桜の元で、何を語る
清司はいつもの様に白袴に着替え、年中満開の桜並木に沿って本殿に続く石階段を登っていた。
不思議な事にここは神の気分で天候が変わる。
先程の主屋を出た時は土砂降りの雨だったにも関わらず、この神社で一番大きな鳥居を潜った途端、雨が止み晴天になった。
「(今日は大層機嫌が良いみたいだな)」
声に出す事は無いが、日が差し込んでいる箇所を見て清司は心中で呟いた。
日差しは、一見すると真っ白な袴に桜の文様を浮かび上がらせ、清司がこの嘉雅里神社で一番位の高い特級という身分だとひと目で分からせてくれる。
そして、橙矢や颯とは違い元は人間の清司は、約百年前の出来事で忌み嫌うようになった同族とは絶縁し、神に身を捧げる者となった。
「なんじゃ、今日はやけに疲れとるの?お主も年じゃな!」
「毎朝毎朝、あの小童共のしょうもない言い争いを聞いていたら、誰だってこんな顔になりますよ」
神社の中心部にそびえ立つ桜の木の上から、それはもう可笑しくて仕方が無い!と言った笑い声に向かって悪態をつく清司に、更に大笑いをする人物こそこの嘉雅里神社の主祭神である、桜樹之巫女だ。
「相変わらず、倅は子鬼と仲良くしとるみたいじゃな」
「えぇ、お陰様で」
呆れたと言いたげな表情の清司は、本殿前で立ち止まった。
「良い、入れ」
「失礼致します」
桜樹之巫女の許可を得てやっと本殿に入る事が出来た清司は先程までの表情を一切消し、真剣な顔でお務めを始めた。
二度と人間がこの領地を荒らさないようにと、桜樹之巫女と共に結界を何重にも張るのが毎朝のお務めなのだ。
「そうじゃ、夢を見た...聞くか?」
「えぇ、勿論」
桜樹之巫女とは巫女と名乗ってはいるが、元は狐であり動物神である。
動物神は基本夢を見ないが、桜樹之巫女改め天狐は時々予知夢を見る事がある。
先程の二人の会話を見ると、桜樹之巫女はとても気さくに話すと捉えてしまうが、実際は桜樹之巫女の予知夢は、この嘉雅里の領地に住む神にもそして、敵対している人間達にも大きな影響を与えるのだ。
「......鬼が復活し、再び紅葉狩りが始まる」
「鬼って......」
「清司、気を付けるんじゃ、鬼は完全に封印された訳じゃない。なんなら今現れてもおかしくないんじゃ」
「では、あの子が?」
「そこまではわからん。今は楓の葉により深い眠りに就いておる。だがもう、三百年も経つのじゃぞ?我が言いたい事、お主なら分かるであろう?」
「......」
三百年前に人間が神を見捨てる発端となった、紅葉狩り。
あの出来事が再び起きると思うと、千年以上生きている天狐ですら恐怖に身を震わせた。
「巫女、宜しいでしょうか?」
「雅、何用か?」
「はい、至急、お戻り下さい」
主祭神と特級宮司の二人の沈黙に割って入って来たのは、桜樹 雅だ。
彼は、日に当たる白銀の髪が美しく輝いてはいるが、琥珀色の瞳からは切羽詰まった様子が伺える。
「取り敢えず、用心して損は無いという事じゃ」
「分かりました」
そう言うと桜樹之巫女は桜の花弁に一息吹くと、雅と共にその場から姿を消した。
「再び、か......」
再び大切な者達を失う訳にはいかない。
三百年前の出来事は人間達には遠い昔の出来事かも知れないが、神々にはつい最近の出来事なのだ。
未だに傷を癒せてない者だっている中、再びあの様な出来事が起きれば存在する神が減ってしまい、この国の規律が乱れてしまう。
そうならない為にも巫女が言っていた鬼を封印している楓の葉を枯らしてはいけないが......
「どうしたものか」
清司は境内を出て石階段を降り一番大きな鳥居に一礼した直後、背後で何者かの気配を感じ後ろを振り向いた。
そこには、黒い外套を纏い深く被ったフード姿の男なのか女のか分からない者が、片膝を付いて頭を下げていた。
「......何用で?」
「至急、此方に御戻りを」
「......」
神は白の外套を纏い、人間は黒の外套を纏うのがこの国での決まりだ。
よって清司の応答を頭を下げて黙って待っているこの者は紛れもなく、人間だ。
「どうして直接ここへ?」
「御許しを」
「誰も謝罪など求めてなどいない」
「......」
清司が発する言葉はこの者にとって地面に付いている膝が震える程、鈍く重苦しく毒気に満ちた声質だった。
「良いですか、指示した者にこう申しなさい。二度と嘉雅里の領地に、穢れた血で創り上げた者達の侵入を禁止する、とね?」
と感情が読み取れない声で言った後、お行きなさいと手で払い除けると、反論も抵抗もせず清司の前から姿を消した。
いくら人間達との共存を拒んでも、こうして月一で現れる人間達。
「はぁ、新月には戻ってこれるのやら......」
足を止めあれこれと考え出した清司を、雨雲から覗く太陽の暖かな光が照らしていた。