神波家のお正月
遮光カーテンを開けると、太陽はまだ見えないが外は明るく、元旦の天気は良さそうだ。
操はキッチンで雑煮用の汁の鍋を冷蔵庫にしまい、部屋中のカーテンをザーっと全て開けた。
「ミサオ、あけましておめでとう」
寝室から欠伸をしながら珠子が出てきた。
「姫、おめでとう。今年もよろしくね」
操は珠子と向かい合ってお辞儀をした。珠子もちょこんと頭を下げる。
「姫、身支度を整えたら元太のところに行こうか。あっちでお雑煮を食べようね」
「うん。顔を洗ってくる」
二人は階段を上がり源の部屋のインターホンを鳴らした。
「鍵開いてるから入って」
源の眠そうな声と元太のぎゃーと不機嫌そうに泣き喚いているのが聞こえる。
部屋に入ると、奥で鴻が元太を抱いて軽く揺らしながらゆっくり歩き回っていた。
「あけおめって気分じゃないわね」
操が源と鴻に言うと、
「今が辛抱の時なんだろうな。母さん、珠子、今年もよろしくな」
源が珠子を抱き上げて頬にチュッとキスをした。珠子は恥ずかしそうに、よろしく、と父に言った。
「源、私にチューは」
操が頬を源に向けると、
「しねーよ」
と、息子はいやだいやだと首を振った。
珠子は鴻の傍に行き見上げながら、
「ママ、今年もよろしくね。元太もね」
元太の手を握った。今まで手足を動かして泣いていた元太が珠子を見て静かになる。
「ママ、昨日みたいに私がここで元太を見てるよ。少し休んで」
「ありがとう。甘えちゃうね」
鴻が元太を揺り籠に寝かせた。珠子が揺り籠を覗きながら元太に自分の人さし指を握らせた。昨日と同じく、さっきまでぐずっていた暴れん坊はすっかり大人しくなって、小さくあーあーと機嫌の良さそうな声をあげた。
鴻がカーテンを開けると、眩しい今年最初の日射しが部屋を照らす。
操と源はキッチンで昨夜作っておいた醤油ベースの雑煮の汁を温め焼いた餅を入れ、お椀によそった。仕上げに削いだ柚子の皮を乗せ食卓に運んだ。
「月美さんがごちそうを用意してるみたいだから、昼頃になったら一緒に行かない?」
「元太がいるから遠慮しておく」
操の誘いに源は首を縦に振らない。
「姫もタカシ君もいるから、元太も気が紛れるかもよ。試しに行って様子を見てみたら」
「うーん」
少し気分転換したかった源は考え込む。
「月美さんの料理の腕前もアンタといい勝負で、美味しいわよ」
操が誘いの圧をかける。
源は鴻にお伺いを立てた。
「鴻、月美さんの手料理をご馳走になろうか」
「源ちゃんが良ければイイよ」
鴻はそう言って揺り籠から元太を抱き上げて、珠子に言った。
「一緒にお雑煮を食べましょう」
元太を鴻の肩から斜め掛けにした抱っこ紐に寝かせて、四人が食卓に着くと
「おめでとうございます。いただきます」
操が作った雑煮を食べた。
「母さんの、久しぶりに食べた。結構いけるよ」
源に言われて、操は嬉しそうな顔をした。
食べ終わって、鴻が授乳とおむつ交換をし、源が食器を片づけていると、操の携帯電話に柏から着信があった。
「カシワ、あけおめ」
──おめでとう。母さん、こっちに来られる?
「うん、伺う。今、源のところにいるの。源とコウちゃんも行くって。元太を連れて行くけどいいわよね」
──うん、構わないよ。茜と藍にも声かけてくれる?
