珠子とコーデックス
「カシワ君、ノッシーと何やってるの」
珠子は庭の芝生に座っていた柏に声をかけた。
「ノッシーに散歩させてる」
「わあ、ノッシー大きくなったね」
珠子はのしのし歩いているリクガメの甲羅をそっと撫でた。
「タマコ、触れるようになったんだ。この子が来たばっかりの頃あまり近付かなかったじゃん」
「タカシ君と一緒に見てたら、なんか可愛いなって」
タカシは柏と柊が仲良くしている山口孝、10歳の男の子だ。時々ここに来てノッシーと遊んでいる。珠子とも顔を合わせることがある。
「そうか。可愛いよな、こいつ。甲羅の大きさも初めは五センチ程だったのが、今は七センチ位あるんだ。元気でよく歩くよ」
「犬みたいに散歩するの?」
「うん、ライトで紫外線を当ててはいるけど、やっぱり日光浴も大事だな。芝生を歩くのもストレス発散になるし」
「そうなんだ」
「だけど、絶対目を離してはいけないんだ」
「なんで?」
「こいつ穴掘り名人なんだよ。油断するとあっという間に地面を掘って潜っちゃうんだ。そうなると姿を見失ってしまう」
「じゃあノッシーは見守られてお散歩ね」
「そう」
こうやって二人が話をしている間にノッシーは、ここからかなり先の方まで進んでいた。
「やばっ、もうあんな所まで行きやがった」
柏は慌てて後を追いかけた。
珠子が部屋に戻ると、操が一口サイズのフィナンシェとマドレーヌを小さな紙の手提げ袋に入れていた。
「姫、204号室の相沢さんがね、変わった鉢植えを見せてくれたの。なんかねジャガイモみたいなんだけど鑑賞用の植物なんだって」
「野菜を育てているんじゃないの?」
「食べられないみたいよ。いろんな葉っぱがあって、見せてくれるって。姫、見に行かない」
「ジャガイモ見たい」
二人は、階段を上って相沢雅の部屋を訪れた。
「こんにちは。ジャガイモ見せてください」
珠子が目を輝かせて言った。
「相沢さん、押しかけちゃった。おじゃまします」
「どうぞどうぞ、上がってください」
雅は部屋の奥へ二人を招いた。
「これ、私の最近お気に入りのお菓子、お裾分けです」
操が手提げ袋を手渡した。雅は笑顔で受け取った。
「ありがとうございます。いただきます」
珠子は初めて上がらせてもらった部屋をぐるりと見渡した。南側の窓から陽の光が入ってとても明るい部屋だ。
「大家さん、いつも私宛の宅配を預かってくれるでしょう。その荷物の殆どが、これなんです」
窓側にワゴンのような棚があり、そこにあまり見かけない形をした植物の小さな鉢が並んでいた。
土に近い部分がぷくっと膨らんだものや、ジャガイモみたいな塊から伸びた茎の先に丸っこい葉が出ているものなど、とにかくこの辺りのフラワーショップやホームセンターの観葉植物コーナーでは見かけないものばかりだった。
「通販で買えるのね」
操は鉢植えをのぞき込むようにしながら言った。
「コーデックス専門の販売サイトがあって毎日チェックしてます」
「コーデックス?」
「塊の根っこって書く塊根植物のことなんです。ユーフォルビアやパキポディウムとかオトンナやドルステニア等たくさんの種類があるんです。みんな根元が膨らんだり塊の状態になっているものが多いんですよ」
初めて聞く名前の植物だけど、みんな面白い形だなぁと珠子は思った。ひとつひとつじっくり見ていると気になるものを発見した。
「ミサオ、カメがいるよ!」
「ああ、これね。これは亀の甲羅の竜で亀甲竜って名前」
珠子が注目した植木鉢を雅が棚から取り上げると二人の目の前に差し出した。ハート型の葉が顔を出した茎の元に幾筋も裂けた塊が見えた。
「ほら、ノッシーの甲羅みたいだよ」
珠子が興奮気味に言って
「ちょっと触ってもいいですか」
「どうぞ」
雅の了解をもらったので、人差し指でそっと触った。
「ノッシーよりごつごつしてる」
「面白いね。なんか奥深さを感じるわ」
操は感心した。
「新しい植物が届いたら、また見せてください」
珠子が目を輝かせて言った。
自分たちの部屋に戻った二人は塊根植物は面白いねと話しをしていた。
自分たちも育ててみたかったが
「手入れが少し難しいって相沢さん言っていたね。種類によって暑い方が元気なのと、寒い方がよく育つのとか、水やりのタイミングに気をつかうって話を聞くと、私たちは相沢さんに時々見せてもらうのがいいわね」
という結論になった。
そんな話をしながら操は今日届いた郵便物に目を通していた。
「あれ、住所が書かれていない封筒があるわ」
それには『神波珠子様』とだけ記されている。と言うか、印刷物の文字を切り貼りされたものだった。
開封すると、『いなくなれ』と封筒と同様、印刷物が切り貼りされたA4サイズの紙と一枚のプリントされた写真が入っていた。
写真は何を写したものか分からなかった。その被写体は乾物のような奇妙なものだった。
──何なのこれ──
さっきまで面白い植物を見て、のほほんとしていた操の顔が強張った。怒りと不安が胸に渦を巻く。
何か感じ取れないか、今見たものを両手でしっかり持ってみたが全く感じない。『気』や『想い』のようなものは見事に消し去られていた。
「ミサオ、大丈夫?なんか暗いよ」
珠子に悟られないようにしなければ……操は自分の感情を消した。