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珠子、久しぶりの絵手紙教室

キラキラしている。珠子は思った。

今は昼間だが、目の前の駅前広場や駅隣接のテナントビルなどがクリスマスの装飾盛り盛りで心が躍る。夜になるとイルミネーションで更に輝くんだろうなと珠子は想像する。

師走の忙しさに疲れている人もいるが、行き交う人々の七割はキラキラを纏って見える。


「姫、私から離れないでね」


操が珠子の手をしっかり握っている。


「わかってる。久しぶりのお出かけだものね」


珠子は操の顔を見上げた。

二人はおよそ二カ月ぶりにカルチャーセンターに向かっていた。前回習った先生の都合で暫く教室が休みだったのと、正体不明の誰かから珠子を守るためアパートの敷地から出ることが無かったのだ。


「ミサオ、エスカレーターで上っていい?周りのお店の飾りを見たいの」


「いいわよ」


華やかな飾り付けを眺めながら五階に着いた。カルチャーセンターの入り口ではクリスマスツリーと人の背丈ほどあるスノーマンのバルーンが二人を迎えてくれた。

自動ドアを通り抜けると正面のカウンターで受付の大田恵が笑顔でこちらを見ていた。彼女は『ハイツ一ツ谷』の住人だ。


「こんにちは。神波さん、珠子ちゃん」


「こんにちは。久しぶりに来ました」


操が微笑む。珠子も笑顔でちょこんとお辞儀をした。


「山本先生の教室、少しの間お休みでしたからね」


受講の手続きと会計を済ませると、教室まで案内をしてもらった。


「今日は多くの教室を開いているから、いつもより人が多いわ」


恵が二人の少し先を歩きながら言った。

向こうから淡い藤色のスーツを着た落ち着いた雰囲気の女性が歩いてきた。

恵が軽くお辞儀をした。向こうは頭を全く動かさなかった。

すれ違って、珠子がちらっと振り向いた。珠子の顔が正面に戻った瞬間、藤色スーツが足を止めて振り返った。


「今の方は先生ですか?」


操が聞くと、恵が声を潜めて言った。


「書道の先生です。なんか愛想がないんですよね」


絵手紙の教室に着くと、前回教えてくれた山本秋子が授業開始を待っている受講者と話をしていた。


「山本先生、受講者さんお連れしました」


恵が声をかけた。秋子先生は笑顔をこちらに向けた。


「恵さんありがとう。神波さん珠子ちゃんこんにちは」


「先生、こんにちは。よろしくお願いします」


操も珠子もにこやかにお辞儀をした。


「まだ時間があるのでここに座って待っててね」


秋子先生が手で示した席に、二人は腰掛けた。ちゃんと珠子用に座面の高い倚子が用意されていて、操と同じ目線で話ができた。


「今日の落款印(らっかんいん)作り楽しみだなあ」


珠子は嬉しそうだ。


「そうね」


操は頷いた。

本当は、ここに来ることを彼女は躊躇していた。




昨夜、娘の茜から電話をもらった。


──お母さん、ちょっと耳に入れたい話があるんだけど


「どうしたの」


──あのね、月美さんからの情報なんだけど


「うん」


──彼女、最近ね土日に駅の隣のビルの清掃をやってるの。主に五階を担当してるそうよ


「うん、うん」


──でね、火・水・木に私たちの仕事を手伝ってくれてるんだけど、先週の水曜日にね私たち一件目の仕事を終えて昼前にここに戻ってきたの。それで


「それで」


──ここのフェンスからね、アパートをじーっと見てる女の人がいたの。私がね何かご用ですかって聞いたわけ。そしたらその人サーッと早足でどこかに行っちゃったのだけど、後日、月美さんがその時の人に雰囲気が似ていた人物をカルチャーセンターで見かけたんですって


「どの辺りで?」


──廊下を歩いてたんだって。お店とかの掃除ってお客が来る前にするじゃない。月美さんも受講者がまだいない時間に掃除をしていたから、その時見たってことはセンターのスタッフか講師だと思うの


「そう。で、アパートを見ていた人の特徴ってどんな感じだった」


──それが中肉中背っていうか、キャップにサングラスっぽい眼鏡をかけていて、眉のラインがクイッと上がったきつい顔立ちで若い人ではなかったよ。お母さんくらいの年かも


「わかった。ありがとう」


──明日、絵手紙教室に行くんでしょ。大丈夫?