「わかった。じゃあ、もう少ししたら伺うわね」
昼近くになって、操たちが柏の部屋を訪れた。
「月美さん、タカシ君、あけましておめでとう。今年もよろしくね」
操、珠子、元太を抱いた鴻、揺り籠を担いだ源が部屋にあがってきた。
「あけおめー。コウちゃん、元太、よく来てくれたね」
柏が鴻をソファーに座らせながら言った。
ノッシーのケージの前で孝は珠子と向かい合った。
「タマコ、あけましておめでとう」
「タカシ、今年もよろしくお願いします。ねえ、元太のところに行こう」
珠子が孝の手を引いて鴻の座っているソファーの前に立った。
「ママ、元太を揺り籠に寝かせていいよ。私とタカシで見てるから」
「わかったわ。そうさせてもらう。孝君、今年も珠子をよろしくお願いします」
鴻は珠子のボーイフレンドに挨拶をすると、源に揺り籠を置いてもらい元太を寝かせて、月美の手伝いをしにキッチンに向かった。
自分の部屋から揺り籠を持ってきてソファーの傍に置いた源は、さっきからずっと珠子と手を繋いでいる孝を見て
「孝君、俺からも言わせてくれ。これからも珠子をよろしく頼むな」
大きな手で彼の肩を軽く叩いた。
「はい。お父さん」
孝は真面目な顔で返事をした。
源は、もしこれが青年になった孝に同じことを言われたら「君にお父さんと言われる覚えはない」とか言っちゃうんだろうなと、苦笑いをした。
キッチンでは、柏と鴻がおせちが盛られた器をテーブルにどんどん並べていった。それ以外にも中華やイタリアン風の料理が用意されていた。
それらを置きながら
「ウチの月美も源兄さんに負けないぐらい料理が得意だから、たくさん食べていって」
と、柏が言うと
「知ってる知ってる。彼女の料理が美味しいこと」
鴻が笑顔で頷いて、
「前に美味しいオムライスの簡単な作り方を教えてもらったの。月美さんから」
ここだけの話、源ちゃんより絶対料理上手よ月美さんの方が、と柏に小声で言った。それを聞いた柏が満足気に頷いていると、
「茜と藍は少し遅れて来るって。カシワ、取り皿とグラス出して頂戴」
操が彼の傍に来て食器棚の前に引っ張っていった。
カットフルーツの入ったボウルを手に月美がテーブルの前に姿を現した。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。みなさん、たくさん召し上がってくださいね」
「月美さん、頑張ったわね。この錦玉子、手作りなの?」
操が聞くと
「ええ、手作りだと甘さをかなり控えられるから。かまぼこ以外は殆ど手作りです。あっさり味にしてるので食べやすいと思います」
若い人向けの味付けだから是非食べてくださいと、月美が言った。
やがて、
「おめでとうございまーす」
茜と藍もやって来て、神波家が全員揃った。
「みんな、グラスを持った?」
操がぐるりと見回す。
「それでは、あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします。乾杯!」
「乾杯」
「カンパーイ」
料理の品数が多くてテーブルがいっぱいになっていたので、バイキングのように銘々食べたい料理を皿に取って、壁に沿って置かれた倚子に座って味わった。
「月美さん、頑張ったわね。昆布巻きも栗きんとんも筑前煮も甘すぎなくて美味しい」
藍が感嘆の声をあげた。
「角煮やシュリンプサラダも美味しいわ」
鴻も幸せそうな顔をした。
テーブルに所狭しと並んでいた料理はどんどんみんなのお腹に納まっていき、フルーツの盛り合わせとチーズだけになった。
ソファーに座っている珠子と孝の前の小さなテーブルには二人の好物が並べられ、元太の様子をチラチラ見ながら、フルーツポンチやチーズ味のから揚げをぱくぱく食べていた。
子ども同士で気が合うのか、元太はすぐ傍にいる珠子と孝の気配にリラックスしているようで、ずっと大人しくしている。そんな元太を見つめた珠子が
「ママ」
と、鴻を呼んだ。
「どうしたの?」
「あのね、元太を少しの間でいいから抱っこしていいかな」
娘の頼みに、鴻は少し考えてから、わかった、と言った。
ソファーに座ったままの珠子の腕を構えさせ、そこに元太を寝かせるように抱かせた。
「うわ、温かい」
珠子の腕の中で元太は静かに珠子を見つめている。隣りに座っている孝が人差し指で元太のほっぺたをそっと触った。
その様子を見ていた茜が
「ねえ、なんかあの二人、自分たちの子どもをあやしてるみたい」
源を肘で突きながら言った。
複雑な気持ちで源は、赤ちゃんを抱いた珠子と彼女に寄り添う孝を見つめている。
「ママ」
すぐ傍で待機していた鴻に珠子が声をかけた。
「ママ、元太を返すね。今、話をしたから、これからはこの子とってもいい子だよ」
と言って、鴻に元太を渡した。
「これから元太が泣くときは、他の赤ちゃんと同じ理由だから。ママもパパも少し楽になると思うよ」
珠子から鴻の腕の中に戻った元太は、彼女の言う通りとても大人しかった。
「元太、いい子ね」
鴻は抱っこしている我が子に優しく囁いた。
その様子を見た珠子は、少しだけ寂しそうな目を向けた。