湖へ行こう(1)
「パパ、お帰りなさい」
珠子は、父親の源が『ハイツ一ツ谷』の敷地に入って来たのが見えた途端、走り出して抱きついた。
「珠子、暑い中で待っていてくれたのか」
操の部屋の外で珠子は、父の帰りを今か今かと待っていたのだ。源の顔を見るのは七カ月ぶりだ。
「凄く久しぶりだから、早くパパに会いたかったの」
源は引いていたスーツケースから手を離すと、珠子を抱き上げた。
「うっ、珠子、重くなったな」
正直な源の感想に、珠子は頬をふくらます。
「パパ、前も言ったけど私は背が伸びたの。こういう時は、大きくなったな、でしょう」
「ごめん、ごめん。レディに対して失礼な発言だったな」
「わかれば、よろしい」
と言って、珠子は地面に下ろしてもらった。
「珠子、二階に来るか?」
源が尋ねたが珠子は首を横に振り
「ママと元太とゆっくり過ごして」
と言うと、手を振って操の部屋に戻った。
残された源はため息を吐くと、スーツケースを抱えて階段を上った。
「姫、源は帰ってきたの?」
キッチンから操の声がした。
「うん。パパ帰ってきた。ミサオ、聞いて。パパったら私を抱き上げて、重くなったなって言うの。酷いでしょう」
珠子は、女心がわかってないのよねと、愚痴をこぼす。
「ホント、わかってないわね。でも、久しぶりに姫の顔を見て照れたのかもね。私は毎日一緒にいるから、いつもと同じに感じるけど、半年以上も会ってないとね、きっと姫が凄く大人になったなって感じて照れているのよ」
操は珠子のほっぺたをツンツンと突いて笑った。
「そうだよね。パパったら照れてるのよね」
珠子は自分にそう言い聞かせた。
「姫、明日は朝早いから、今のうちに荷物を用意しておいて」
「うん。わかった。今回は三泊するんだよね」
「そうよ。来年はタカシ君も中学生になって、みんな揃うかわからないから三泊四日の大奮発したわよ」
ハイシーズンだから、結構な散財だわと思いながら操が答えた。
「えっ、中学生になるとタカシは旅行に行かないの?」
珠子の顔が曇る。
「もしかしたらだけど、部活をするようになったら、私たちとは行けなくなるかもね」
「タカシが行かなかったら、私も行かない」
「そんなふうになると、段々参加者が減って家族旅行はなくなるのよ。だから、みんなで行ける今年は、思いっきり楽しもうね」
「わかった。支度してくる」
珠子は荷物を準備しに寝室に向かった。その後ろ姿を見て、
「いつまで、みんなと旅行に行けるのかしらね」
操が独り言を呟く。
翌日早朝。
珠子は姿見の前で、全身コーデのチェックをしていた。
「完璧!」
「姫、準備はできた?」
操が寝室に顔を出す。
「あら、素敵!姫はフリルのついたワンピースがよく似合うわぁ」
孫が可愛くてたまらない操は、相変わらずベタ褒めだ。
そうこうしている内に、
「タマコ、準備できたか」
玄関を開放していたので、孝が部屋にあがって呼びに来た。
「うん。行けるよ」
珠子が自分の着替えなどが入ったバッグを持って姿を現した。
麦わら帽子をかぶり、オレンジ色の細かいギンガムチェックの生地に白いレースがあしらわれたワンピースを着た珠子を見て
「可愛い…」
孝が見とれていた。
「タカシ」
「タカシ!」
目の前で珠子が呼ぶ。はっと我に返った孝は、いつの間にか傍に来ていた珠子に驚く。
「今日のタマコは凄く可愛いよ」
慌てた孝が言った。
それを見て、私はいつも可愛いけどと言いながら、満更でもない顔をして珠子は玄関でサンダルを履き
「タカシ、私のバッグ持ってきてね」
と、頼んだ。
その様子を見ていた操は
「タカシ君、完全に姫の尻に敷かれてるわね」
と、笑った。
外に出ると、源と柏の車が並んで停まっていた。
「珠子、おはよう。パパの車に乗るんだろう」
源が珠子に、おいでおいでと手で呼び寄せた。
「パパごめん。タカシと一緒の車に乗るね」
珠子は源に軽くハグをして、隣の柏の車の後部ドアを開けた。
「兄さん、タカシの勝ちだな」
と、笑いながら柏は珠子を抱き上げて、ジュニアシートに座らせた。
操の部屋から珠子のバッグを持って出てきた孝が、
「タマコのお父さん、おはようございます」
挨拶をして珠子の反対側のドアを開けて車に乗り込んだ。
「源、ドンマイ」
がっくりと肩を落とす源の背中を軽く叩きながら、操が慰めた。
柏の車には、ハンドルを握る柏とその隣に月美が座り、柏の後ろにジュニアシートを取り付けて珠子が収まり、その隣に孝が座った。
源の車には、サイドシートに操が、その後ろに鴻が座り、運転席の後ろに取り付けたチャイルドシートに元太が固定された。
「源、完全に敗北したわね。タカシ君に」
運転席に座った源に、さっきは慰めてくれていた操がダメ押しをして笑った。
「まっ、めげずに安全運転でお願いします」
「はーい。出発しまーす」
ため息を吐きながら源は車を発進させた。
その後ろから柏の車がついて行く。
「タマコのお父さん、元気がなかったな」
孝が珠子を見た。
「源兄さんは、おまえに負けたんだよ」
柏が笑いながら言った。
「意味がわからない」
孝が首を傾げると、珠子が言った。
「パパがどっちの車に乗るか聞いたから、タカシのいる方って言っただけだよ。タカシと一緒に行きたかったから」
それを聞いて
「そうか。おれと一緒に」
孝はニヤニヤした。
「孝、鼻の下がでろーんと伸びてるわよ」
月美が振り向いて言うと、柏が前を向いたまま大笑いした。