植物園(1)
「タマコ、明日さ、久しぶりに『フラワ・ランド』に行かないか」
運動会の帰り道、孝が彼の腕に抱きついている珠子を誘った。
この夏、『フラワ・ランド』で変質者に襲われ、自身で犯人を退治した珠子は、パーク内のセキュリティー不備のお詫びにと、珠子と孝用の年間フリーパスをもらったのだった。
明日も天気が良さそうなので孝がデートに誘った。彼自身も運動会での大役を果たして羽を伸ばしたかったのだ。
「行きたい!『フラワ・ランド』にタカシと行く!」
嬉しそうに珠子が返事をした。
「姫、私も一緒に行こうか」
と操が言ってみたが、
「大丈夫」
と珠子に断られて少し落ち込む。
「タカシ、絶叫マシンに乗れるようになったのか」
柏に聞かれ、
「うーん、それはちょっと」
孝が口ごもると
「大丈夫」
と珠子が答えた。
「私、明日は植物園の方に行きたいの」
「そうなのか?」
いつもお腹がひゅーっとなる乗り物に乗りたいと言っている珠子らしからぬリクエストに孝が驚く。
「うん。なんかお花が見たい気分なの」
「どうしたんだ?タマコっぽくないことを言って」
柏も、いつもの珠子とは違うじゃんと思い、どこか具合が悪いのかと心配した。
「日曜日だから遊園地は凄く混みそうね。植物園の方がゆっくりできるんじゃない」
月美は珠子の気持ちを察した。
「さすが、月美さん。よくわかってる。私、タカシとお花を見ながらのんびりしたいの」
と、子どもらしくないことを珠子が言う。
「私は、やっぱりお留守番なのね」
操が寂しそうな顔で呟いた。
翌日も朝から快晴だった。
「タマコ、おはよう」
孝がインターホン越しに呼びかける。
「おはよう!」
元気よく言いながら珠子が扉を開けた。
「おっ、お揃いだ」
孝が笑う。
二人とも先日の誕生日にプレゼントされたネーム入りのTシャツにデニムのボトムだった。珠子はピンキッシュオレンジにポップ柄が描かれたTシャツとデニムのフレアースカート、孝はブルーグリーン地に同じ柄のTシャツとストレートジーンズを履いている。
「気が合うね」
珠子が嬉しそうに笑う。
「だけど、シロクマリュックは背中が暑いんじゃない」
「だってお気に入りなんだもん」
「おまえが辛くなければ構わないけど。フリーパスは持ったか?」
「持った。落とさないようにチャックの付いたポケットに入れた」
珠子はシロクマのお腹を開けてファスナーポケットの中のパスを見せた。
「タカシこそちゃんと持ってるの?」
珠子に聞かれた孝はボディバッグのフラップポケットを開けて、パスを見せた。
「タカシ君おはよう。姫を頼むね」
玄関に顔を出した操に
「おはよう、おばあちゃん。タマコは任せて」
しっかりと答えた孝は珠子と手を繋ぎ
「いってきまーす」
と、元気にアパートを後にした。
「いってらっしゃい」
操は寂しげに二人の後ろ姿に手を振った。
電車に乗った珠子と孝は、
「結構混んでるな」
座席脇のポールに掴まりながら孝が車両内を見渡した。
「みんな『フラワ・ランド』に行くのかな」
珠子もキョロキョロする。
確かに親子連れが多い。
「日曜日だもんな。おれたちが降りる駅でみんなも下車するのかもな」
「そうだったら、やっぱり遊園地の方は混むね」
「そうだな」
二人が話しているところに、
「珠子ちゃん、孝君」
声がしたので、その方を向くと永井葵が斜向かいのポールを握ってこちらに手を振っていた。
「葵ちゃん!」
珠子も手を振り返す。
葵の傍には母親のレイラと初めて見る男の人が立っていた。
丁度一つ目の駅に着いて電車が停まったので、珠子と孝が葵のところに移動した。
「葵ちゃんのママ、こんにちは。ええと…」
レイラに挨拶した珠子が隣の優しそうな男の人を見る。
「パパだよ。パパ、私のお友だちの珠子ちゃんと、憧れの孝君」
葵が二人を紹介をした。
「葵ちゃんのパパ、初めまして。珠子です。こちらは私のカレシです」
と話すと
「初めまして。葵の父です。ウチの子と仲良くしてくれてありがとう」
落ち着いた声で葵の父親が挨拶した。
「珠子ちゃんも『フラワ・ランド』に行くの?」
と聞く葵に、珠子が頷いた。
「じゃあ、一緒に回ろうよ。孝君も一緒に」
普段大人しい葵がはしゃぐ。
丁度ランドの最寄り駅に到着して、みんなで下車した。
「葵ちゃん、私たち今日は植物園に行くの」
珠子は改札を出ると、そう言って孝と手を繋ぎ
「それじゃ、ここから入場するから、またね。火曜日に会おうね」
葵に手を振った。孝は彼の両親に会釈をして珠子と植物園のゲートに向かった。
その後ろ姿をずっと見つめる葵に
「さ、俺たちも行こうか」
父親が遊園地のゲートへと促した。
「葵は、孝君が好きみたい。でもその思いが届かないのよね」
レイラが葵の肩を抱いて
「今日は葵の乗りたいのを全部制覇しましょう。昨日のあなたの走りのご褒美なんだから」
優しく話すと、
「そうだな。葵の走りはまるで宙に浮いてるくらい軽やかだった。格好良かったよ」
父親も可愛い息子の髪を撫でた。
植物園のゲートを通った珠子たちは、殆ど子どもの姿が見られない園内をゆっくり歩いた。
「膝は痛くないのか」
孝が下を向くと
「もう痛くないよ。ミサオが傷跡が残らないように絆創膏を貼りっぱなしにしておいてって言うから、まだ貼ってるけど」
珠子はどっちかって言うと痒いのと苦笑いした。
「そうか。どこを回る?」
孝が入り口でもらったマップを見ながら珠子にお伺いを立てる。とことん彼女につき合うつもりだ。
「この芝生の丘でお花畑を見下ろしたい」
マップを見ながら珠子が言った。
「わかった。ちょっと上り坂を歩くぞ」
「うん。でも今日は風が涼しいね」
「そうだな。昨日より涼しくて過ごしやすいな」
手を繋いだまま丘へ向かう上り坂を歩ききると青々とした丘陵にたどり着いた。
吹く風が更に涼しい。
あまり人気もなく、珠子は
「ヤッホー」
と声をあげた。
「タカシ、気持ちいいね」
「そうだね。あっ、トンボだ」
赤とんぼがスースーと飛んでいる。
「タマコ、トンボは大丈夫か」
「うん。羽に鱗粉が付いてないから平気」
二人は芝生に腰を下ろすと、眼下に広がる秋桜を見つめた。
「綺麗だな」
「うん」
暫くの間、珠子と孝は黙って涼しい風に吹かれた。
そんな二人にスマホを向け続ける女がいた。