満月の元へ、祈りを捧げて
「なぁ、俺の腰紐知らへん?」
「知らないよ、その辺にあるんじゃないの?」
「とーちゃん、これだよね?」
「お、それそれ!」
亥の刻(21~23時)の母屋は、新月を迎える為の準備で騒がしかった。
普段着の黒甚平から浅黄色の袴を黒の腰紐で気合いと共に締める橙矢。その横で紫色の袴に着替え終えた颯が肩まで伸びた白銀の髪を朱色の髪紐で低い位置で結。そうすると、はーちゃん、もっとうえ!と椛に直された。
そんな三人を眺めている雅は初めて見る光景に、いつもこうなのか?と唖然としていた。
「みーちゃん、おわったよ」
「あ、あー」
椛の合図で雅が橙矢と颯の前に立ち、神の依り代とされる神鏡を木箱から取り出したのを二人が確認し合掌すると、
『祓給え 清め給え 神ながら守り給え 幸え給え』
声を合わせ略拝詞を唱えると、神鏡から光の玉が二人の前まで漂ってきた。
それをそっと掬うように取りそのまま光の玉を一気に呑み込んだ二人を雅は確認すると、
「神々の御加護がありますよう」
と一礼し、神鏡を再び木箱の中にしまった。
「にしても、とーちゃんは、いつになったら"おおはらへのことば"をいえるようになるの?」
「......ゔぅ」
「もんちゃん、いえるよ?」
「もんちゃん、橙矢はねワザと言ってないだけ、ね、橙矢?」
「え、あ、うん、そうなんよ!!」
「ふーん」
あまり納得のいっていない椛に橙矢が、ホンマなんやで!と言う前に、鬼の子と呼び止められた。
橙矢の事を"鬼の子"と呼ぶ者はただ一人。
「何やねん、クソ狐が」
「雅だ、いつになったら覚えるんだ?」
「えぇねん、お前はクソ狐で十分や!!」
この仲の悪さには理由がある。
雅たち狐は、鬼を嫌う。
これはどんなに年月が経っても変わる事だが、例外もある。
橙矢と颯だ。
半神同士だからなのか、それともまた他に理由があるのか......
そんな二人を他所に颯は椛に先程の大祓詞について話し始めた。
「いい、もんちゃん、橙矢は全ての祝詞を暗記してるんだ。だけど、唱える事は出来ないんだよ」
「どうして?りゃくはいしは、となえられるのに?」
「色々あるんだよ、きっと......」
椛が、しらないはーちゃんなんて、めずらしー!と言って未だに言い合っている二人の所に行ってしまった。
その後ろ姿を見ながら、
「橙矢の事なんて、何も知らないよ」
その言葉は誰かに届く事も無く、ただ颯を虚しくさせるだけであった。