳児だった鴻は神波家の門の前に置き去りにされ、操に保護された。そして神波家の養女になったのだが、その時、当時1歳だった源と初めて会った。もちろん鴻は出会った時のことなど記憶にない。しかし源は彼女から離れず、ずっと傍にいた。

彼は、鴻のおむつ替えや入浴時には常に操の隣で見守っていた。そして、操の夫で彼の父親の(じん)には絶対に鴻のおむつ替えなどをさせなかった。父親とはいえ、彼女を触らせたくなかったのだ。

そんな源のことを、もの心がついた頃には鴻も大好きだったようだ。つまり珠子の両親は幼くして相思相愛だったのだ。

やがて二人は、源が社会人になったタイミングで新しく籍を作った。結婚をして相変わらず仲睦まじかったが、なかなか子どもができなかった。

そしておよそ八年後、念願の第一子である珠子が生まれた。つぶらな瞳の可愛い女の子だ。ただ、珠子は特別な能力を持って生まれたため、彼女の発する雰囲気に鴻は恐怖を感じてしまった。

珠子が生まれる二年前に、神波家は元々住んでいた重厚な純和風建築の彼らの家から、二駅ほど離れたところにある操の実家だった土地に新しく建てた『ハイツ一ツ谷』に移り住むことになった。

それは更に遡ること二年前に操の夫の神波仁が亡くなり、相続の話し合いで今までの住まいを寄付同然に、ある公的機関へ売却したためだ。

そして、この201号室で鴻は珠子と二人で過ごした。真下の101号室には鴻の義理の母でこのアパートの大家である操が暮らしている。その横の102号室には鴻の義弟の柏と柊が、更にその真上で鴻の部屋の隣の202号室には義理の妹で双子の茜と藍が住んでいた。

つまり神波家の面々は、今まで通り一つ屋根の下で生活をしているのだ。しかし、前の一戸建ての家屋で暮らしていた時より家族同士で顔を会わせることが少なくなり、その分、鴻は珠子と二人きりで過ごすこととなる。珠子の目は常に鴻を捉え瞬きもせず見つめ続けた。鴻はそんな珠子と目を合わせることができず、精神が不安定になっていった。

操は、そんな鴻の様子を察し一日の殆どを201号室で過ごした。

珠子の持つ能力は隔世遺伝で操から受け継がれたものだった。それ故、珠子は操の手で育てた方が、珠子のためにも鴻のためにもになると考えた。そこで、母乳の授乳から離乳食に切り替えた時点で源とも話し合い、操が珠子を預かって育てることになった。

それから五年後、源と鴻は新たな命を授かり元太が生まれた。彼は元気いっぱいな男の子で、鴻も普通に育てることができている。もう間もなく1歳になる元太は腕白過ぎて目が離せないのが、今の鴻の悩みである。

月曜日の今日は運動会の代休で、珠子と孝は特に用事がなかったので、暴れん坊・元太の面倒を見ようと二人で鴻のもとを訪れた。後から操も顔を出すようだ。

元太は孝が大好きだ。姉の珠子も好きだが、孝の姿を見つけると全身で喜びを表現する。


「うきゃー!たあー、たあー」


「元太、ご機嫌だな」


鴻の部屋の玄関扉を開けた孝に、奥からタッタッタと走って来た元太が抱きつこうとダイブした。


「バカ!危ないよ元太」


反射神経のいい孝は急いでしゃがみ、ガシッと元太を抱きかかえた。


「たあー、たあー」


孝の腕の中の暴れん坊は、満足したのか落ち着いたようだ。


「ホント、元太はタカシが好きだね。抱っこされて羨ましいな」


珠子はちょっとヤキモチを焼いた。

子どもたちのやり取りを見て、鴻があははと笑いながら、


「孝君も珠子も入って」


部屋の奥へ誘った。

孝は元太を抱いたまま靴を脱いで奥へ進んだ。珠子は彼の靴を揃え、自分も靴を脱いであがった。


「珠子、キッチンに来て」


鴻が呼ぶ。


「はーい」


珠子がキッチンに行くと、鴻が両膝を床につけて両手を広げていた。


「ママ…」


「珠子、ハグさせて」


鴻がおいでと言う。


珠子も両手を広げると鴻に抱きついた。


「珠子、大きくなった」


「本当?」


「ええ。お姉さんになってる」


「ママの匂いだ。ママ…」


「珠子、大好きよ。それなのに私、意気地がなくてごめんね」


「ママの気持ちはわかってるよ。私もママが大好きだよ」


珠子は鴻が大粒の涙を流していることに気づいた。


「ママ、泣かないで。美人が台無しになっちゃう」


「珠子、誕生日のお祝いも、運動会の応援もできなくて、ダメなママでしょ」


「ママ、プレゼントちゃんともらったよ。私こそお礼を言ってない。ママ、ありがとう。私の大事なぬいぐるみにちゃんと着せたからね。もう少し寒くなったら私も着て幼稚園に行くね」


鴻はピンク色の柔らかなモヘアの毛糸で、珠子と彼女のシロクマのぬいぐるみ用のベストを編んでプレゼントしたのだ。


「きっと、珠子に似合うと思うわ」


「うん。世界に一つのベスト、とっても嬉しい。それとね、運動会はね、あんまり見て欲しくなかったから全然気にしなくていいの。私、駆けっこビリだったし」


「ママも走るの苦手だったのよ。変なところが似ちゃったね」


「ママと同じなら足が遅くてもいい。ねえママ、もうちょっとこうしていていい?」


珠子は更にギュッと鴻にしがみ付いた。


「もちろんよ。私の珠子、愛してる」

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