孝とデートふたたび(2)
「タカシ、葵ちゃんが危ない」
珠子の友だちの永井葵が、ショッピングモールで中年の男に連れ去られるところを、デート中の珠子と孝が目撃した。
夏休み中で混雑しているモールは、あっという間に葵と男を呑み込み姿を見失う。
「タカシ、葵ちゃんが見えなくなっちゃった」
珠子が焦った声をあげる。
「きっとトイレだ。向かった方向の先に案内プレートが下がっていた」
孝が指をさす。
「でも今日はトイレもたくさんの人が出入りするよね」
「そうだな。このモールの中で人のあまり入らなそうなトイレってどこだろう」
「車いすのマークがついたトイレはどうかな」
「そうだな。他の階のトイレや、それから駐車場とかだと、嫌がる葵君を連れ回すのが大変だな。この先を真っ直ぐ行ったところのバリアフリートイレに行ってみよう」
孝は珠子の手を取り人混みをかき分けて先に進んだ。
その間にちょうど、モールの清掃員らしきユニフォームの女の人を見かけたので、孝が声をかけた。
「すみません、子どもが男に連れて行かれるところを目撃したんですけど」
「それってお父さんが子どもを連れてるんじゃないの?」
ユニフォーム姿の人はやんわりとだが疑わしそうな顔をする。
「違います!」
今度は珠子が声をあげた。
「私の友だちなんです。さっき、お母さんが探してるってアナウンスがありました!」
珠子が必死に訴える。
「悪いけど、私じゃ役に立たないわ。ここの責任者じゃないと対処できない。私は掃除をするのが仕事で、警備担当やモールの管理者じゃないと無理だわ」
掃除担当だと言うユニフォーム姿は自分に言われても困ると主張した。
「わかりました。もういいです」
珠子は孝を引っぱり
「とにかく、車いすのトイレに行こう。そこでお巡りさんを呼ぼうよ」
先を急いだ。
その切羽詰まった様子を見た掃除担当がインカムで、どこかに何かを伝えた。
珠子と孝は、トイレコーナーに着くと男子トイレとキッズトイレと女子トイレを通り過ぎ、バリアフリートイレの前に来た。
使用中のランプがついて、上部にアクリルの十センチ角の白い不透明な窓があり、中が点灯しているのがわかった。
珠子が閉ざされた扉を見つめる。
この中に永井葵がいる。珠子は感じ取った。
連れ込まれた葵は驚いていた。自分に何が起きているのか理解できないのだろう。それが段々恐怖に変わってきた。
孝は携帯電話で110番に通報した。
ショッピングモールで知り合いの少年がバリアフリートイレに連れ込まれたと、大まかな現在位置を伝えた。
「お願いです。早く助けてください」
と、最後に訴えて通話を切った。
「タマコ、中の様子は?」
「葵ちゃん、怯えてる」
珠子は少し考えて、トイレのドアをドンドンと強く叩いた。
「葵ちゃん、見つけた!珠子だよ!かくれんぼは葵ちゃんの負けだよ。負けたから大きな声でアーって言って早く出てきて」
「あー」
一瞬、微かに葵の声が聞こえたが口を塞がれたのか、トイレの中から音が聞こえなくなった。
「タカシ、どうしよう」
珠子は不安気な顔をで孝を見る。
「犯人が興奮して葵君を傷つけたら大変だからな」
「でも、このままじゃ葵ちゃんが…」
珠子はドアに手を当てて、内側のロックの位置を探った。
「ここだ」
そう言いながらフラついた珠子を、孝が慌てて支えた。
「大丈夫か?何をしたんだ?」
「私が手を当ててるところに、中のロックがあるの」
珠子がドアに当てた手を捻るようにスライドする。彼女の額に玉のような汗が浮かぶ。
「タマコ、無理するな。もうすぐ警察が来る」
孝がトイレの中には聞こえないぐらいの小さな声で言う。
「だめ。早くしないと、葵ちゃんの服が脱がされてる」
珠子は手のひらに神経を集中させて動かした。
いつの間にかトイレの周りに警備員やモールのスタッフ、そして案内された葵の母親が来ていた。そして警察官も到着した。
「お嬢さんとお兄さん通報ありがとうございます。あとは私たちに任せて後ろに下がってください」
警察官がドアに手を当てている珠子と孝に、そこから離れるように促した。
「あれ、ロックが解除されてる。犯人は施錠しなかったのか?」
モールスタッフが呟きながら、ドアを開けると、二人の警察官がトイレに入り中年男を取り押さえた。奥に裸の葵が膝を抱えてうずくまっていた。
「葵!なんてことに」
母親のレイラが走り寄り彼を抱きしめる。
「ママ…怖かった」
「もう大丈夫よ」
「珠子ちゃんが助けてくれたの」
そこへモールスタッフが呼んだ救急隊員がやって来て、葵をストレッチャーに乗せるとレイラと一緒にその場を離れた。いつの間にか集まった野次馬も少しずつ散けていく。
少し離れたところで座り込んだ珠子とそれを介抱する孝が、一連の様子を見守っていた。
「タマコ大丈夫か?」
「うん。ちょっと休めば大丈夫」
そこに、孝が声をかけた清掃員の女性が膝をついて二人に声をかけた。
「私、最初はあなたたちの話を疑ってました。申し訳ありませんでした」
謝る清掃員に
「でも、あなたが警備員やモールスタッフを呼んでくれたんですよね」
孝が聞くと、彼女は頷いた。
「二人とも真剣な目をしていたのでね。これはただ事ではないと思ったの。それじゃ私は仕事に戻らなきゃ。失礼します」
清掃員と入れ替わるようにモールスタッフが二人の前に現れると
「お嬢さん大丈夫ですか。救護室でお休みになりませんか?」
丁寧な口調で声をかけた。珠子が顔を横に振ると、一番近くの長椅子に案内され座った。
「葵ちゃんは大丈夫ですか?」
珠子の問いにスタッフは頷いた。
「見た感じは無事でしたが、念のため病院に行っていただきました。お二人のご協力感謝します。最近、不審者がいると言う連絡を何度か受けてましたので。あとで警察官から事件当時のことを聞かれると思いますのでよろしくお願いします」
「はい。わかりました」
孝が返事をする。
「お二人の保護者の方は、どちらに?」
「今日は、私たちデートに来たの」
珠子が大きな声で答えて孝と腕を組んだ。それを聞いたスタッフが、おやおやと笑顔になった。
「それでは、私がお二方のお家の方に連絡をさせていただきます。お二人の活躍を報告させていただきますね。この用紙に記入をお願いします」
スタッフが差し出した書類に孝は二人分記入して返すと
「もう、行っていいですか」
珠子と椅子から立ちあがり、手を繋いで
「タマコ、プリン食べに行こう」
「うん。プリン!プリン!」
フルーツパーラーを目指した。
店前で少し並んで席に着くと、珠子が食べたがっていたプリンアラモードを注文した。
テーブルに届くまでの間、
「今回もまたハプニングが起こって、タマコが能力を使ったからさ……」
孝が珠子を見る。
「また倒れて、デートが中止になると思った?」
「うん。ちょっと心配になった」
そんな孝に珠子が太陽のような笑顔を向けた。
「今回は、ちゃんと力の使い方を加減したんだ」
「ん?」
「どうしてもタカシとデートしたかったから」
珠子は5歳児とは思えない色っぽい視線を送ると、孝は顔を紅くしてもじもじした。