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絹さんの手紙

四月最後の日、操はいつものように各入居者部屋の前の通路を奥から掃いて綺麗にしていく。

一番手前の操の部屋の前まで掃いてきたゴミを集めて袋に詰めて口を縛ると、ゴミ収集ステーションに出して朝のルーティンを終わらせた。

前屈みの作業は腰にくる。操は、うーっと上体を後ろにのけ反らせて腰の凝りをやわらげていると、二階から軽快な足音をさせて誰かが下りてくる気配を感じた。階段の方を振り向くと、背の高いスーツ姿の魚住だった。彼は208号室の住人で、いつもしかめっ面をしているが、心優しき青年だ。


「おはようございます」


「おはようございます。魚住さん、ちょっと待ってて」


と、操は急いで自分の部屋に戻って珠子を伴ってすぐに出てきた。


「魚住さん、おはようございます」


「ああ、珠子ちゃんか。おはよう。彼氏、怪我をしたんだろう。大丈夫か?」


「はい。タカシの怪我は大分良くなってきました。あの、魚住さん、これを預かりました。104号室の絹さんがお世話になりましたって、言っていたそうです。残念ながら、私も直接会えなかったんですけど」


珠子が白い封筒とラッピングされた小さな包みを渡した。


「親切にしてくれてありがとうって言ってました」


操は絹の言葉を伝えた。


「沢野さんはもうここを出たんですか?」


魚住が聞くと、珠子が頷いた。


「はい。昨日、向こうの施設に入ったんですって」


「そうか。ちょっと寂しくなるな。確かに受け取った。それじゃいってきます」


「いってらっしゃい」


珠子が手を振ると、魚住も片手を少しあげて出かけて行った。

珠子と操は部屋に戻ると、朝ごはんを食べながら、施設に入った御年89歳の沢野絹の話をした。


「私、絹さんにさよならを言えなかった」


珠子が残念そうな声を出す。


「姫が幼稚園に行っている間に出発したからね。でもね、絹さんは姫と魚住さんが大好きだったみたいよ」


「そうなの?」


「ええ。手紙とプレゼントをくれたのは姫と魚住さんだけよ」


「ミサオはもらってないの?」


「もらってない」


操が悲しそうな顔をした。


「そうなんだ。魚住さんは…絹さんのタイプだったの?」


絹さんて怖い顔がお好みなのかなぁと珠子は思った。


「タイプかどうかは知らないけどね、彼はね、絹さんにとっても親切にしていたの」


「親切?」


珠子には絹と魚住が顔を合わせているところが想像できなかった。


「姫は見る機会がなかっただろうけど、私は時々見かけたわ」


「何を?」


「魚住さんはね、絹さんが買い物をした帰りに多分会ったんでしょうね。彼女の荷物を持って手を引いて、ここに帰ってきたの。彼は背が高いから腰を屈めて絹さんの手を引いていたの。荷物も玄関の中まで運んでいるし、いつも眉間に力を入れてるような顔をしているのに絹さんを見る時は凄く優しい表情をしてたわ」


「魚住さんの優しい顔って想像つかないね」


珠子は魚住が微笑む姿を想像して吹き出した。


「姫、魚住さんに失礼よ。そろそろタカシ君に、いってらっしゃいを言う時間じゃないの」


「あっ、いけない。歯を磨いて見送ってくる。ごちそうさまでした」


珠子は洗面所に急いだ。




「珠子ちゃん、珠子ちゃんのアパートには何人の人が住んでいるの?」


ばら組の教室で積み木の家を作りながら、葵が聞いた。彼は永井葵。珠子の親友だ。


「うーんとね、ミサオでしょう、ママと時々パパと」


「時々って?」


「パパは単身赴任してるの。それからタカシとカシワ君と月美さん、茜ちゃんと藍ちゃん。ここまでが私の家族で、あと入居者さんが十二人かな。あっ、昨日一人引っ越したから十一人だ。だから足し算してみんなで二十人かな」


「たくさんの人が住んでいるんだね」


「うん。ばら組のみんなくらいの人数って感じだね。でも、住居者さんとはあまり会わないよ。よく会うのはタカシだな」


「珠子ちゃんとママはあまり会わないの?」


葵が素朴な質問をした。


「うん。ママはね忙しいからあまり会わないの。でも会える時はいっぱい甘えるよ。いつもはミサオにぎゅってしてもらうの」


珠子は鴻との関係をやんわり誤魔化した。


「孝君はぎゅってしてくれるの?」


葵は、一番気になる事を聞いた。


「タカシは今、左手を怪我してるから私が右手にぎゅっとするの」


「そうか。また珠子ちゃんのお家に遊びに行ってもいい?」


「うん。遊びに来て」


「やったぁ」


葵は、また孝君に会えるかなあと思いながら喜びの声をあげた。




「姫、絹さんの手紙に何が書いてあったの?」


幼稚園から帰ってきて、珠子がおやつを食べている時、操が聞いてきた。


「うん。昨日封筒を開けたんだけど、お手紙の字が読めなかったの。なんかね水が流れているような感じなの」


「私が見てもいい?」


「うん。ミサオ、読んで」


珠子が寝室から白い封筒を持ってきた。昔ながらの長4サイズの封筒に「神波珠子様」と達筆な筆文字で書かれていた。

中の便箋を開くと、やはり達筆で流れるような文字が記されていた。


珠子ちゃん

仲良くしてくれてありがとう

あなたの可愛い笑顔が大好きです

操さん お世話になりました

いつまでもお元気で    沢野絹


「って書いてあるわ。それにしても達筆ね」


操は便箋を読んで、自分にもメッセージが書かれていたのが嬉しかった。


「プレゼントは金平糖で、凄く綺麗なつぶつぶなの」


珠子が封筒と一緒に持ってきたビニールのパックを操に見せた。


「まあ、カラフルね。でもやわらかい色」


「ミサオ、食べよう」


珠子がビニールを開く。操が蓋付きのガラスの器を持ってきて


「姫、ここに入れて」


器に淡く様々な色の粒が流れ落ちた。珠子はピンク、操は紫の金平糖を口に入れた。


「桃の味がする!」


「私のはブドウ味だわ」


顔を見合わせて二人は微笑んだ。


──絹さん、ありがとうございました。どうぞ、お元気で──


珠子は金平糖を口の中で転がしながら、心の中でお辞儀をした。

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