8
隣の足が止まっても、あたしの足は動き続ける。
聞こえなくなった"弟"の足音。
それをあたしは望んでいたはずなのに、どうしてだか胸が痛くなった。
◇ ◇ ◇
どこで間違ったのだろう?
家があるほうに向かって歩いていたはずなのに、一向に家が見えてこない。
さっきの道を右に行くべきだったのだろうか?それともその前の道?
落ち着こうとあたしは一度立ち止まった。
気づけば太陽は沈みかけ。……静かで薄暗い森は、とても不気味だ。
そんなことを考えていると、ひやりと寒気がした。
そして、身体がカタカタと震えだす。
……気温は低いわけでもないのに……どうして?
腕を擦っても、自分の身体を抱きしめても、震えは止まらない。
さすがのあたしもそれには焦る。
あたしは怖くなって、止まれ、止まれ、と自分に言い聞かせた。
――怖くなって?
「あ、そっかぁ……怖いから震えてるんだぁ……」
自分でも驚くほど間抜けな声だった。
そうか、そうか。今の状況が怖くて震えてるんだ。
納得したところで、震えが止まるわけがない。
それどころか、ますます震えが酷くなってきて、思わずその場に座り込む。
『姉ちゃん』
記憶の中にいる涼が、突然あたしの頭の中に現れた。
『いってらっしゃい』
――――あたしに向けた最期の言葉と一緒に。
◇ ◇ ◇
蛇口を回すと水が出るように、その言葉をきっかけにあたしの目から涙が流れ始めた。
どうして、こんなにも涙が流れるのだろう?
家族を失ったあの日、ほんの少ししか流れなかった涙が。
どうして、今頃?
「……らうる」
出てきたのは、"弟"の名前だった。……もちろん、返事をする人はいない。
わかっているのに、どうしようもなく胸がきゅうっと締め付けられた。
いなくなっちゃった。
情けないほどか細い声が、自分の口から出てくる。
……いなくなったわけじゃない。あたしが、そうなるように仕向けたのに。――あたしが、自分の意思で"弟"から逃げたのに。
どうしてだか、いなくなったのだとあたしは思った。
あの日涼がいなくなったのと同じように。
"弟"もいなくなってしまったと思った。
「……これで、いいのよ」
自分の言葉で、声で、納得させようとする。
それでも、胸の痛みは治まらない。
消えないと思っていた繋がりは、一瞬で壊された。
だから、信じることのできない繋がりを、あたしは壊した。
それだけのことだと、割り切ってしまえばいいのに。
『いってらっしゃい』
『そんなに俺のこと嫌いか、姉さん』
それは全く違う言葉。全く違う声。全く違う表情。全く違う状況。
前者は無意識に、後者は故意に「おとうと」から離れていくあたし。
……また失ってしまう?
嫌だ!と叫びそうになった自分に、あたしは恐怖を覚える。
……ずっと恐れていた思いがあたしの中で芽生えていたことに気づいてしまった。
この思いは――大切な人が離れていってしまった時の寂しさだ。
◇ ◇ ◇
いつまでも傍にいると思っていた人がいなくなった、あの虚無感をあたしは今でも覚えている。
リヒトに、この世界に出会わなければ、あたしは気が狂っていたかもしれない。
だからこそ、あの家族が、あたしにとっては脅威だったのだ。
……本当は、"弟"を嫌いだと思ったことはない。
もちろん"お母さん"も"お父さん"も。
どちらかと言えば、"好き"と分類される人たちだと思っている。
例え、彼らがあたしを家族として迎えてくれたのが"シュヴェルツェ様"の頼みだからだとしてもあたしはそう思っている。
それでも、彼らを好きになってはいけないと、心の中でセーブしていた。
だって、家族との繋がりですら呆気なく断たれてしまったのに。
偽物の家族との繋がりが長く続くなんて、あるはずがない。
それでも、好きになってしまったら?ここに居たいと望んでしまったら?
また、あの日の虚無感を味わうことになるに決まってる。
そうなったら、今度こそあたしは狂ってしまうかもしれないじゃない。
だから、あの家族と仲良くなんてしたくなかった。繋がりを持ちたくなかった。
……だからこその"突き放す"という決断だったのに。
遅かった、全てが、遅かったのだ。
もう、あたしにとって、あの"偽物の家族"は大切な人たちになってしまっていた。
もう、遅いのだ。
柚月と呼ぶ人も、ユヅキと呼ぶ人も、姉ちゃんと呼ぶ人も、姉さんと呼ぶ人も。
誰も、迎えには来てくれない。
絶望を感じているあたしの肩を……誰かが叩いた。




