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珠子の記憶

朝、珠子と鴻はアパートの郵便ボックスの前にいた。

ここは敷地に入ってすぐの場所に設けられたスペースで、小さなコインロッカーのような造りになっている。見上げると、柏と柊が取り付けた防犯カメラがこちらを向いている。

珠子は鴻に抱き上げてもらい101と印字された扉を開け中の物を取り出した。そして鴻も201の扉を開けて郵便物を取った。


「おはようございます」


後から声がかかった。

振り向くと、107号室の久我愛子だった。


「おはようございます」


珠子と鴻が同時に挨拶した。


「今日は大家さんいないの?」


「ちょっと風邪をひいたみたいです」


鴻が珠子の手を取って、


「それじゃ」


足早に操の部屋へ向かった。

部屋では操が鮭を焼いて、なめこと豆腐の味噌汁を作っていた。


「お義母さん起きて大丈夫ですか。後はやりますから、暖かくして座っていてください」


鴻は魚焼グリルを覗いて、細長い楕円の皿を準備した。

ダイニングテーブルには焼鮭・厚焼き玉子・納豆・小松菜のおひたし・味噌汁とご飯が並んだ。


「いただきます」


「郵便ボックスで、107号室の久我さんに会いました。なんか、自意識過剰になってしまって、ぎこちない態度になっちゃったかもしれません」


納豆を混ぜながら鴻が言った。


「仕方ないわよ。私だってそう。誰が狙っているのかわからないんだもの。どうしたものかしらね」


「お義母さん、食事が終わったら、ちょっと聞いて欲しい話があります」


鮭をほぐして珠子のご飯の上に乗せながら鴻が言うと、操は頷いた。

食後、後片付けを済ませると操がお茶を淹れて三人で啜った。


「コウちゃん、何か情報を手に入れたの」


「ええ、産院で私たちがお世話になった看護師の田中さん、覚えています?」


「ああ、大柄で言い方はきつめだけど寄り添って話をよく聞いてくれた人ね」


「ええ、その田中さんが話してくれました。珠子が生まれた同時期に、出産の為に入院していた妊婦さんが何人かいたそうなんですね。その中の一人なんですけど」


「うん」


「詳しいことは秘密事項というか個人情報になるので、ざっくりとした内容しか教えてくれなかったんですけど」


「うん」


「死産っていうか、母子共に亡くなってしまったんですって」


「ええ」


「その時、その亡くなった妊婦さんのお母さんが付き添ってらしたんですけど、すごく取り乱して大変だったそうなんです」


「それは辛いわね。もし、コウちゃんと姫に同じ事が起きていたら私だっておかしくなるわ」


「ただ、その取り乱し方が変だったって田中さんが言ってたんです。普通、亡くなった娘さんとお孫さんの傍からずっと離れず泣き崩れることはあるそうなんですが、その人は私がいた分娩室の前に行って何かぶつぶつ呟いていたと」


「…………」


「で、田中さんがその人を娘さんのところに連れて行こうとしたら、その手を振り払って私の分娩室の前から動かなかったんですって」


「どんな人だったのかしら」


すっかり冷めてしまった湯呑みを両手で包みながら操は鴻を見ていた。


「もちろん名前は教えてもらえなかったんですが、何とかその人の特徴を聞きました。年齢はお義母さんよりちょっと年配で細くて小柄な方だったそうです。目力のあるきつい顔立ちの人で、それから大きな重そうなピアスをつけていたと」


「イヤリングじゃなくて?」


「飾りの大きさが気になって、田中さんが素敵なイヤリングですねって言ったんですって。そうしらその人がピアスなのって」


「なるほどね。痩せた小柄の目力とピアスホールがある、きつい顔立ちの女の人」


操は腕を組んで中を睨んだ。


「私たちの回りにいる人で、その条件に当てはまる人なんていますかね」


鴻も考え込む。


そんな二人を見ながら、珠子は自分が誕生した時のことを思い出していた。


心地良い温度の水の中、ごぼごぼと耳に感じる自分の僅かな動きに反応する流れの音、微かに聞こえる誰かの声、一定のリズムで感じる圧迫感、その中で響く言葉ではない叫びにも似たママの声、圧力は自分を外へ外へと押し出す。

優しく全身を包んでいた温かな水が流れ出て自分は頼りない裸であることを自覚した。早くここから出たい。圧が強くなった。

そして私は眩しいところへ飛び出し引っ張り出された。明るくてざわざわしていた。

おや、張り詰めた空気を感じる。目の前の人々が慌てているのがわかる。足首を持って逆さにされ足の裏を叩かれた。みんな私を見て不安そうな声をあげている。何かを待っている。

そうか、私の声が聞きたいのか。そして私は大声をあげた。

今度は歓声だ。私は体を拭かれ柔らかな布に包まれて優しく微笑む人の腕に抱かれた。この人がとても疲れているのを感じた。

明るい暖かい空間、ここにいる人はみんな喜んでいる。

でも、ここの外から暗い気配が流れて来る、私に向けて。

この感覚、鋭利なもので突かれるような気配だ。

あれ、最近この気配をどこかで感じたな。どこだったかな。


「珠子」


「姫」


呼ばれて珠子は我に返った。


「はい」


「どうしたの」


鴻が珠子の顔を見る。


「なんでもない。シュークリーム食べていい?」

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