名前の意味
柏から月美に、美雪が無事に出産した旨の連絡があったのは土曜日の明け方だった。
「まあ、女の子なの。母子共に大丈夫なのね。良かったわ。柊さんと美雪さんにおめでとうございますって伝えて。柏君、気をつけて帰ってきてね」
通話を切った月美は、ふわーっと欠伸をすると大きく伸びをした。
「家族が増えるっていいわね」
子どもの頃から孤独だった月美は柏と出会って、神波の家族になり家庭の暖かさを知った。そして、やはりひとりぼっちだった息子の孝は、少しの間にいとこが三人もできたのだ。
月美は米をといで炊飯器にセットした。どこかから視線を感じて周りを見ると食卓の角から珠子が顔を出した。
「月美さん、おはようございます」
「おはよう、珠子ちゃん。まだ早い時間よ。もう少し寝ていてもいいのよ」
「うん。トイレです」
「あっ、そうか。いってらっしゃい」
珠子がトイレから戻ると、食卓の倚子にちょこんと座り月美の作業を見ていた。
蕪を薄切りして浅漬けを作りながら、余った野菜を細かく刻んで乾煎りすると醤油とみりんと七味と鰹節を入れてごま油で炒めていた。
「月美さん、何を作っているの?」
珠子が聞くと、
「くず野菜を細かく切って、きんぴらみたいに炒めるとふりかけになるの。ご飯に乗せて食べると美味しいのよ」
月美は手を動かしたまま答えた。
珠子はその手際の良さを見ながら、彼女は凄いなと思った。
その時、孝が慌てて自分の部屋から出てきた。
「タマコがいないんだ」
そう言いながら彼はキッチンの母親に焦った顔を見せた。
昨夜遅くに、操と柏が美雪のいる産院に出かけたので、月美に預けられた珠子は孝のベッドで寝かせてもらった。孝はその横に布団を敷いて寝ていたのだが、目が覚めたらベッドに珠子の姿が見えなかったので、慌てて起きてきたのだ。
月美はクスッと笑いながら孝の後ろを指さした。
「あそこの倚子に座ってるわよ」
孝が振り向くと、食卓の倚子に足をぶらぶらさせながら珠子が座っていた。
「タカシ、おはよう」
彼女は可愛らしい笑顔を彼に向けて言った。座高が低い珠子は倚子の背もたれに隠されて、孝の視界には入らなかったのだ。
ふうっと安心のため息をつきながら
「タマコ、黙っていなくなったらダメじゃないか」
彼が口を尖らすと、
「だって、おしっこしたかったんだもん」
珠子の言い分に、そうか、と納得した。
それを見ていた月美が微笑む。
「孝は珠子ちゃんが気になって仕方ないのね。あっ、そうそう。美雪さん、赤ちゃんが生まれたわよ」
「わっ、男の子?女の子?」
「名前はもう決まったの?」
興奮気味に二人は月美に質問した。
「明け方、柏君から連絡があってね、生まれたのは女の子で、名前は千春ちゃん。だそうよ」
「千春ちゃん、可愛い名前だね」
珠子が噛みしめるように言った。
午前八時を回った頃、操と柏が帰ってきた。
「お帰りなさい」
珠子と孝が玄関に出迎える。
「ただいま。姫、お利口にしてた?」
操が言うと、月美も玄関に顔を出した。
「お疲れさまでした。お義母さんあがってください。珠子ちゃん、いつも通りいい子にしてましたよ。柏君、お腹空いたでしょう。簡単なものだけど朝ごはんを食べましょう」
五人で朝食の食卓を囲んだ。焼き鮭のおにぎりと蕪の浅漬けと油揚げとネギの味噌汁と厚焼き玉子が並んでいる。
みんなで食べていると、珠子が柏に聞いた。
「まだ寒いけど、千春ちゃんはなんで春ってつけたの?」
「タマコ、一昨日に豆まきしただろ」
柏が鬼のお面を着けて、大豆の代わりに殻付き落花生を珠子と孝からぶつけられた時の話をした。
「うん。カシワ君が逃げ回って面白かった」
珠子が思い出し笑いをする。
「あれは、節分って言って暦の上で季節の変わる時の行事なんだ。で、節分の次の日から季節が冬から春になるんだよ。だからヒイラギの子どもは、いくつもの春を幸せに迎えて欲しいと願って、千春って名前なんだって」
柏は柊から聞いた話を伝えた。
「素敵な名前ね」
月美が納得する。そんな彼女に珠子が聞いた。
「月美さん、タカシの名前の意味はなあに?」
「おれも知りたい。今まで自分の名前を気にしたことなかったけど、ちょっと気になった」
みんなが月美の顔を見ている。
「孝はね、思いやりがあって人との良い出会いがありますようにって思ってつけたの。私は物心ついた時からずっと家族に恵まれなかったから、この子が家族愛や親子愛が感じられるようになれば良いな思ってたの。で、今は柏君と出会えて孝も私も家族に恵まれたんです」
月美はとても嬉しそうに言った。
「そうなんだ。うん。確かに家族に囲まれて、おれは幸せだな」
孝は自分の名前がとても好きになった。
操も月美の話に、うんうんと頷いて微笑んだ。
「ミサオ、私はなんで珠子ってつけたの?」
今度は操に珠子が聞く。
「姫の名前は、源とコウちゃんが考えたから、今度ママに聞いてごらん」
「そうかぁ」
少し残念そうな顔をした珠子に、孝が言った。
「タマコは生まれた時にさ、真珠みたいに柔らかい虹色に光っていたんだよ。きっと」
操が驚いた顔で孝を見ると
「タカシ君、あなたの言う通りかも。なんでそう思ったの?」
思わず聞いた。
「うーん。なんとなくそう思っただけ。珠子の珠は真珠の珠だろ。おまえを見てると、たまにふわっと光って見えるんだよ」
無心におにぎりを食べている珠子を孝が見つめた。