何かが動いている
週末、珠子と孝は孝の父の柏と駅向こうのショッピングモールへ出かけた。高熱と扁桃腺の腫れがすっかり治った孝が、ゼリーを差し入れてくれたお礼がしたくて珠子を誘ったのだ。
孝と手を繋いでアパートの敷地を出たところで、珠子が急に立ち止まった。
「どうした?」
孝が珠子を見る。
「ううん。何でもない。くしゃみが出そうになったけど、止まった」
咄嗟に珠子が嘘をついた。その様子を二人の後ろから歩いていた柏が見て、すぐに振り向いた。特に怪しい人物は見当たらない。その後は何事も無く駅を通り抜けてショッピングモールに到着した。
休日なのでかなりの人出だった。
「タマコ、ゼリーのお礼がしたいんだ。何か欲しいものはない?」
孝が珠子を見る。しかし、彼女は首を横に振る。
「何にもない」
「タマコ、遠慮しなくていいよ。今日は俺がスポンサーだ」
後ろから柏が言う。
「うん。カシワ君ありがとう。でも今欲しいものが無いの。ああ、そうだ。プリンが食べたいです!」
「タマコは相変わらず食いしん坊だな」
孝が笑う。
「タカシもプリン好きでしょう」
珠子がほっぺたをぷうっと膨らます。
「わかった、わかった。じゃあ、まずプリンを食べに行こう」
柏は珠子と孝の背中を軽く押して、フルーツパーラーを探すために柱に表示されたフロアマップの前に行った。
それを見ながら
「おれ、トイレに行ってくる」
孝が柏に耳打ちした。
「ここで待ってるよ」
と言った柏に、珠子が何かを早口で伝え彼を押した。
「私、ここで待ってるからカシワ君はタカシについて行って」
珠子の言葉に柏は緊張した顔で頷き
「タマコ、絶対そこを動くなよ」
と言って、孝の後を追った。
早足で追いついた柏は孝の肩を軽く抱いて小さな声で言った。
「連れションだ」
「なんだかなぁ」
孝は苦笑いをしたが、すぐに真面目になって聞いた。
「ねえ、お父さん、タマコは大丈夫なの?」
「動くなって言っておいた」
「あいつ、前に知らない奴に連れて行かれそうになったじゃん」
「大丈夫。早く用を足して、タマコのところへ戻ろう」
二人はトイレに急いだ。
孝と柏を見送って、フロアマップの前で待っていた珠子はゆっくりと周りを見回した。
そして、
「見つけた」
珠子が呟く。
店のディスプレイに身を潜めるように立っている鼈甲風フレームの眼鏡をかけた中年男が孝に視線を合わせ、彼の動きを追っていた。珠子は、その男と目が合わないようにそっと様子を覗った。
珠子には、その男が孝の何かを探っているのが感じられた。一体何を探っているのか、彼女は自分のありったけの神経を集中させた。
その男は誰かに命令されている。
調べているのは──月美のお腹の中の孝だ。
どういうことなのか、子どもの珠子には理解できなかった。そして、彼女の体力はここまでだった。もう立っていられなくてしゃがみ込んだ。
「タマコ!」
トイレから戻った孝と柏が駆け寄るのが見えた。
「タマコ、どこかで休もう」
柏が珠子を抱き上げた。珠子は弱々しく柏に耳打ちした。
「ここから斜め左の靴屋さんの角に、茶色っぽい眼鏡のおじさんがいるのわかる?あの人がタカシのことを調べているの」
それを聞いた普段温和な柏が、険しい顔をした。
「どういうことだ……」
「お父さん、どうしたの?」
孝は倒れた珠子と怖い顔をした柏を見て、不安げな声で聞いた。
モール内の所々に置かれた長椅子に座っていた若者二人が、珠子の様子を見て柏たちに席を譲ってくれた。柏はお礼を言い、孝と腰を下ろした。
「カシワ君」
柏の腕の中で珠子が声を出した。
「タマコ、どうした?」
孝が血色を失った珠子を見る。珠子は孝に目を合わさず、柏の首に抱きつき彼の耳元に小声で言った。
「カシワ君、今すぐミサオに連絡して、月美さんの傍についているように言って」
柏は珠子を見つめて頷くと、彼女を自分の膝の上から下ろし、すぐに操に連絡を取った。
心配そうにこちらを見ている孝に珠子が手を伸ばした。その手を取った孝はよろけそうな彼女を抱き寄せて、自分と向き合う体勢で膝の上に座らせた。
「タマコ、おれにも話してくれよ。おれのことで、お父さんは悩んでいるんだろ」
孝が珠子の目をじっと見つめる。操以外で珠子の瞳を見続けられるのは彼だけだ。
珠子は孝に、ぎゅっと抱きつき
「多分、タカシとカシワ君で解決するんだと思うよ。二人で月美さんを助けてあげて」
と、告げた。
もちろん、今の話を聞いただけでは、何の話をしているのか孝にはわからなかった。一つだけ理解できたのは、自分と母の月美のことで何かが起きていると言うことだ。
珠子は孝に抱きついたまま孝にだけ聞こえるように言った。
「私が絶対、孝を守るから」