操、眉間に皺を寄せる
孝が交通事故に遭い、救急搬送されて入院してから三日が経った。その間、何度かレントゲンやCTスキャンなど検査を受けたり、警察官から事故の時の様子の聞き取りなどがあり、なんとなく落ち着かない時間を過ごしていた。
そんな中、孝の心が和むのは面会時間になると祖母の操と毎日訪れて、顔を見せてくれる珠子の姿だ。
「タカシ、来たよ!」
起きあがって窓の外を眺めていた孝は、耳馴染みのある声に部屋の扉の方へ顔を向けた。
「タマコ、顔が見たかった」
そう言いながら、孝はコントローラーでベッドを低くすると点滴に繋がった右腕を少し持ち上げて手招きした。ベッドの右側に差し込まれた柵のようなサイドレールを月美に外してもらい、マットレスの上に珠子を座らせた。
「タカシ、左手痛い?」
珠子に聞かれて
「全然平気」
と言ったが、それを聞いていた月美が操に笑いながら耳打ちした。
「さっきまで、痛い痛い、痛み止め飲ませてってごねていたんですよ」
最低四時間空けないと薬は飲めないと諭したら、半べそをかいていたのに、珠子には格好をつけたいのだ。
仲良く他愛ない話をして笑い合っている二人を見ながら、月美が操にもう一度耳打ちをした。
「お義母さん、話を聞いてもらってもいいですか」
彼女は場所を変えて話したいと言うので、病棟の待合スペースに移動した。
テーブル席に向かい合って座ると月美が小さな声で話を始めた。
「警察の方たちが何回か話を聞きに来たんですけど、その時、私も孝以外の事故に遭われたお子さんたちの様子を聞いたんです」
「ええ」
「孝も含めて四人の子どもが被害に遭ったんですが、孝は出かける時に珠子ちゃんが引き止めてくれたおかげで左手の怪我で済んだんですけど」
「それだって、骨折と靭帯損傷の重傷だわ」
操は鼻息荒く言った。
「そうなんですが、あの子以外のお子さんたちはもっと酷い状態で、中でも頭から出血していた女の子は今も意識不明だそうなんです。それに、ふくらはぎの辺りが腫れていた男の子は折れた骨が皮膚を突き破った状態だったそうです。服のあっちこっちが擦り切れて血を流していた男の子は地面に後頭部を打ち付けてしまったそうで脳内出血を起こして手術したと聞きました」
「酷い。酷すぎるわね。それで、事故を起こした人は何であの時間にあそこを通ったのかしら」
「飲酒運転、だそうです」
「飲酒運転!」
「ええ、全く酌量の余地がない、と言うか本当に許せなくて…。あの歩道は幅員が広くガードレールも設置されていますが、ガードレールが途切れたところに入り込むように突っ込んで来たんだそうです。しかも道幅の広さが災いして軽自動車が歩道を通れてしまったんです」
「危険運転、いや殺人未遂じゃないの!」
眉間に皺を寄せ、操が声を荒げる。
「お義母さん、落ち着いてください。病棟内なので」
月美が人さし指を縦にして唇に当てた。
はっと我に返った操は、慌てて周りを見回して
「大声をあげちゃってごめんなさい。頭に血が上っちゃって」
小さな声で謝った。
「いえ、お義母さんが声をあげたくなるのもごもっともです。私も警察の方からこの事を聞いた時、怒りで震えましたから。しかも更に腹立たしいのが、事故を起こした当人、伊丹円と言う24歳の女はほぼ無傷で事故当時、アルコールのせいで何が起きたのか理解できていなかったんだそうです」
月美も話をしながら興奮してしまい、無意識にテーブルをガタガタ揺らしていた。
「それで、相手の家族なり保険会社なりが謝罪に来たの?」
操は眉間に寄った縦皺を人さし指と中指で広げながら聞いた。
「事故に遭った日の夕方、丁度お義母さんたちが帰ったのと入れ違いで加害者の父親と保険屋が来て挨拶程度の面会で。昨日も夕方二人で来たんですけど…」
今度は月美が眉間に力を入れた。
「柏君と私で相手と話をしたんですが、なんかイラついちゃって」
「相手の態度がよくないの?」
「保険会社の担当者の対応は、まあこんなものかなって思ったんですけど、加害者の父親のもの言いに腹が立って」
「何て言ってるの?」
「やたら運が悪く、運が悪くって言うんです。いつもは飲酒しないのに、あの時に限って運悪く飲んでしまってって、飲酒運転に運悪くも何も無いじゃないですか」
「何なの!そのオヤジ」
操と月美、二人して眉間に皺を寄せた。
「今日も来るの?」
「ええ、今日も十八時ごろ会う事になっています」
「私も立ち合っていいかしら」
「はい、お願いします。柏君も来るので」
眉間に寄った皺を人さし指と中指で広げながら、操と月美は病室に戻った。
珠子と孝は相変わらず二人だけにわかる話題できゃっきゃと笑っていて、操も月美も、ようやく表情が柔らかくなった。
「タカシ、調子はどうだ。シュークリーム買ってきたぞ」
夕方、孝の食事が終わってすぐ、柏がカスタードシューの箱を持って病室に来た。
「ありがとう。お父さん、今日はタマコがずっといてくれたんだ。だから調子いいよ」
「そうか。タマコありがとうな」
柏は珠子の頭を撫でながら、操に顔を向けた。
「母さん、伊丹の父親たちとの話し合いに立ち合ってくれるのか」
「もちろん。私がガツンと言ってやるわよ。可愛い孫をこんな目に遭わせて、ああ腹が立つ」
「落ち着いてくれよ、母さん。感情をぶつけるだけじゃ話し合いが進まない」
「はい、ごめんなさい」
操は眉間を指で広げながら素直に謝った。
しばらくすると、加害者の父と保険会社の担当者が来たので病室に孝と珠子を残して、病棟の待合スペースへ移動した。操は相変わらず眉間に力が入ったまま席に着いた。