お昼は焼き肉
今日の珠子はご機嫌だった。
なぜなら、彼女が座っているソファーの斜め前に胡座をかいて、ローテーブルの上に広げた原稿用紙に読書感想文を書いている孝の姿をじっと見ていられるからだ。
別に話をしなくても、いや、もちろん話していたいが、言葉を交わさなくても彼が傍にいるとなぜか心が安らぐのだ。
孝が、ここにいる理由は彼の母、月美が珠子と孝の叔母である神波茜と神波藍が生業にしている家事代行のヘルプに入っているため、操の部屋で宿題を片付けている。
ずっと孝を見つめていた珠子は静かにソファーから立ち上がり、キッチンにいる操の隣に並んだ。
「どうしたの、姫」
昼ごはんの準備をしながら操が珠子の顔を見る。
「タカシって背が高くなったよね」
ぼそっと珠子が言う。
「そうね。もしかしたら私、もう抜かれたかも知れないわね」
操も、彼は最近急に背が伸びたわねと思った。
「背の高さだけじゃなくて、なんか大人になって、私から遠くなっていくような気がするの」
元気なく珠子は言った。
「タカシ君も来年は中学生だものね。時の早さを感じるわ」
操も彼は大人っぽくなった気がする、と珠子の話に頷いた。
「だけどね」
操が言った。
「だけど、タカシ君が落ち着いて大人っぽくなったように、姫も女らしくてしっかりした娘になってきたと思うわ」
「そうかな。私は全然変わってない気がするんだけど」
珠子がため息を吐く。
「姫がそう考えていることが、すでに、今までより成長しているように私には見えるよ」
操は、珠子の柔らかなほっぺたを人さし指でツンツンと触りながら、
「私からすると、姫も最近大人っぽくなって、このまま私から離れて行ってしまうのかなって不安になるわ」
あなたは、いつまでも私の傍にいて欲しいと可愛い孫なのよと言った。
「ところで、今日のお昼はなあに?」
珠子は急にいつもの彼女にもどった。
「月美さんがニラチヂミを作っておいてくれたの。それと、焼き肉でーす」
操の最後に言った言葉は、珠子を骨抜きにした。
「カルビある?」
「もちろん。私用には、あっさりロース。サンチュの代わりにサニーレタスで巻いて食べましょ。姫、野菜とキムチをテーブルに持ってって」
操は焼き肉プレートを出しながら言った。
それから間もなくして、珠子・操・孝は食卓を囲み、思い思いに肉を焼き野菜やキムチと一緒に頬張った。
「タカシ、次はどれを焼く?私が焼いてあげる」
珠子が張り切って言うと
「自分で焼くから大丈夫だよ。タマコはゆっくり食べてなよ。ほら、タレが垂れてる、たれだけに」
孝が珍しくおやじギャグを言った。
操はクスッと笑ったが、珠子は服を汚したのを指摘され、孝への世話焼きもやんわり拒否されてとても落ち込んだ。
「私はまだ子どもだから、自分の事もちゃんとできないのね。孝の世話を焼いてあげるなんてまだまだ早いんだ」
「タマコ、どうしたんだ?」
泣きそうな珠子を見て孝が慌てた。
「姫はね、いつも一緒にいてくれるタカシ君に何かしてあげたいみたい。あなたが、最近、背が伸びて凄く大人っぽくなったの見て姫も大人な態度で接したかったんじゃないかしら」
操の話に、孝は珠子の口元についたタレを自分の指で拭い、
「タマコ、おれっておまえより六歳も年上なんだぜ」
その指をペロリと舐めた。
「わかってるよ」
珠子が小さな声で言う。
「おれなんか、5歳の頃なんて何にもできなかったし、大体、人のために何かをしてあげたいなんて考えもしなかったよ。唯々お母さんが仕事から帰ってくるのを待ってじっとしてた」
孝の言うことに操が頷く。
「普通はそう言うものよ。姫は大人に囲まれて生活しているから、周りと比較しちゃうのね。でも人生経験が違うの。タカシ君だって姫より六年間多く時間を過ごしてきたのよ。まっ、タカシ君は姫を守りたいって気持ちがよりあなたを大人に成長させてるんだろうけどね。姫も、タカシ君に幸せに心安らかに毎日を過ごして欲しいって思ってるんでしょ」
と言って、操は珠子と孝を交互に見た。二人も操を見ている。
「全くあなたたちは相思相愛で羨ましいわ。さあ、早く食べないとお肉が固くなっちゃうわよ。食べて食べて」
操が焼き上がった肉を温度の高くないプレートの縁に移動させた。
「タマコ、おれに、肉と焼けたナスとキムチをレタスで巻いてくれるか」
孝が珠子に頼むと、嬉しそうに珠子はレタスを手に取った。