バイバイ、湖
「姫、忘れ物はない?」
荷物を纏めながら操が聞いた。
「大丈夫。今着てるの以外はバッグに入れた」
珠子が答えた。
「乾かしたビキニは?」
「あっ、いけない」
珠子はユニットバスのバスタブの縁に引っかけて乾かしていた水玉模様のビキニを取りに行った。
「忘れるところだった」
バッグに水着を入れてファスナーを閉めると
「もう、完璧」
珠子はバッグをヨイショと肩にかけた。
操は部屋中をぐるりと見回し、珠子と廊下に出た。エレベーターで下りてロビーに向かうと、元太を抱いた源と柏がソファーに座ってコーヒーを飲んでいる。
「アンタたち忘れ物はないの」
二人から人数分のカードキーを受け取りながら、操が聞いた。
「大丈夫だよ」
「三日間飲み続けたアルコールはちゃんと抜けたの?」
「多分大丈夫」
と、返事をする源と柏の顔を交互に見ながら、操は疑わしそうな目を向けて言った。
「私たち、ここの土産物コーナーで買い物してるから、コーヒーをおかわりしてなさい」
「わかった。母さん、ちょっとお願いがあるんだけど。茜と藍にちょっといい土産を買ってくれるかな。あの二人にノッシーの世話を頼んだんだ」
ちゃんとお金は支払うからと、柏が言った。
「いいわよ。純米大吟醸でも買っておくわ」
「お願いします」
操が人数分のカードキーをフロントスタッフに渡し会計を終わらせると、旅館の女将が姿を現した。
「おはようございます。お寛ぎいただけましたでしょうか」
「おはようございます。このような立派なところで宿泊できて、みんないい休日を過ごせたと思います。そして、昨日はお医者様を呼んでいただき、ありがとうございました」
「大事に至らなくて良かったですね」
「はい。本当にお世話になりました。それで、あの…」
「はい?」
「こちらを紹介してくださった石井さん、石井美子さんにお土産をこちらの売店でと考えているのですが、何かおすすめはありますかね」
操が聞くと女将はクスッと笑いながら耳打ちした。
それを聞いた操は一瞬目を丸くしたあと、女将の目を見て頷いた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、また是非いらしてください。お待ちしております」
女将は深くお辞儀をして奥へとその姿を消した。
「ミサオ、おみやげ見に行こう」
珠子が、着替えが入ったバッグを柏の車に積んでもらい、手ぶらになって操の手を握った。
『御みやげ処』と記された行灯が立っているコーナーに二人が足を運ぶと、鴻と月美がお菓子や珍味などを見て回っていた。孝はそこから少し離れたところでキーホルダーを見ているようだ。珠子が気づいて走り寄る。
「タカシ、おはよう」
「おう、おはよう。体調はどうなんだ?」
「大丈夫。元気だよ。何を見てるの」
「ん、別になにも」
孝は目の前の商品に興味がなさそうに言った。
珠子は玩具の棚を見回し和紙の筒を手にした。
「これ何だろう?」
その筒を孝に渡す。孝はそれを望遠鏡のように覗いて天井のライトに向けて見ながら回した。
「タマコ、この筒を覗いて、今おれがやったみたいにしてみな」
珠子は二十五センチほどの長さの和紙の筒を孝の真似をして、覗きながら回した。
覗いた向こうに、淡い青から濃い青や白と緑がかった青が様々な形を作りながらキラキラ輝いていた。
「あーっ、湖!ここの湖だ!」
興奮した珠子が叫んだ。
「青色だけが見える万華鏡は珍しいな」
孝も興味を持った。
「タカシ、お揃いでこれ持とうよ」
「おれは、いいよ」
「えー、タカシはこれ見たくないの?」
「一つ買って、二人で交代して見ればいいじゃん。おれたちは、ほぼ毎日顔を合わせているんだから」
「そうか。これを見るためって理由をつけて一緒にいられるんだね」
「う、うん」
珠子がじっとこちらを見つめて言うので、孝は照れてドギマギした。
珠子はこの万華鏡と幼稚園のお友達の葵ちゃんと賢助君用に小さな万華鏡のついたキーホルダーを操に買ってもらった。
そして、鴻と月美も買い物を済ませてそれぞれの車に戻ると湖畔の宿をあとにした。
車の中で、珠子は早速万華鏡を外に向けて覗いた。
「タマコ、それを覗くより、実際の湖を見た方がいいんじゃない。ほら、目の前に広がってる。もう少ししたらこの景色、見えなくなるよ」
孝に言われて、珠子は万華鏡を下げて車窓の景色を眺めた。
「この湖は素敵だったね」
ぼそっと呟く珠子に、
「そうだな」
と孝も頷いた。