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なぜか苦手が寄って来る

新学期が始まって、すぐに週末がきた。


「姫、明日はどうする?」


晩ごはんを食べながら、操が聞いた。

ご飯に辛くない麻婆豆腐を乗せて、スプーンですくい口に運びながら珠子は考えた。


「うーん。図書館で絵本を見たいけど、明日も暑いよね」


「そうね。残暑が厳しくて嫌になるわね。夕方、商店街で買い物しようかな」


「私も行く。コロッケを買って、あと、プリンちゃんにも会いたいな」


「タカシ君とデートしないの?」


「私はデートしたいけど、タカシはクラス対抗のリレー選手に選ばれて練習しないといけないんだって」


「リレーって、運動会のでしょう」


「うん」


「それって十月じゃないの?幼稚園と合同でやるのよね」


「そうなんだけど、六年三組は優勝したいから今から練習するんだって。みんな張り切っててシンドイってタカシが言ってた」


「へえ、大変ね」


「タカシは気が乗らないみたい」


「彼は目立つことしたがらないものね」


「私、応援するよって言ったら、じゃあ頑張るって笑ってた」


「そうだね。今年は姫も校庭で応援できるのよね」


「うん」


「姫たちは競技の内容決まってるの?」


「お遊戯するのは決まってる。だけど走るのとか嫌だな」


「姫は運動苦手だものね」


「憂鬱です」


と言いながら、珠子はご飯のおかわりをした。


「そう言えば、104号室の前の花壇、素敵になってるの。姫も明日、見ておいで」


「絹さんが作った花壇だよね」


絹さんとは、少し前まで104号室に住んでいた御年89歳のご婦人のことである。彼女が退去する時そのまま残した花壇を、ガーデニングが趣味だと言う新しい入居者の杉山直子が引き継いだ。


「そう。新しい入居者さんもガーデニングが趣味なんですって。土の状態がとても良いって言ってたわ」


「ふうん。それじゃ明日見に行こう」


味噌汁を飲みながら、蝶々が寄ってきませんようにと、珠子は思った。


翌朝。

珠子は掃き出し窓から庭に出ると、柏の部屋の前を通って、更に103号室の前を通り過ぎ、104号室の前に作られた花壇を目の前にした。

かつて絹さんが植えていた、よく見かける草花とは違って、一坪ほどの小さなスペースに珠子が見たことのない花や小さな細い木を高低差を持たせて植えられていた。


「なんだかお洒落な感じ」


珠子は花壇の周りをゆっくりくるりと回った。夏の陽射しを浴びて、いかにも南国っぽい大輪の花からむせ返るような甘い香りが漂った。

その花の一つに珠子が顔を近づけて匂いを嗅ごうとする。何かが彼女の頬の辺りを撫でるように横切った。


「きゃっ」


珠子は思わずのけ反り、芝生の上に尻もちをついた。目の前を真っ黒な揚羽蝶が優雅に飛んでいた。


「嫌だぁ」


尻もちをついたまま後退る。

大きな蝶は珠子の目の前ギリギリを飛ぶ。まるでおちょくっているみたいだ。


「こっちに来ないで!」


珠子が泣き声を上げる。

体を四つん這いにして立ち上がろうとしたが、足と腰に力が入らず立ち上がれない。はいはいをして操の部屋へ戻ろうとした。柏の部屋の前まで辿り着いた時、黒い揚羽蝶がもう一つ増え二頭が珠子の目の前を飛び回る。それが顔すれすれに近寄った。


「ぎゃあー」


珠子は頭を仰け反らせるように動かしバランスを崩してひっくり返った。

その声とおかしな姿勢に孝が部屋から飛び出して来た。目の前には膝を抱え体を丸めて横向きに倒れている珠子がいた。その周りを二頭の黒い大きな揚羽蝶が舞っている。

孝は両手で蝶を追い払った。が、すぐに珠子の傍に戻って来る。


「タマコ、しっかりしろ」


孝が珠子の手を取る。小刻みに震えていた。抱え込むように珠子を立たせると


「部屋に戻るぞ。頑張って歩け」


なんとか柏の部屋へ入った。サッシが閉まる音を聞いて珠子はへたり込んだ。


「大丈夫か?でかい蝶にしつこく追いかけ回されたな」


孝に肩を抱かれると、緊張が解けたのか珠子は大声で泣き出した。


「珠子ちゃん、何があったの?」


月美が駆け寄る。


「でかくて真っ黒な揚羽蝶に追いかけられてた。おれが追い払ってもタマコの傍に寄ってくるんだ」


「芝生だらけになって…怖かったわね」


月美はティッシュで珠子の涙と鼻水を拭いてあげた。コロコロで服についた芝生を取り、濡れタオルを渡して顔や腕と足を拭かせた。ソファーに座らせ、麦茶のグラスを珠子に渡した。


「随分としつこい(やつ)だったな」


孝が珠子の隣に座り彼女の様子を確認する。麦茶を飲んで少し落ち着いたようだ。


「孝、そろそろ出ないと集合時間に遅れるわよ」


月美が壁の時計を指さした。


「おれ、今日行かない。こいつの傍にいる」


孝が言うと、珠子が首を横に振った。


「もう大丈夫。タカシ、助けてくれてありがとう。リレーの練習に行って。運動会でタカシが走る時、応援するよ」


「そうか。お母さん、タマコを頼むね」


珠子が少し落ち着いてきたので、孝はソファーから立ち上がり水筒とタオルの入った袋を肩にかけると


「いってきます」


玄関へ向かった。


「いってらっしゃい」


珠子と月美が声を揃えた。


「珠子ちゃん、怖い思いをしたのね」


月美が珠子の隣に座り手を握った。


「104号室の前の花壇に花が咲いてるって聞いて見に行ったの。南の島で咲いてそうなお花がいい匂いだったから嗅ごうとしたら、急に大っきい蝶々が寄ってきて私から離れなかったの」


「しつこい蝶々ね」


「でも、タカシが助けてくれた」


「あの子ね、珠子ちゃんがここの前を通ったのに気づいて窓の外を見ていたの。で、珠子ちゃんの様子が普通じゃなかったから、慌てて外に飛び出したのよ」


「逃げても逃げても蝶々がくっ付いて来て、本当に怖かった」


「珠子ちゃん、いい匂いがしてたのかしら」


「もう、お花の近くに行けないかも。匂い嗅ぎたいのに」


「虫って、なぜか苦手に思っている人に寄って来るのよね」


「これからは、一人ではお花の傍に行かないことにします」


珠子はますます蝶が嫌いになった。

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