金子先生最後の日
新学期が始まって一週間になる。
珠子が通う第二幼稚園のばら組の教室では、担任の中山ヒロミ先生が朝の挨拶の時間、みんなに向かって話をした。
「皆さんと一緒に、この一週間楽しく過ごした研修の金子咲良先生が今日で最後になります」
中山先生の話に、ばら組のみんなは
「えーっ」
「今日でおわっちゃうのー」
「明日も一緒に遊びたーい」
口々に咲良を引き止めようと声をあげる。
ぱんぱんぱんと中山先生が手を叩きながら、みんなのざわめきを止める。
「皆さんが金子先生を大好きなのはよーくわかります。金子先生も皆さんと過ごして、とても有意義な一週間だったと思います。それでは金子先生からもお話をしてもらいましょう」
中山先生に促されて金子咲良が挨拶をした。
「ばら組の皆さん、短い間でしたが、仲良くしてくれてありがとうございました。皆さんと遊びながら、新しい発見があったり楽しいワクワクした毎日を過ごすことができました。今、こうやってお別れのような話をしていますが、今日一日、皆さんと一緒に過ごせます。最後の一日、たくさんたくさん遊んだりお話をしましょう」
咲良が泣き声にならないように、お腹に力を入れて話すと
「はーい。金子先生、一緒に遊びましょう」
ばら組のみんなも大きな声で返事をした。
自由時間には、咲良と遊んだり話をしたがる園児が集まり、彼女の隣の争奪戦が起きていた。珠子は同じアパートに住んでいて会うことができるので比較的いつもと同じスタンスだが、賢助や葵はやはり咲良の傍に行って話したがった。
お昼の給食と昼寝の時間が終わると、B3サイズの画用紙に、ばら組のみんなが思い思いの絵や名前や、名前以外の字が書ける子はメッセージを書き、中山先生が用意してくれたシールを貼った。
そして、金子先生との最後の時がきた。
中山先生がみんなを集めて、
「皆さん、金子先生からの挨拶です」
と言って、咲良が話を始めた。
「ばら組の皆さん、この一週間この教室で楽しく過ごしたことは、私の大切な宝物です。青木明君、有田さつきちゃん、出雲あきら君、岩井純一君、上田マリちゃん、大沢賢助君………」
ばら組の園児一人一人フルネームで呼んで見つめると
「みんな、みんな、仲良くしてくれて、とても楽しい時間を過ごすことができました。皆さんのことは忘れません。本当にありがとうございました」
深くお辞儀をした。
「金子先生、明日も一緒に遊んで」
「先生、明日も来て」
ばら組の園児は口々に言った。
「皆さん、静かにしてください。皆さんが書いたメッセージを金子先生にお渡ししましょう」
中山先生はそう言って、先ほどみんなの感謝の思いを書いたB3サイズの画用紙を金子先生に渡した。それを受け取った金子咲良は、大粒の涙を流しながら一生懸命笑顔を見せた。
それを見ていた珠子は、またアパートで会えるのに、その場の雰囲気に呑まれて、みんなと一緒に声をあげて泣いた。
帰りの時間、保護者たちが迎えに来て、中山先生と金子先生に挨拶をして子どもたちと帰っていく。操もやって来て、珠子に手を振った。そして、担任と並んでみんなに手を振っている咲良と目が合い笑顔で会釈した。
「咲良ちゃん、いや、金子先生こんにちは」
「大家さん、じゃなくて神波さん、こんにちは」
「金子先生、今日までなのね。お世話になりました」
操が丁寧に頭を下げると、咲良は慌ててそれを制して
「こちらこそなんです。学校で習っていた事と、こうやって皆さんと過ごした事ととでは全く違って、ばら組のみんなといろいろ遊んだりお話をしたりって事が凄く勉強になったんです。自分が想像していた以上に皆さんは色々考えたり悩んだりしてる事がわかりました。それから発想力が素晴らしくて見習いたくなりました」
珠子の手を取り握手をしながら言った。
「ここで会う金子先生は、アパートで会う咲良ちゃんとは違うんだよ。アパートではお姉ちゃんって感じだけど、教室ではすっごく大人の先生なの」
珠子は、ホントびっくり!と目を丸くして驚きを表現した。
咲良が恥ずかしそうに笑う。
「それでは珠子ちゃん、神波さん、さようなら。また明日」
「珠子ちゃん、さようなら」
中山先生と金子先生が手を振った。
「中山先生、金子先生、さようなら」
珠子も手を振って、操と幼稚園を後にした。
帰りの道すがら、操は咲良の姿を思い出しながら、
「やっぱり社会に出ると大人になるのね。預かった子どもの面倒を見るって、とても勉強になるんだわね」
しみじみと言った。前に行った遊園地で珠子とはしゃいでいた咲良とは別人と言うか成長しているんだなと思う操だった。
そして、その成長は自分の隣でスキップしている珠子にも当てはまるのだと考える。孫娘が可愛くて仕方がない祖母は今の時間が永遠ならいいのにと本気で思った。