口内炎
「ミサオ、お口の中が痛い」
土曜日の朝、キッチンで食事の用意をしている操のエプロンを引っ張りながら珠子が訴えた。
「えっ、ちょっと口を見せて」
操はしゃがむと珠子と向かい合った。大きく口を開けて
「こっち側のほっぺのところ」
珠子の言うところに操が携帯電話のライトを当てながら、覗き込んだ。向かって左側、珠子の右の頬の内側に三ミリほどの白いできものが見えて、その周りは赤く爛れていた。
「最近ほっぺの内側を噛んだ?」
「うん。多分。昨日、お弁当を食べてた時、タコさんウインナーを食べててむぎゅっと噛んじゃったかも」
「あらら」
「ウインナー美味しくてもぐもぐしてて間違えちゃった」
「私も人のことを言えないけど落ち着いて食べないとね」
「これからは気をつける。で、ほっぺを噛んじゃった後は反対側で噛むようにして、その時は痛いの治ったんだけど、さっき目が覚めたらピリッて痛くて。ううっ痛っ」
珠子が切ない声をあげる。
「ウチに口内炎の薬は置いてないから、後で薬局に行ってくるわ」
「薬ってどんなの?」
「うーん、いろんなのがあると思うけど、姫には塗るのとか貼るのがいいんじゃない」
「それって美味しいの?」
「美味しいお薬は無いと思うよ」
「そうかぁ」
「とりあえず、熱いものや塩辛いものは止めておこうね」
「うん。いい匂いがするけど、朝ごはんはカレー?」
珠子が思いっきり息を吸い込む。
「冷やしカレーそうめんを用意したんだけど、今日は普通のそうめんにしておこうね」
「えーっ。カレーそうめん食べたい!」
「カレーの香辛料、絶対ほっぺに沁みるわよ。痛くて食べられないと思う」
「カレー……」
「口の中は刺激を与えなければ、結構早く良くなるわ。今は我慢して、治ったら好きなものをたくさん食べようね」
「うん」
操はカレー味のつゆを冷蔵庫にしまい、薄めのめんつゆを用意して珠子と向かい合って、するするとそうめんを啜った。
「ごちそうさま」
物足りなさそうな顔をして、珠子は朝食を終えた。
「姫、歯磨きも右側は優しくね」
「うん」
操のアドバイスに頷いて珠子は洗面所に向かった。
昼過ぎ、二人は久しぶりに駅向こうのショッピングモールで買い物をしていた。
「ミサオ、冷たいものが食べたい」
歩き疲れたのか、珠子が休憩をしたがった。
「アイスクリームとかき氷、どっちが食べたい?」
操が聞くと
「両方!」
と、食いしん坊は即答した。
休日なので甘味処はそこそこ混んでいたが、お茶の時間より早かったのであまり待たずに席に案内された。
「姫はどれにするの」
メニューを見せながら操が聞いた。
「ううんとね、やっぱり苺のやつ。上にイチゴアイスが乗っているの!」
珠子が嬉しそうな顔をする。操は孫のこの笑顔が大好きだ。生苺フラッペとマンゴーかき氷を注文して、操が珠子を見る。
「姫、冷たいのを食べ終わったら、口内炎の薬を見に行く?」
「美味しくないんだよね?お薬」
珠子が確認する。
「朝も言ったけど、美味しいお薬はないの」
操がきっぱりと言った。
「じゃあ、かき氷を食べてから考える」
テーブルに運ばれてきたフラッペは凄いボリュームで、珠子はスプーンを構えて舌なめずりした。
「姫、少しずつゆっくり食べてね」
操が、すかさず注意をした。最近のかき氷はふわふわに削られているので、頭がキーンとならないで、二人ともペロリと平らげた。
「ほっぺは大丈夫?」
「うん。冷たくて、痛いところが気持ち良かった。ミサオ、お薬はいらないよ」
珠子は舌で右頬を触りながら言った。
「わかった。あまり舌でポコッとしたところを触らないで。それじゃマーケットで食材を買って帰ろうか」
「うん」
二人は甘味処を出ると、スーパーマーケットのコーナーへ向かった。
「夜は何を食べようか」
「コロッケ!」
珠子が元気よく答える。
「姫、それは危険だわ」
「なにが危ないの?」
「衣のザクザクが、姫の右頬を攻撃するわよ」
「そっかぁ」
「雑炊とかスープやシチューは?」
「クリームシチュー食べる!」
操はシチューの材料とベーカリーの柔らかいロールパンを買って家路についた。
夜、食卓には具材を全てミキサーにかけて舌触りを良くしたクリームシチューとロールパンが並んだ。
人肌に冷ましたシチューを口に運んだ珠子を見て
「姫、沁みない?」
操が聞いた。
「うん。大丈夫。凄く美味しいよ。パンにシチューをつけると柔らかいから、もぐもぐしないで口からなくなった」
珠子は空になったシチュー皿を操に出しておかわりを要求した。が、
「姫、お腹が大分膨らんでるよ。明日の朝またね」
と、操に却下されてしまった。
翌朝、目覚めた珠子は嬉しそうにキッチンの操に抱きついた。
「ミサオ、ほっぺの痛いの治ったよ!」
「ええっ、昨日の今日で、もう治ったの?お口の中を見せて」
疑わしい顔で、操はライトを当てながら珠子の右頬を覗いた。白いポツンは無くなり左側と同じ綺麗なピンク色になっていた。
若いって凄い!と操は羨ましく思った。