「うん、姫は何としても守る」


──気をつけて…じゃあね




このセンターのどこかに姫を狙っている人物が紛れているかも知れないのだ。今日は開いている教室が多いと受付の恵が言っていた。


「ミサオ、こわい顔してる」


珠子の声にはっとして慌てて笑顔をつくる。


「ちょっと考え事してた」


「始まるよ」


「うん」


正面の一段高くなっているところから講師の山本秋子が話し始めた。


「皆さんこんにちは。絵手紙教室に足を運んでくださりありがとうございます。それでは早速始めましょう。今日は落款印作りをいたします。既に印を作られた方は、こちらのクリスマスツリーを描いてください。気になったオーナメントだけを絵にしても良いと思います」


秋子先生は珠子たちの方を向くと


「落款印は白文(はくぶん)と言って押印した時に周りが朱肉の色で文字が白く抜けるものと、朱文(しゅぶん)と言って文字が朱肉色になる、皆さんが使っている認印や銀行印のようなものの二種類があります。今回は文字の部分を彫る白文の印を作ります」


珠子たちの机には十五ミリ角の印材が固定された印床と彫刻刀やニードルやトレーシングペーパーなどが用意されていた。


「刃物を使いますので気をつけてください。印床に付いているレンズ越しに見ながら作業をしてください」


そう言うと秋子先生は落款印作りをしている机を回り細かく指導をした。


「珠子さんは『TA』って彫るのが良いと思いますよ。ただ、『T』を大きく太めに『A』を斜め下にずらして、これで正方形の中に収まるわね。この文字なら下書きを反転させる必要がないでしょう。操さんは…」


「私はカタカナの『ミ』にします」


「なるほどこの文字なら彫りやすいですね。珠子さん、私と一緒に彫りましょう」


秋子は彫刻刀を持った珠子の手を握り彫り始めた。

そして、できあがった落款印を紙に押してみた。


「姫、良いじゃない」


「ほとんど山本先生に彫ってもらっちゃったけど」


「珠子さん、文字の配置が素晴らしいですよ」


先生に褒められて、珠子は恥ずかしそうな顔をした。


「帰ったら絵手紙を描いて、これを押印してリョウ君にあげれば」


操が提案すると


「うん」


珠子は顔を紅くしながら頷いた。リョウ君こと高田涼は操のアパート住人で美大生だ。珠子の憧れの人である。


「山本先生ありがとうございました」


二人は挨拶をして教室を後にした。操は気を引き締め珠子の手をしっかり握った。


「姫、せっかく駅前まで来たけど、今日は寄り道しないで帰ろう」


「うん、わかった」


珠子はこの辺のキラキラをもっと見ていたかったが、操の自分を守ろうとしている思いが手に取るようにわかるので、


「早く帰ろう」


操の手を引っ張った。

受付の大田恵に手を振って二人はセンターを後にした。テナントビルを出ると操は鋭い目つきで周りの様子を窺った。


「ミサオ、ドラマで見るSPみたいだよ」


珠子が笑いながら小声で言った。

そんな二人を離れたところから凝視する人物がいた。珠子は何かを感じたのか操と繋いだ手に力を入れた。


「姫?」


「何でもない。このまま前を向いてて」




その後、何事もなくアパートに戻った珠子と操は、昼食に操特製のバターがきいたナポリタンを食べ終わると、早速、絵手紙を描くための準備をした。


「姫、何を描くの」


「今食べたスパゲッティー」


珠子はパレットで紅と黄色の絵の具を混ぜて赤に近いオレンジ色を作り葉書に筆を走らせた。


「リョウ君がこれを見てスパゲッティーを食べたくなったらいいな」


ほっぺたに絵の具を付けた珠子は、うふっと笑った。

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