葵ちゃんのこと(1)
「タマゴ、早くヒヨコを出せよ」
珠子に向かってケンカをふっかけているのは、彼女と同じばら組の大沢賢助だ。
「タマゴじゃないから、ヒヨコなんて出せないよ。賢スケベー」
珠子は強気に言い返す。
「おれはスケベじゃないぞ」
「私もタマゴじゃないもん」
「後から入ってきたくせに、おまえ生意気なんだよ」
「ばら組の園児になったのはスケベと同時だもん」
「スケベって言うな!」
賢助が珠子にぬいぐるみを投げつけた。
「賢助君、物を投げちゃダメだよ」
葵が仲裁に入ろうとする。
「うるさい、オンナ男」
賢助が怒鳴ると
「私は男の子だもん」
葵が涙声になった。
「葵ちゃんをいじめるな!スケベ」
珠子が投げつけられたぬいぐるみを賢助に投げ返す。
「はい、そこまで」
ばら組の担任、中山ヒロミがパンパンパンと手を叩いて三人のやり取りを止めさせた。
そして、まず賢助の前に膝をつくと向かい合って質問した。
「賢助君は、なんで珠子ちゃんをタマゴって言うの?」
「後から入ってきたくせに生意気だからだ。それに、おれをスケベって言いやがって」
賢助が顔を赤くして鼻息も荒く言う。
「スケベは、いけないわね。でも賢助君は前からこの幼稚園にいるんだから後からやって来たお友だちには優しくしてあげて。賢助君だって初めての場所は緊張するでしょう。珠子ちゃんも、そうだと思うの。本当は賢助君も、お話したいのよね」
中山先生の言葉に賢助が小さい声で言った。
「あいつ、オンナ男とばっかり遊んで、つまんない」
「オンナ男も言っちゃいけないわ。葵ちゃんは話し方が優しくて、ちょっと人見知りな男の子よ。珠子ちゃん、葵ちゃん、って普通に話しかけてみて欲しいな。賢助君が思いやりがあっていい子なのを先生は知ってるわ。ね、二人のお友だちになってあげて」
「努力するよ」
「うん。よろしくね」
中山先生は立ち上がり、賢助の肩に軽く触れた。
そして、珠子と葵のところに行くと、また膝をついて二人に話しかけた。
「珠子ちゃん、賢助君があなたの事を変な呼び名で言うのは、本当は気にかけて欲しいからみたいよ」
「普通に呼んでくれれば、普通に仲良しになるのに。だけど葵ちゃんに対する態度は絶対良くないと思います」
珠子は葵と手を繋いで、中山先生に訴えた。
「そうね。賢助君は、珠子ちゃんと葵ちゃんが女の子と男の子なのに仲良くしてるのが羨ましかったんだと思うわ」
「私は、賢助君とずーっと仲良くしたかった。でも自分のことを私って呼ぶ事だったり、この見た目とかが、賢助君は気持ち悪いと思ってるのがわかるんです」
葵が悲しそうな顔をする。
「それは違うわ。葵ちゃんはとても優しくて穏やかで気を使う人だから誰とでも仲良くできるのが、彼は悔しく思ったんじゃないかな」
中山先生はそう言って、賢助を呼ぶと
「はい、これからは三人仲良くできるかな」
珠子、葵、賢助の顔を見ながら聞いた。みんな、なかなか返事をしなかったが、
「うん。賢助君、変な名前で呼んだ事ごめんなさい」
珠子が謝ると
「おれも、ごめん。珠子ちゃん。葵ちゃんも
嫌がる事を言ってごめん」
賢助が二人に頭を下げた。
「賢助君、私と仲良くしてくれる?」
葵が聞いた。
「う、うん」
賢助が小さな声で返事をした。その様子を見て、葵は何かを決心したような真っ直ぐな目で彼を見た。
「賢助君、私を女の子だと思ってもらってもいいよ」
「えっ?」
「私ね、本当は女の子になりたかったの」
突然、葵がカミングアウトとも言える話を始めた。
ただ可愛い外国の血が入った男の子だと思っていた葵の告白を聞いて、中山先生は急に重い話になってきたこの場をどう纏めたらいいのか悩んだ。その顔をじっと見ていた珠子は
「先生、この後、私たち三人でお話するから、大丈夫です」
葵と賢助の手を取ると教室の隅の方に引っ張って行った。
中山ヒロミは三人のケンカを上手く仲裁するつもりだったのに、どう対処するのが的確なのかわからない永井葵の話を目の当たりにして、かなり落ち込んだ。
珠子たちは隅で声を潜めて話を始めた。
最初に、賢助が口を開いた。
「葵ちゃんは、本当に女の子になりたいと思っているの?」
「うん。小っちゃい時からお家ではフリフリのワンピースを着てお人形遊びをしてた」
葵が小さな声で言う。
「葵ちゃんのママやパパは葵ちゃんの気持ちをわかっているの?」
「うん。ママもパパも女の子が欲しかったみたいで私の事を女の子として見てくれてる。私の顔って女の子みたいだし。でも幼稚園に入る時、男の子として過ごさないと、いじめられちゃうからズボンをはいてるの」
「賢助君はこの事をどう思う?」
珠子が聞くと
「おれは、よくわかんない。でも、オンナ男とか言ってごめんなさい」
賢助は素直に葵に向かって謝った。
「私はね、男だからとか女だからとか気にしない。だけど、たくさんの人たちは葵ちゃんの気持ちや姿を理解できない、わかりたくないって思っているかも」
珠子の話に賢助はコクンと頷いた。
「だから、この事は三人だけの秘密にしよう」
と、珠子が提案した。
「わかった。おれたちだけの秘密な」
賢助は秘密を共有することで、三人の仲間意識が深まった気がして、なんだか嬉しくなった。そんな賢助を見て珠子は言った。
「賢助君、賢助君のママやパパに言っちゃダメだよ、絶対に」
「わかった。家の人に言わない」
「それから近所の人にも、言っちゃダメ」
「うん。誰にも言わないよ」
「珠子ちゃん、賢助君、ごめんなさい。そしてありがとう」
葵は頭を下げた。
「葵ちゃん、私と賢助君は葵ちゃんの仲間だよ。ね、賢助君」
珠子が賢助を見る。
「うん。仲間だ」
賢助が頷くのを見て、
「ねえ、この後ウチに来ない?私のおばあちゃんは凄く話のわかる人だから気にしないで大丈夫だし、私たちに葵ちゃんの事をもっと教えて」
珠子が二人を誘った。
「おれも行っていいのか?」
賢助が聞いた。
「うん。おいでよ」
幼稚園が終わったら珠子のところに三人で集まることになった。
その後、珠子は中山先生に耳打ちした。
「先生、葵ちゃんの話だけど、私と賢助君と葵ちゃんの秘密にすることにしました。だから、先生も誰にも言わないでください」
それを聞いて中山先生は黙って頷くと、微笑みながら珠子頭を撫でた。