七草粥と鰻
「姫、お年玉いくらもらったの?」
七草粥を食べながら操が聞いた。
少し青臭くエグ味のある粥を、ちびりちびり口に運んでいた珠子は持っていたスプーンを置いて、指折り数えた。
「うーんとね、一万九千円」
「えー!そんなにもらったの」
「うん。ママとパパでしょう、カシワ君とアカネちゃんとアイちゃん、ヒイラギ君とミユキちゃんのパパ、そしてミサオからいただきました」
珠子がにっこり笑った。
ただ、目の前のお粥がなかなか減らず、どう言い訳をして残そうか考えていた。
その様子を見ていた操が、しょうがないな、と言いながらバターをレンチンで溶かして、お粥の茶碗に流し入れた。
「姫、これで食べられるかな」
珠子が一口食べる。バターはある程度、クセのある風味を包み込む。
「食べれる。食べれるよ」
お粥を無事食べ終えた珠子は卵焼きをぱくぱく食べて
「ごちそうさま」
器をシンクに持って行った。
電気ポットでお湯を沸かしてお茶を淹れると
「ミサオ、お茶をどうぞ」
湯呑みを自分と操の前に置いた。
「ありがとう。ねえ姫、ミユキちゃんのお父さんから…」
操が声を潜めて聞いた。
「いくらもらったの?」
「五千円いただきました」
珠子が答えた。
「そんなにいただいたの。それじゃ、お返しって訳じゃないけど近いうちに『松亀』にこっそり行って、ランチを食べようね」
帰りに菓子折をお渡しようと操は思った。
「うなぎ!食べたい」
嬉しそうな表情を浮かべた珠子に
「七草粥がまだ鍋にあるんだけど食べる?」
と言ってみると、彼女は急に険しい顔をした。
一月中旬の平日、操と珠子は電車を乗り継いで、鰻の老舗『松亀』の最寄り駅に着いた。
この辺りはオフィス街と昔からある邸宅群が鬩ぎ合っているような立地で、ずらりとビルが立っている通りを一本入ると大きな公園を挟んで閑静な高級住宅が並んでいる。その一角に重厚な店舗を構えているのが『松亀』だ。
時刻は午前十一時過ぎ、暖簾を潜って和風な入り口を抜けると、お店を開けて間もないせいか店内はまだ空席が目立った。
「いらっしゃいませ。ご案内します」
操と珠子が、和服姿の女性従業員の後についていく。
二人は向かい合って席に着くとメニューを開いた。
「姫、私が選んじゃっていい?」
操が聞くと
「うん。ミサオに任せる」
子ども用の座面が高い倚子に座らせてもらった珠子は、ご機嫌な表情を操に向けた。
いろいろ目移りしながら、ランチセット二つと白焼きを一つ頼んだ。
「そう言えば、タカシ君って習字上手いわね」
操は二日に珠子がもらってきた書き初めを見て驚いたのだった。
「カシワ君も褒めてたよ。タカシはクウカン何とかがあるんだって」
「空間認識力ね。文字の納まりが素晴らしいし、力強い作品よね。帰りに厚紙を買って、あの半紙を綺麗に裏貼りして壁に飾ろうね」
「うん。私、タカシから書道を習おうかな」
「それは良いわね。私も教えてもらおうかな」
そう話をしていると
「お待たせいたしました。ランチセットと白焼きでございます。お子様用の茶碗とスプーンをお使いください。ごゆっくりどうぞ」
テーブルに待望の鰻料理が並べられた。珠子は茶碗に鰻重を小分けしてもらいスプーンでぱくぱく口に運んだ。
「ランチセットの鰻もふわふわで美味しいわね」
操は美雪の兄たちの妥協をしない職人技に感心した。珠子は小さな体で、セット一人前を全て食べて満足そうな表情を浮かべている。白焼きも三口ほど食べて
「美味しかった。ごちそうさまでした」
と手を合わせた。
店内を見回すとランチを食べにきた人たちで席が埋まってきたので
「姫、そろそろ出ようか」
操は珠子を倚子から下ろし会計カウンターへ向かった。
支払いを済ませると、店を出て道をぐるりと回り、立派な数寄屋門でインターホンを鳴らした。
「はーい」
美雪の母、美子の明るい声がした。
「こんにちは。神波でございます」
操が挨拶をすると、モコモコのニットにデニムパンツ姿の美子が出てきた。
「操さん、珠子ちゃんも、入って入って」
珠子の手を取ると母屋へ引っ張って行った。
応接間に通されてソファーに腰かけると、美子がお茶を運んできた。
「操さん、ようこそ。おいでくださって嬉しいわ」
「美子さん、松も明けちゃったので今更なんですけど、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。それから、この子がお年玉を頂戴しましてありがとうございました。これ、皆さんで召し上がってください」
持参した『菓匠・籐花』の和菓子の包みを二つ、美子に渡した。
「こちらは美子さんに、こっちはスタッフの皆さんで召し上がってください」
「まあ、ありがとうございます。いただきます。でも、今度いらっしゃる時は手ぶらで来てくださいね」
美子が人懐こい笑顔を見せた。
「そうだ、お昼まだでしょう。よかったらウチの鰻食べません?」
「美子さん、実は今さっきお店でランチをいただいたの。この子、ランチセットを美味しい美味しいって、ぺろりと完食したんですよ」
操が珠子を見ながら言うと、彼女は幸せそうな顔をした。
「はい。すっごく美味しかったです」
「この歳でこちらの鰻の味を知ってしまうと、もう他の鰻は食べられないと思います。すっかり舌が肥えてしまって」
操が少し困った顔をすると
「いいじゃない。ウチの親方が珠子ちゃんに生涯無料券を渡すんだって言っていたから、いつでも食べに来て。それから、お店にいらしてくれるんなら、これからは先に私に教えてね。操さんは私たちの親戚なんだから、お金を使わないで」
美子が姉御肌な雰囲気を醸し出した。肝っ玉母さんと息子たちに言われている操も、美子の豪快さには敵わないなと思った。
「ミユキちゃんの体調はいかがですか。お正月にカシワと子供たちが彼女のところにお邪魔して、ご迷惑だったんじゃないかと」
三が日が過ぎて、柊のところに柏と孝と珠子が遊びに行ったのだった。
「いえいえ、その時、ウチの人もそこに行ってたから、珠子ちゃんと孝君を見て、男の子でも女の子でもいいから早く孫に会いたいって言ってね」
特に、珠子ちゃんにメロメロだからウチの人、と言って美子は笑った。
「ミユキちゃんのところでね、ミユキちゃんのパパ、私の手をずっと繋いでいたの」
珠子がその時のことを思い出してクスッと笑った。美雪の父親の守之が珠子の手を離さなかったのを見て、孝が彼女の反対の手を握り続けたのだった。
「美雪も調子良いみたいで、食事が美味しくて体重のコントロールが大変って言ってたわ」
美子がころころと笑った。
そんな彼女を見て、操のことが大好きだが、この人も素敵だと珠子は思った。