運動会
土曜日。快晴。
「あー、晴れちゃった」
窓から空を見上げて、珠子は悲しそうな声をあげた。
「タマコ、おはよう」
インターホンから元気な声がした。
「姫、玄関出て」
操が珠子を促した。
扉を開けるとジャージ姿の孝が立っている。
「タカシ、おはよう」
「おう。もう朝練ないから、顔を見てから出かけようと思って」
孝は少し日に焼けた顔で笑う。
「うん。タカシ焼けたね」
「そうだな。炎天下で練習したからな。おれ、アンカーだから応援してくれよ」
「うん。もちろん。大きな声で応援するよ」
「頼むな。ところで膝の具合はどうなんだ」
孝は腰を屈めて珠子の大きな絆創膏を見つめる。
「大丈夫。私も走るよ」
「応援する」
「いいよ。応援しなくて。どうせビリだから」
「タマコ、遅くてもいいから一生懸命走れ。おれは、おまえが頑張ってることを応援するんだから」
孝は珠子を真っ直ぐ見た。
「わかった」
「それじゃ、一足先に行ってるな」
「うん。いってらっしゃい」
お互い手を振った。
十月に入っても気温は高く、小学校のグラウンドでは、保護者の観覧スペースと生徒たちの応援スペースに大きなタープが設置されていた。
操は珠子を幼稚園に送り届けるとすぐにグラウンドへ向かい、柏と月美と合流して観覧スペースの前の方を陣取った。
「珠子ちゃん怪我の具合はどうなんですか」
月美が操に聞く。
「タマコ、どうしたんだ」
柏も操を見る。
「少しでも速く走れるように練習しようとしたら、転んじゃったの。アパートの玄関側で」
「コンクリートの上で転んだのか?」
「そう。両膝の皮膚がズルッと擦り剥けたのよ」
「それじゃ、相当痛かっただろうな」
柏は擦り剥いた膝を想像して眉間に力を入れた。
「でも子どもの回復力は凄いわ」
羨ましいくらい、と操は言った。
「競技に出られるんですか?」
と聞く月美に、操は頷いた。
「ダンスをやりたいから、徒競走も頑張るんですって」
第二幼稚園と第二小学校の合同運動会が始まり、ばら組の大沢賢助と六年一組の学級委員長が代表して選手宣誓をした。
最初は、ばら組の30メートル走から始まる。
園児たちはスタート地点に集まり五人ずつ整列して競技の開始を待った。
珠子は三番目に走ることになった。一緒に走る賢助が隣に並んだ。
「賢助君の選手宣誓、凄く格好良かったよ」
珠子が言うと、賢助は照れながら話した。
「昨日の帰り時間に、中山先生に急に頼まれたんだ。誓いの言葉を書いた紙を渡されたから、家に帰ってからずっと練習した」
そして、前の走者がスタートして、次は珠子たちの番だ。スタートラインに立つと
「珠子ちゃん、足は大丈夫なの」
賢助が心配してくれた。
「うん、平気!」
珠子は元気に言った。
「そうか。じゃあお互い頑張ろうね」
「うん」
珠子たちの走る番になった。
よーい、ピーッ。
珠子をはじめ五人が一斉に走り出した。が、あっという間に走る速さに差が出た。賢助はずっと先を走っている。珠子も一生懸命腕を振って前に前に足を出した。それでも他の四人とどんどん差は開く。
「姫!頑張って!良い走りしてるわよ!」
保護者の観覧スペースでは、操たちが大声で珠子を応援した。
小学生の応援席でも、孝が両手を口元に添えて
「タマコ!行けっ!走れ!いいぞ、いいぞ、よく頑張ってるぞ!」
大きな声で叫んだ。
みんなはゴールして、大分遅れて珠子もゴールした。中山先生が拍手で迎えてくれて、珠子は満足気な顔をした。
「賢助君、速かったね。あっという間に、ずーっと先に行っちゃった」
珠子がゴールで待っていてくれた賢助の傍に行った。
「おれ、走るの好きだからさ。珠子ちゃんこそ、怪我してるのに頑張ったじゃん」
「うん。やっぱりビリだったけど最後まで走れて良かった」
珠子は心からそう思った。
ばら組の30メートル走が終わると、小学一年生から順に徒競走が行われた。
小学生からは紅組白組に分かれて競技の勝敗を決める。
珠子たちも応援席に着いて、走っているお兄さんお姉さんたちを応援した。
そして、六年生が走る番になった。孝のクラスの六年三組は紅組だ。各クラスの生徒が入り混じって、紅組三人白組三人の六人ずつで走る。
孝がスタートラインに立った。
それを見て、珠子と葵と賢助が
