孝の退院とおにぎり
昼前、珠子は落ちつきなく、そわそわしながら、柏の部屋の前に立っていた。
やがて、柏の車がアパートの敷地に入ってきて珠子の立っているすぐ近くで停まった。
サイドシート側のドアが開いて月美が車から降りると、
「珠子ちゃん、ただいま」
と、言いながら後部座席のドアを開けた。
三角巾で左手を吊った孝がゆっくり降り立った。
「タマコ、ただいま」
「おかえりなさい」
珠子は孝の右腕にしがみつく。
気配を感じたのか、操も外に出てきた。
「タカシ君、おかえりなさい」
「おばあちゃん、ただいま。心配をかけてごめんなさい。タマコもごめん」
孝は操に頭を下げ、その後、軽く頭突きをするようにおでこを珠子の頭に当てた。
「タカシ、手、痛い?」
「そんなに痛くないよ。手首は動かすと痛いけど、ギブスのところは痒いんだ。痛いのも辛いけど痒い方が眠れないって事がわかったよ」
孝は苦笑いした。
「姫、タカシ君を解放して、早く部屋で休んでもらわないと」
孝にしがみついたままの珠子を操が窘めた。
「おばあちゃん、大丈夫だよ。タマコ、おいで」
ピッタリくっ付いた状態で二人は柏が鍵を開けた玄関扉から部屋に入っていった。
「ったく、親よりカノジョの方が大事なんだな」
と入院中に必要だった荷物を車から下ろして両手に抱えながら柏がぼやく。月美と操が顔を見合わせてクスッと笑った。
「ノッシー久しぶり!」
右腕に珠子がくっ付いたまま孝がリクガメに挨拶をした後、一緒にどさっとソファーに座った。
「タマコ、心配かけてごめんな」
孝はもう一度謝った。
「ここに帰ってきてくれたからいいの。左手はちゃんと治るんでしょ?」
珠子は一番気になっていたことを聞いた。
「うん。骨はこのままくっ付くまで固定していれば大丈夫だって。だけど肘の関節や靱帯を痛めた手首はリハビリの先生についてもらって動かさないといけないんだって」
孝が主治医から言われたことを話した。
「それじゃ病院にまた行くの?」
「うん。リハビリの先生の言う通りに動かさ
ないと、関節を痛めちゃうんだってさ。だからしばらくは先生に直接見てもらわないとな」
「私が一緒に行ってもいい?」
「残念だけどそれはダメだ。リハビリの部屋は、患者しか入れないんだ」
「そうかぁ」
珠子は頭の中で描いていた、リハビリ中によろけたら助け船を出すシーンが実行できないことに落胆した。
久しぶりに二人がソファーに並んで話し込んでいるところに操が割り込んできた。
「話は尽きないでしょうけど、姫、タカシ君はまだ病み上がりだから、そろそろ戻りましょう」
「おばあちゃん、おれは大丈夫だよ」
「でも、もうお昼を過ぎてるからタカシ君はごはんを食べてちょうだい。そして体を休めて。しばらくは安静にしないとね。左手の具合が良くなったら姫とたくさん遊んであげて」
操が珠子の右手を取ると軽く引っ張った。すると、珍しく珠子が
「もう少しタカシと一緒にいたい」
と孝の右手に左手でしがみついて反抗する。
その様子を見ていた月美が
「あの、みんなでお昼食べません?おにぎりと味噌汁しか用意できないんですけど」
と、声をかけた。
「月美さんだって疲れているでしょう。あなたこそ休まないと」
操は珍しく引かなかった。もちろん、孝と月美のことを考えてのことだった。
「お義母さん、気を使ってくれてありがとうございます。それじゃ、こうしましょう。ご飯は炊き上がってるから、みんなでおにぎりを作りましょう。さっ、手を洗ってきて。孝はそこで待ってて」
月美は、柏と操と珠子を洗面所へ行かせると、炊き上がったご飯をバットに広げて粗熱を取った。
瓶詰めの鮭フレーク、昆布の佃煮、醤油をまぶした鰹節、スライスしてさっと炙ったスパム、そして短冊に切った焼きのりを食卓に用意した。
手洗いをして戻ってきた三人が、塩水の入ったボウルで手を湿らせ思い思いに自分の食べたい具を中に入れて、おにぎりを握った。
もちろん珠子も踏み台に乗って、小さな手で大人たちの手際を見ながらご飯を握ってみた。彼女が握るのは、小さな手のひらに丁度良い量を月美が乗せてくれた前もって具材を和えたご飯だ。
握ったおにぎりに焼きのりをぐるりと巻いて各々の皿に置いた。それらの皿を残して、それ以外を片づけると月美は味噌汁の椀と漬け物の入った器を食卓に乗せていく。
その間にみんなはまた洗面所で手を洗い、孝も柏に右手を洗ってもらった。そして食卓に戻ると、自分の作ったおにぎりの前に座った。
「それじゃ、いただきます」
月美が言うと、みんな自分の力作おにぎりを頬張った。
孝の前には月美の握ったおにぎりが置かれていたが、珠子の皿の不格好で小さなおにぎりを右手で掴むと、
「これ、食べてもいい?」
と言いながら、珠子の返事を待たずに口へ運んだ。
「美味しい!タマコ美味しいよ」
孝に褒められた珠子は
「タカシ、ご飯粒」
がっついて食べている彼の口元に付いたご飯粒を取って自分の口に運んだ。




