大人になりたかった
「ただいま」
珠子と茜が帰ってきた。
「姫、お帰り。茜、ありがとう。おや、美容室に行ったの?」
「そう。もともと私、予約を入れてたから、せっかくなので珠子ちゃんもケアをしてもらったの」
「確かに、髪がつるんつるんに光ってるわ。綺麗なウエーブが素敵よ」
「でしょう。女子力が上がって、ちょっとカレシに見せてあげたらって、帰り道に話してたの」
「そうね、姫、タカシ君に見せてらっしゃい。茜はウチで少し休んでいきなさいな」
「階段を上がれば我が家だから、自分の部屋で足を伸ばすわ。はい、お土産」
茜が最近テレビで紹介していたガレットのスイーツを操に渡すと、
「珠子ちゃん、隣に行こう」
と言って珠子と柏の部屋を訪ねた。
インターホンに声をかけると
「まあ、茜さん、珠子ちゃんも」
玄関の扉を開けて月美が顔を出した。
「今日は彼女と出かけて女子トークをしてきたの。ついでに女っぷりを磨いてきたから、カレシに見せてあげようって」
と言いながら、茜は操に買ってきたのと同じスイーツを月美に渡した。
「ごちそうさま。さ、あがって」
月美が促したが
「珠子ちゃんの色気を孝君に見てもらって」
茜は珠子の肩を軽く叩き、月美に笑顔を向けて、それじゃまたねと自分の部屋へ帰っていった。そこに残された珠子に
「珠子ちゃん、あがって。その髪型素敵よ」
月美が言いながら奥に連れて行くと
「このワンピースに合う髪型にして貰ったの」
珠子はくるりと回って見せた。
ふわりとウェーブした柔らかな髪が一緒に舞う。
「綺麗だわ。孝は部屋で宿題をしてるから、見せてあげて」
そう言われた珠子は、月美の顔を見て頷くと、そっと孝の部屋に向かった。
「タカシ、入るよ」
珠子が声をかけて部屋に入る。
孝は机に向かってドリルをやっていた。
珠子が彼の隣に立つと、ふわりと甘い香りがした。おそらく彼女のヘアトリートメントの香りだ。孝は走らせていた鉛筆を止めて、珠子を見る。
「タマコ」
「なあに」
「なんかお姉さんになった」
孝が言うと、珠子は心の中でヤッタァと思った。目標であった大人っぽくなれたのだ。
だが、孝が続けて言った。
「だけど、おれはいつものタマコがいいな」
「えっ」
珠子は固まり、孝は顔を机上のドリルに向けた。
「ただいま」
珠子は小さく言って、操の部屋に戻ってきた。
「お帰り、姫」
操は両手を広げて珠子をハグした。
「姫、いい匂いがする。綺麗にカールしてる髪、ちょっと触ってもいい?」
「うん」
艶やかでつるんとした珠子の髪に操が触れる。
「柔らかくて、ふわっとしていて気持ちいい。タカシ君にも触ってもらったの?」
操が聞くと、珠子は首を横に振りポロリと涙をこぼした。
「いつもの」
「ん?」
「いつもの方がいいって。私のことをチラッと見ただけで、すぐ宿題の続きをやってた」
珠子の頬に一筋流れた涙は、いつの間にか滝のようになり、彼女は声をあげて号泣した。
「そう。それは残念ね」
「タカシに近づきたくて大人っぽくしてもらったのに」
「姫」
操はハグをしたまま珠子に言った。
「姫が頑張って見た目を大人っぽくしなくても、あなたの中身は充分成長して日に日に大人になってる。私にはそう見えるわ。きっとタカシ君もそう思ってる」
「そうなのかな」
「ええ。姫がお姉さんになりすぎてタカシ君は驚いたかもね」
「そうか」
珠子は俯いた。
「でも、今の姫ももちろん素敵よ。綺麗なお嬢さん、茜がくれたガレットはいかが?」
操が冷蔵庫から、ソフトクリームのコーンのように円錐形に丸めたガレットにクリームチーズとベリーソースがかかったものを手渡した。
「姫、格好良くポーズをとって」
スマホを構えた操が連写する。
やっと笑顔になった珠子が、ガレットにキスをしながら操に目線を送った。
「綺麗な姫がたくさん撮れた。さ、ガレット食べましょう」
美味しいものを味わって珠子の機嫌はすっかり良くなった。
夕方、操の部屋に孝がやって来た。
「いらっしゃい。さ、あがって」
操が玄関に出てきた。
「はい。おじゃまします。タマコはいますか」
少しかしこまった言い方で孝が聞いた。
「ソファーでテレビを見てるわ」
操が言うと孝は頷き、そこに向かった。
「タマコ」
月美お手製のワンピースのままの珠子が孝を見た。
「いらっしゃい」
「タマコ」
孝は珠子の隣に腰を下ろした。
「さっきは愛想がなくてごめんな」
「いいの。気にしないで」
「隣でいい匂いをさせたおまえが立ってたから、驚いた」
「うん。茜ちゃんが通ってる美容室でトリートメントしてもらったの」
「そうか。ちょっと触ってもいいか?」
「うん」
孝が緩やかなウエーブの髪を撫でた。滑らかに手が滑る。
「人の髪の毛って、こんなに手触りが良くなるんだな」
「トリートメントして蒸しタオルで包んで暫くそのままにしてた。その後よく洗い流して、高そうなドライヤーで丁寧に乾かしてたよ」
「へえ、手間がかかるんだな」
「うん。だから綺麗な髪は今日だけ。この後シャンプーしたら、多分いつもと同じに戻っちゃう」
「この姿は綺麗だけどさ、さっきも言ったけど、おれはいつものおまえがいい」
「私、タカシみたいに大人になりたかった」
「おれ、ちっとも大人じゃないよ」
「大人になったよ。きっと自分ではわからないのかも」
「それなら、タマコだって初めて会った時より凄く大人っぽくなった」
「そうかな」
「自分じゃ気づかない。おれもおまえも、同じだ」
「そうなのかな」
「明日は、せっかくもらった『フラワ・ランド』の年間パスで遊びに行くか?」
「行く!」
珠子は思いきり頷いた。