珠子のビーム
ノッシーはケージの中で、頭と両手両足をだらりと伸ばして風車を想像させるポーズで爆睡していた。
そのケージの横で、孝が仰向けで大の字になって爆睡している。
更にその隣で、珠子が孝と同じ格好で爆睡していた。
「全く、こいつら可愛いな。こんな姿を見ちゃうと、明日から平常運転で仕事に戻るのが嫌になるな」
夏期休暇最後の日を我が家でまったり過ごしている柏が優しい顔で昼寝三人衆を見つめていた。
柏の部屋の隣の隣では、新しい入居者が引っ越して来たため、家具などの搬入で少しばたばたしていた。大家の操が立ち会っているので、珠子は柏のところで過ごしている。
「それにしても、104号室に越して来た人は今日契約で、すぐ入居なんて随分早急だな」
相変わらず子どもたちの寝姿を見ながら柏が言うと、
「越して来た杉山さんって方の今までの住まいの隣が、『フラワ・ランド』で珠子ちゃんをしつこく追っていた例の男の家なんですって」
月美がコーヒーゼリーを作りながら、早く引っ越したくなるのもわかるわと言った。
「えっ、例の変態野郎の家!」
「そう。昨日から警察の捜索が入っているんですってよ」
「三人の女の子は見つかったのかな」
「どうなのかしらね」
「無事だといいな」
「そうね」
「タマコも危なかったな」
「本当よ。珠子ちゃんて太ってるわけじゃないけど、ほっぺや腕がぷくぷくしていて可愛いのよね」
「確かに。だから狙われやすいんだな。そんな時にタカシの存在はタマコにとって大きな力になってるんだ。ここだけの話、あの変態野郎がサボテンの上に倒れたのは、タマコの眼力にやられたんだよ。タカシが傍にいたから、タマコは立ち向かえたんだろうな」
「ええ。孝と珠子ちゃんは、子どもながらも素敵なカップルよ。このまま二人が真っ直ぐ育ったら、私、珠子ちゃんからお義母さんって呼ばれるのかな、なんて妄想しちゃうの」
と、月美が笑う。柏も笑いながら言った。
「じゃあ、俺はカシワ君じゃなくてお義父さんって呼ばれるのかぁ」
午後三時を回った頃、104号室の家具などの搬入が無事に終わり、立ち会っていた操が柏の部屋にやって来た。
「母さん、お疲れさま」
ソファーに、ドサッと腰を下ろした操の肩を揉んであげながら柏が労った。
「あー、気持ちいい」
操は深く息を吐いた。
「新しい入居者さんの前の家の隣が、タマコを追っかけてた変態野郎の家なんっだて?」
肩を揉みながら柏が聞いた。
「そうなのよ。気味が悪いぐらい世間は狭いわね。それから、あと一時間ぐらいすると警察が今回の件で聴取に来るって。タカシ君にも話が聞きたいそうなので、ここに来てもらうことにしたわ。いいわよね」
「もちろん」
「お義母さん、コーヒーゼリー作ったんです。いかがですか?」
月美がガラスの器で冷やし固めた、黒に近い茶色のゼリーを持ってきた。
「いただく!」
「おれも!」
「私も!」
月美の後を孝と珠子がついてきた。
「あんたたち、キッチンにいたの」
操の問いに、お子様二人は大きく頷いた。
バニラアイスを乗せた深い色合いのゼリーにクリームとガムシロップをかけて、スプーンでカチャカチャ音を鳴らしながら、五人は黙々とコーヒーゼリーを口に運んだ。
「うーん、大人の味!」
珠子はアイスを先に食べてしまったので、苦みばしったゼリーをガムシロップの海に沈めるように甘くして食べた。
「全く、糖質を気にせず食べられる姫が羨ましいわ」
と、操がため息混じりに言う。
「お義母さん、このシロップはオリゴ糖だから、あまり気にしないでかけてください」
月美が笑顔を見せる。
操が柏に向かってウインクした。
「まあ、本当に良いお嫁さんをもらったわね、カシワ」
「そうだ。月美は良い嫁さんだ」
と、柏が言い、ゼリーを食べ終わった孝が
「いろんな意味でごちそうさま」
