植物園(2)
『フラワ・ランド』の植物園で、珠子と孝はのんびりしていた。二人は並んで芝生の丘に寝転び真上を見つめた。
「タカシ、お空にお魚がいるよ」
珠子は青空の高いところに広がる雲を見て指をさす。
「鱗雲だね。あれって季節の変わり目に現れやすいって聞いたことがあるよ。地上はまだ夏みたいに暑いのに、空は秋に変わっているんだね」
孝も珠子と同じ方向を見ながら言った。
「お空は秋なのね。どうりで…」
とろんとした眼差しで珠子が話す。
「どうりで何?」
孝が横を向いて珠子を見つめる。
「お腹が減るんだなぁ」
と言う食いしん坊に
「おまえは、色気がないなぁ」
孝が苦笑いする。
「お色気ビームなら送れるよ」
珠子が孝を見つめる。その眼差しにドキッとしながら、本当に可愛いやつだなと思う孝だった。
「よし、フードコートに行くか?」
体を起こして孝が聞くと、
「うん。焼きそば食べる!」
珠子も起き上がって元気に答える。彼女はここの焼きそばがお気に入りらしい。
二人は立ち上がって、お互いの背中とお尻についた芝生をパンパンと叩いて落とし合った。抱っこするようにお腹で向き合っていたシロクマリュックを背負い直して珠子は孝と手を繋ぎフードコートへ向かった。
それを物陰からずっと窺っていた女が二人の後を追う。
お昼にはまだ時間があるせいか、フードコートは思ったより空いていた。
「フラワ・ヤキソバでいいのか?」
カウンターの上部に写真入りで表示されたメニューを見ながら孝が確認した。
「うん。あと、クリームソーダ!」
珠子が元気な声をあげた。注文カウンターのスタッフにも聞こえたようで、
「お伺いしますよ」
と、こちらに笑顔を向けた。
孝は同じものを二つずつ頼んで受け取ると、窓側の席に運んだ。
珠子と向かい合って座り
「いただきます」
微かにオイスターソースが香る焼きそばを頬張った。
「美味しいね」
珠子はこの味が気に入っているようだ。
「タマコ、誰も横取りしないから、ゆっくり食べなよ」
孝は彼女の豪快な食べっぷりに圧倒された。
「私、そんなにがっついている?」
「ああ。口の周りにソースがついてる。ちょっと待ってな」
孝は立ち上がると、紙ナプキンを持って戻ってきた。それに紙コップの水をつけて、珠子の口元についたソースを拭き取ってあげた。
「ありがとう」
恥ずかしそうに彼女は言って、箸で摘まむ焼きそばの量を少し減らした。
そんな二人のやり取りを、やや離れた席から凝視していた女が大きなトートバッグを肩にかけ立ち上がった。
ぺろりと焼きそばを平らげ、ストローで吸い込んでは喉に刺激的と言いながらクリームソーダを飲んでいる珠子と、それを見て呆れた顔をしている孝の前に、トートバッグの女がやって来た。
「こんにちは」
突然声をかけられて、孝が身構える。
「お食事中、急に声をかけてごめんなさい。私、こういう者です」
女が二人に名刺を渡した。
そこには、
オフィス・カレン
スカウト部門
小山田 芳美
と記されていた。
孝は名刺をまじまじと見て、そのあと珠子を見つめた。
「小山田さん」
珠子が女を見る。そして、言った。
「小山田さん、さっきから私たちの後ををつけていたのは、あなたですね」
珠子の言葉に一瞬たじろいだ小山田は、深く息を吐いて笑顔を作った。
「はい。お二人の様子を拝見してました。とても仲良しでいらっしゃる。ご兄妹ですか?」
孝は女の質問には答えず、
「おれたちは、二人で楽しい時間を過ごしているんで、邪魔しないでもらえますか」
迷惑ですと、はっきり言った。
「お邪魔をしてごめんなさい。少しお話を伺いたくて」
しつこく話そうとする小山田に
「彼女は、あなたと話をしません」
孝はテーブルの上で珠子の右手をしっかりと握り、小山田を睨んで拒絶の意思を示す。珠子はおれが守る、そう思った。
「いえ、お話を伺いたいのは、お兄さん、あなたです」
「はい?」
予想外の話の流れに孝は戸惑った。
「お兄さんは小学六年生ですね。実は昨日の運動会を覗かせてもらいました。あなたの顔立ちとスタイルと身のこなし、素晴らしいです。私どもの事務所に是非いらしていただけないかと」
まくし立てるように迫る小山田に孝は何も言えなかった。
その時、
「小山田さん」
珠子が名刺を見ながら口を開いた。
「はい」
小山田は珠子を見る。小学一年生ぐらいだろうか。可愛い顔に眼力の強さを持つこの少女もスカウトしたいと思った。
「小山田さんはオフィス・カレンの人ですよね」
「ええ。そうです」
「社長の桐山さんは、このことを知っているんですか?」
珠子の問いに驚いた小山田は
「あの…、お嬢さんはウチの桐山をご存知なんですか?」
思わず質問で返した。
「はい、桐山圭さんですよね。それで社長さんは、このことを知っているんですか?」
珠子は同じ問いを繰り返した。
「いえ、彼のことを具体的には伝えていません。とても素敵な人を見つけたとは言いましたが」
桐山と珠子の話を聞いていた孝は、過去に珠子がスカウトマンからしつこく声をかけられていたことを思い出した。
「それなら、社長さんに神波珠子と伝えてください。きっとかかわるなと言いますよ」
珠子は小山田の目をじっと見つめて言った。なぜか背筋に悪寒を感じた小山田は慌てて目を伏せた。
「小山田さん」
今度は孝が声をかけた。
「おれたち、今までに何度も危険な目に遭ったり、つきまとわれたりしたんです。警察も頻繁に巡回してくれるほどのことでした。だから、そっとしておいて欲しいんです」
きっぱりと彼は言った。
先ほどから悪寒の止まらない小山田芳美は、
「お寛ぎのところ、お邪魔しました」
と逃げるようにその場を去った。
その後ろ姿を見ながら
「タカシ、やっぱりカッコイイんだね。プロからスカウトされるんだから」
「おれには関係ないよ」
すっかりアイスが溶けて炭酸も抜けた、少し前までクリームソーダだった飲み物を孝はズズッとストローで吸った。
フードコートを出た二人は熱帯植物の温室に入った。
むせ返るような微かに青臭く甘い香りが漂っている。
「ここは真夏みたいだね。南の島は、こんな匂いがするのかな」
珠子はおもいきり息を吸い込んで花々が放出する匂いを嗅いだ。
「結構匂いが強いな。ちょっと酔いそう」
孝は呼吸を浅くしながら言う。
「タカシ、またタカシをスカウトしようとする人が出てくるのかな」
珠子は不安げな顔で孝を見る。
「そんなことないよ。今日は、物好きな人が声をかけただけだ」
孝は珠子と手を繋いで
「おれは、将来、お父さんみたいに家族をいつも思いやってちゃんと養っていける男になりたいんだ。そして、その家族と静かにのんびりと暮らしたい」
自分の思いを話した。
「その家族って、私かな?」
珠子がキラキラした瞳で見てくる。
「そうだったら良いなって思ってる」
恥ずかしそうに孝は言った。