「タカシ頑張れ!」
「孝君、頑張って!」
「孝兄ちゃん、行けーっ!」
声援を送った。
スターターの音と共に、孝を含む六人が走り出した。
孝の走りは美しく速かった。
「タカシ!タカシ!速ーい!」
珠子が大きな声で叫ぶ。
保護者の応援ゾーンからも、たくさんの声援が送られている。
「タカシ!いいぞ!そのまま行け!」
柏が大きな声をあげながら動画を撮った。
「タカシ君!カッコイイ!」
操も負けじと叫ぶ。
二人の勢いに圧倒されて、月美は心の中で孝を応援した。
100メートルを疾風のように駆け抜けた孝はダントツの一位だった。
「タカシ、凄い」
珠子は感動し過ぎて、息を呑んだ。
その後、いくつかの競技が行われ、そして珠子たち園児全員がエキジビション的なダンスを披露した。『花鳥風月』を表現したなかなか渋い動きをポップな音楽に乗せて踊る小さな子供たちに、小学生たちも保護者たちも惜しみない拍手を送った。
「姫!最高よ!」
操は珠子のしなやかな動きに感動して涙ぐんだ。
昼休憩になり、小学生は教室で園児たちは保護者スペースでお弁当を食べた。
珠子は操たちの姿をすぐに見つけて駆け寄った。
「ミサオ、カシワ君、月美さーん」
「姫、走るの頑張ったわね。ダンスもとっても美しかった」
操は目を潤ませ、汗だくの孫娘を抱きしめた。
「ミサオありがとう。でも暑い」
珠子が小さな声で言った。
「タマコ、母さん泣いてたんだぞ、おまえが一生懸命やってるのを見て。相当感動したんだな」
「本当に感動的だった。さ、珠子ちゃんお弁当食べましょう」
柏と月美が珠子を座らせた。
「タカシはここで食べないの?」
周りを見回す珠子に
「小学生は教室で食べるんですって。私たちのと同じのを持たせたから、一緒に食べてるのと同じね」
月美は、いろいろな手料理が収まったタッパーを開けて、食べてと勧めた。
珠子は、この後の応援に備えて腹ごしらえをした。と言うか、月美の料理が美味しいのでがっついて食べたのだ。
午後の競技が賑やかに行われ、最後、クラス対抗リレーの時が来た。これは六年生の四クラスの各代表メンバーが出場し、その順位で紅組白組にポイントが入る。現在、僅差だが紅組が負けている。孝のクラスが一位になったら逆転できる。各クラス五人の走者が80メートルずつ走りバトンを繋ぎ合う。孝は六年三組のアンカーだ。三組は小学生最後の、この競技を勝ちたいとクラス一丸となって練習してきた。
リレー代表者が自分の持ち場に立った。
そして第一走者が走り出した。
周りから歓声があがる。
珠子たちも大声で応援した。園児たちは紅組白組関係ないので、まんべんなくお兄さんお姉さんの走りに声援を送った。
珠子と葵と賢助は、もちろん紅組の応援をした。第四走者まで殆ど差がなく、最後はアンカー同士の競争となった。
孝は二番目でバトンを渡された。先頭との差は五メートル程。彼は最初から飛ばした。
「タ・カ・シ!頑張れ!」
珠子は声を枯らして叫んだ。
「タカシ、行け!突っ走れ!」
「孝、頑張って!」
柏も月美も我を忘れて声援を送った。操は祈るように両手を合わせて今日までの努力を発揮させてと思いながら彼の走りを見守った。
孝は目の前の走者を追い抜きトップになりそのままゴールテープを切った。
校庭中から歓声が湧き六年三組の生徒全員が孝に駆け寄った。
「よかった。凄いよタカシ」
珠子は呟いた。
結果、紅組の逆転勝利で第二幼稚園と第二小学校の合同運動会は幕を閉じた。
「私のタカシはやっぱり格好良かったね」
珠子が孝の腕に絡みつくと、
「私の…だって。タマコ言うね」
柏がニヤけた。
運動会が終わった帰り道、柏一家と珠子と操が孝の走りを回想していた。
「おれはタマコが最後まで走り切ったのが感動だったな」
孝が腕に絡みついてる珠子をしっかりと見る。悲しそうな顔をして見返した珠子が小さな声で言う。
「私の走った話はいいよ」
「なんで?おまえが一生懸命腕を振って前を向いてる姿、格好良かったぞ」
孝が真面目に話すと、操も大きく頷いた。
「私も姫の走り、良かったと思うわ。それと、ダンス。姫は表現力が優れているのね」
ベタ褒めの祖母に珠子は恥ずかしくなって、孝の腕に益々ギュッと抱きついた。孝は暑かったが、嬉しそうに珠子を見つめた。