と、呆れた声で言いながら器をキッチンに持っていった。
コーヒーゼリーを堪能した五人は、しばらく思い思いの時間を過ごし、夕方の四時を回った頃、刑事が二人やって来た。
柏が部屋の奥に通すと、早速、昨日の出来事を聞いてきた。
珠子と孝は身振り手振りで、プールゾーンで起きた事や、そこを早く切り上げたのだがサボテンの温室で襲われそうになった事を刑事に話した。
「珠子さんも孝さんも災難でしたね」
一人の刑事が渋い声で言った。
「なんで…」
孝がぼそっと言う。
「なんで、あのプールには、たくさんの子どもがいたのにタマコが狙われたんですか」
そう、疑問を刑事に投げかけると、
「これは、お伝えするべきか迷ったのですが」
渋い声が一瞬言い淀んだ。
「珠子さんを執拗に追いかけた男、名前を種田正志と言います。年齢は54歳。種田の家を捜索したところ…」
「刑事さん、いなくなった女の子たちは見つかったの?」
珠子は思わず聞いた。
「はい。種田の家で三人とも無事に保護されました」
「よかった」
安堵の声を出した珠子を見ながら、刑事が話を続けようとしたのだが
「ええと…、やっぱりお子さんたちの耳に入れない方がいいな。珠子さん、孝さん、席を外してもらっていいですか」
やはり子どもには聞かせたくなかった。
しかし、珠子は
「大丈夫です。私にも教えてください」
はっきりと強く言った。
刑事たちは操たち保護者の顔を見て、彼女らが頷いたので話を再開した。
「種田の家から、一年ほど前のタウン情報のフリーペーパーが何部も見つかったんです。全て珠子さんが表紙を飾っていたものでした。あれは季刊ですよね。四種類のフリーペーパーがそれぞれ十部ずつ、机の上に置かれれていて、その内の何部かはカッターで腕や足を切られていました。パソコンにも掲載した写真をスキャンした画像がたくさんありました。そこには日記のようなメモが見つかり、珠子さん、あなたを…あなたの…肉を頬張りたいと記していました」
淡々と語る刑事に、
「それじゃ、はじめから姫を珠子を探し狙っていたと言うことですか?一年間も?」
操が声を裏返しながら聞いた。
「我々が問い詰めたところ、種田はそう話しています。あのフリーペーパーを初めて見た時から珠子さんへの想いが止まらなくなったと。それから珠子さんが出かけそうな場所をしらみつぶしに探したと供述しています」
「もしタイミングが合ってその男と出会ってしまっていたらこの子は……」
「そうですね。最悪の場合もあったと推測します。さらわれた三人も、どことなく珠子さんに似た女児でした」
その場は重苦しい空気で満たされた。
「その男は起訴されて裁判で有罪になっても刑務所から出所したり、最悪、執行猶予がついて普通にこの辺を徘徊されたら…俺たちは、タマコはどうしたらいいんですか」
柏が思わず力んだ。
「仰る通りです。我々には警察官の巡回の回数を増やすぐらいしかできません。ただ……」
刑事は珠子を見た。
「ただ、種田がやたら怯えてるんです。あれだけ派手に鋭い刺が広範囲刺さったのが怖かった痛かったと言うのはわかるんですがね。それが原因の怯えではないみたいです」
「そうですか」
操は静かに言った。
なるほど、と操も柏も月美も顔には出さないが納得した。今後、種田は珠子と出会っても二度と関わろうなどと思わないだろう。あの時、種田を睨んだ珠子の目は表現し難い恐怖をその男に与えたのだ。おそらく珠子に似た子ども、いや、その辺の女児とも目を合わせられないし近寄れないだろう。
刑事たちが帰った後、孝は珠子を見つめた。
「タマコの目は、そんなに相手にダメージを与えられるのか?」
「うーん、よくわからない。でもね」
「でも?」
「でもね、タカシをメロメロにする事はできるかも」
と言って、珠子は孝に愛情ビームを送った。