孝が思うこと
「タマコ、お母さんとおばあちゃんが戻ってくるまで、ウチにいなよ」
孝が首にぶら下げていた鍵を手にしながら言った。
「うん。ノッシーにも会えるね」
珠子は孝の手を握ったまま言った。
鍵を開ける間だけでも手を離してと言いたかったが、ぷくぷくとした珠子の小さな手を握っていたい思いもあった孝は、繋いだまま鍵を開けた。ドアノブを握って扉を開けると、
パーン、パーン、
突然破裂音が聞こえて、カラフルな細い紙のテープが珠子と孝の目の前を舞った。
「姫、タカシ君、お誕生日おめでとう!」
「おめでとう!」
操と月美がクラッカーを鳴らし、笑顔で二人を迎えた。
「お母さん、おばあちゃんと買い物に行ったんじゃなかったの?」
キョトンとした顔で孝が聞いた。
「行ったわよ。昨日二人がいない間に。今日はあなたたちに気づかれないように、お義母さんとパーティーの準備をしたの」
「そう。サプライズよ。さ、入って。二人とも汗だくじゃない。早く手を洗ってテーブルに着いてちょうだい」
珠子と孝は急かされて、手洗いうがいをすると、月美特製のごちそうが並んだダイニングテーブルの椅子に並んで座った。珠子の椅子は彼女専用の座面の高いもので、いつでもここで食べられるように常置されている。
「うわぁ!美味しそう」
珠子は卓上の料理の数々を舌なめずりしながら見回した。
「まずは、みんなで乾杯しましょう」
操が、珠子にはオレンジジュース、彼女以外はサイダーの入ったグラスをそれぞれの前に置いた。
各々グラスを持つと
「タカシ君、姫、お誕生日おめでとう。カンパーイ」
グラスを掲げ、
「ありがとう。いただきます」
孝がお礼を言った。
そして、よく冷えた飲み物を、みんなグウーっと飲み干した。
「さ、孝も珠子ちゃんも、たくさん食べてね」
月美が取り皿を配る。
一昨年まで、誕生日を意識しないで過ごしていた孝は、去年、珠子からどうしても一緒に祝ってもらいたいと懇願されて、やっと自分の誕生日を肯定できるようになった。
珠子は不思議な女の子だ。彼女の母親は彼女の視線や瞳の輝きが怖いと言うが、孝には暖かく優しい眼差しに感じる。彼女が隣にいると、なぜかその空間がキラキラと明るく感じ、落ち込んでいる時も前向きな気持ちになる。一見マイペースに見えるが、常に周りに気を使っていて、あまりの意地らしさにギュッと抱きしめたくなる。そして、珠子が我を忘れて他人のために自分の持っている能力を使い切り倒れたのを何度も傍で見た。それだけではなく、彼女自身が狙われ危険に晒された経験もした。それでも常に前向きな姿を見せてくれて、自分もかなり感化されている。
やっぱりおれは珠子が好きだ、と孝は思う。ずっと傍にいたい。
「タカシ…タカシ?……タカシ!」
隣からの声にハッとして、孝はその方を見る。
「どうしたの?食欲ないの?」
心配そうにこちらを見つめる珠子に、孝は元気に言った。
「お腹空いてる。どれから食べようか迷ってた」
「この山芋のピザ、すっごく美味しいよ。食べる?」
「うん」
孝が頷くと、珠子は腕を伸ばして一切れ取り渡してくれたので彼はすぐに頬張った。
「刻み海苔の匂いがいいね。あっさりしてる」
「だよね。月美さんの料理はホント美味しいね。あっ、もちろんミサオのごはんもいつも美味しいよ。卵かけご飯、だーい好き」
珠子の言葉に
「姫、それフォローになってない」
操が苦笑いした。
こんなやり取りを見るのも孝は好きだ。彼は神波のみんなが大好きだと心から思った。
そこそこお腹が満たされて、珠子と孝が幸せそうな顔をしていると、
「ただいま」
柏が帰ってきた。
「お父さん、おかえり。今日、早くない?」
そう言う孝の頭を手のひらで軽くタッチしながら
「今日は我が家の宝の誕生日だからな、キリのいいところで終わらせて帰ってきた」
そう言って、柏はテーブルの上を見ると、チーズ味のから揚げを摘まもうとして、月美に手を洗ってからと怒られた。大人しく手を洗って戻ってくると、キンキンに冷えたビールを珠子がグラスに注いでくれた。
「はい、そのくらいでいいよ。タマコ、サンキュー」
柏がグラスを掲げると、みんなも飲みかけのグラスを持ったので
「タカシ、タマコ、誕生日おめでとう。これからも健やかに育ってくれよな。カンパーイ」
と言って、彼は一気にグラスを空にした。
「うまっ!最高だ!」
柏は目をギュッとつぶって喉越しを堪能すると、さっき食べ損ねたから揚げを美味しそうに頬張った。
そんな柏を見ながら、彼と出会えたことが自分にとって最大の転機だったと、孝はしみじみ思った。彼は背が高くてお洒落で一級建築士という肩書きもあり一見クールな雰囲気だが、実は熱くて思いやりあがって自分のことを一番に考えてくれる、孝が一番尊敬する人だ。
柏と彼の弟の柊が、子ども食堂でしょんぼりしていた自分を何かと気にかけてくれて、この部屋に招待してくれた。
そして、珠子と操に出会うことができた。
神波のみんなは、孝を月美を大切にしてくれる。
柏は初めて孝の母、月美と会った時から気になっていたと、彼にこっそり教えてくれたことがあった。その頃の孝の母は、体調不良と貧困でかなり荒れていた。そんな彼女の苦しさ辛さを感じて、何とか自分が力になれないか、柏が考えてくれていたのを孝は知っている。もちろん柏は何も言わなかったが、彼の月美と自分に対する気持ちは痛いほど伝わった。やがて、操と珠子が孝の母が抱えていた苦しみをすっかり取り去ってくれた。
おれは今、本当に幸せだ。この世に生まれて良かったと、孝は目の前でワイワイ騒いでる家族を見ながら、心の中で叫んだ。