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青空の下で考える操

喫茶店で久我愛子とお茶をした翌朝、操は古くなった手袋をはめて通路の掃除をしながら愛子の息子の久我晶がアパートの階段を下りて来るのを待っていた。


「神波さん、おはようございます」


晶が階段を下りながら挨拶した。


「おはようございます」


箒の手を止めて晶を見た。


「昨日、母に付き合っていただいてありがとうございました。昨夜、電話で母が嬉しそうに話してました」


「こちらこそ、いろいろお話できて楽しかったわ。ところで久我さん、今日お仕事から戻られたら、ちょっとウチに寄ってもらっていいかしら」


操は声のトーンを落として聞いた。


「母のことですか?わかりました。二十時過ぎになると思いますがいいですか?」


「お待ちしてます。いってらっしゃい」


「いってきます」


晶の後ろ姿が見えなくなると、操は掃除を続けた。




昼近く、珠子と操は庭の芝生にレジャーシートを敷いて腰を下ろした。

今日は晴天で風も殆ど吹いていない。で、とても暖かかったのでお弁当とポットに入れたお茶を用意してピクニック気分を味わうことにした。


「姫、結構日射しが強いから帽子を持ってこようか」


「大丈夫だよ。ねえ、お空、雲が一つも無くてずーっと青いね」


「ほんとだね。暖かくて気持ちいい」


操は大の字で仰向けになった。

珠子は、104号室の前のスペースに作られた花壇を見ていた。そこは少し前までコスモスが満開だった。今は、その姿は無く何か背の低い草が花壇の輪郭に沿って並んでいた。


「ミサオ、沢野さんの花壇、どんなお花が咲くのかな」


「ここからだと、まだ葉っぱしか見えないから想像だけどパンジーとかビオラじゃないかな」


この花壇は104号室の住人の沢野絹が季節の花々を植え丹精込めて育てている。


「沢野さん、お元気よね。野菜を育てている名取さんもそうだけど、植物のために土を手入れするのって凄く体力がいるのよ」


この庭に二坪ほどの家庭菜園をしているのは108号室の名取丈という78歳の老人だ。花壇を作っている沢野絹は88歳。

みんな本当にお元気だ。自分は十年後二十年後とあんな風に足腰丈夫でいられるかなと操は考えてしまった。

そして勢いをつけて起き上がると


「姫、そろそろお弁当を食べよう」


おかずを詰めたタッパーの蓋を開けて、おにぎりを珠子に渡した。

青空の下で食べるごはんは、なぜかいつもより美味しいなと珠子は思った。




夜、八時を回った頃に久我晶が操の部屋を訪れた。


「いらっしゃい、久我さん。さ、上がって」


「おじゃまします」


操の後から晶がやって来た。


「久我さん、こんばんは」


珠子がこくりと会釈をした。


「ええと…」


「孫の珠子です」


操が紹介した。


「珠子ちゃん、こんばんは。二階に住んでいる久我晶です」


「さ、こちらにお掛けになって。あっ、久我さん、よろしければ夜ごはんいかが」


ソファーに腰を下ろした久我は、首を軽く横に振った。


「いえ、私は夜は食べないのでどうぞお構いなく。それで、母の事なんですけど」


操はテーブルに湯呑みを乗せた茶托を置くと久我の向かい側に座った。


「愛子さんとはよく会われてます?」


「直接顔を見るのは週一ですね。週末、土曜か日曜の昼に母のところで食事をします。」


「食事の支度はどちらが」


「最初は母が作っていたんですが、二カ月くらい前ですかね、味付けがめちゃくちゃで…それからは惣菜を買ってきて。あ、お茶いただきます」


晶が湯呑みを持ち上げた。


「愛子さん、匂いがわからないって言ってました。だから食べ物や飲み物のの美味しさがわからないって仰ってたわ。あと…」


「あと?」


「話をしているときに、突然キレるというか、大きな声で叫ぶというか、感情の起伏が激しくなるというか。昨日、お茶をしていた時何度かそういうことがありました。晶さん、あなたが電話で話をしているときや食事をしているときにはどうでしたか」


操の話を聞きながら晶は肩を落とした。


「確かに、心当たりがあります」


「他人の私が言うことではないけれど、早めに医者に診てもらった方がいいと思いますよ。耳鼻科と、心療内科ですかね。もしかしたらストレスからきてるかも知れないし。心療内科は、ご本人が嫌がるかも知れませんが」


「そうですね」


「耳鼻科だけでも。匂いがしないって凄く辛いと思いますよ」


「この後、すぐに母を説得します」


「それと、晶さんにお聞きしたいことがあるんですけど」


操は姿勢を正した。


「はい、何でしょう」


「晶さんにはお姉さまがいらっしゃったんですよね」


晶が頷いた。


「出産のときに亡くなられたと愛子さんから伺ったのですが。差し支えなければ、どこの産院だったのか教えてもらえませんか」


「姉は未婚の母になる決心をして四年前の秋、出産に臨みました。でも、そこは離島でこちらの病院と同じ医療が受けられなくて…なぜこっちで出産しなかったのだろうって私は今でも思っています。でも、姉は向こうで産むって聞かなくて。彼女は意志を曲げない人だったので」


「そうだったのですね。辛いことを話していただきすみませんでした」


操は深く頭を下げた。


「あの、なぜ姉の出産のことを?」


「姫、こっちに来てちょうだい」


操は隣に珠子を座らせた。


「最近、この子の周りでおかしな事が起きまして、調べていくうちに、四年前この子が生まれた時に産院でやはり奇妙な出来事があったんです。晶さんのお姉さまがもしウチの嫁と同じ産院で出産入院をされていたら何か見たり聞いたり、そしてそれを晶さんや愛子さんに話していたら教えていただこうと思ったのですが」


「そうでしたか。お役に立てなくて」


「いえ、こちらこそお辛い話をしていただき申し訳ありませんでした」


操はもう一度、深く頭を下げた。


「それでは、そろそろ失礼します。これから

母のところへ行ってきます」


晶は立ち上がり玄関へ向かった。


「あの、愛子さんには昨日の喫茶店での話をここで聞いたって言わないでもらえますか」


「はい、言いません。別の角度から病院に診てもらうよう母を説得します。おじゃましました。お休みなさい」


「お休みなさい」




一週間が過ぎた頃、いつものように朝の掃除をしていた操は、


「神波さん、おはようございます」


晶に挨拶された。


「久我さん、おはようございます。愛子さんの体調はいかがですか」


「おかげさまで、嗅覚が回復してきたんです。そうしたら精神的にも落ち着いてきました。医者に連れて行って良かったです」


晶の声が明るかった。


「それは良かった。いってらっしゃい」


「いってきます」


晶は足取り軽く出かけて行った。

その姿を見送りながら操は思った。


「愛子さん回復してきて良かった。でも、姫の件は進展無かったね」

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