09 少年の過去と少女の想い
「レイアストは殺らせない……だと?」
「そうだ……僕が彼女を守る!」
「モンドくん……」
自分を守る……はっきりとそう宣言したモンドの横顔が輝いて見えて、絶望の淵にいたレイアストの心臓が、今までにない勢いでバクバクと高鳴る強さを取り戻す!
彼の言葉が何度も頭の中に響き渡り、こんな時だというのにレイアストは嬉しさと興奮で、沸騰しそうな感情を抑えるのに精一杯だった!
「……ふん、先程の俺を見る目は、なにやら魔族に恨みでもありそうな様子だったがな」
「……ああ、僕は魔族が嫌いだ」
(やっぱり嫌いなのっ!?)
モンドの言葉に、一瞬で天国から地獄に蹴りおとされた気がして、レイアストは激しく動揺する!
しかし、何故に彼は魔族を恨むのだろうか……せめてその訳を知りたいと思った。
そんな彼女の願いが通じたのか、モンドは自身の過去を語りだす。
「……僕の故郷は、この大陸からはるか東、海を隔てた島国である『龍州』という所だ」
「りゅうしゅう……」
口の中で小さく呟き、レイアストはモンドの故郷の名を記憶する。
彼にとっては辛い記憶の告白かもしれないのだが、モンドの素性が少し知れたのはちょっと嬉しい。
しかし、続く少年の話を聞いている内に、そんな考えは鳴りを潜めていった。
「僕の一族は、龍州の王室に使える術師の家系だ。だけど……龍州王室は、魔族と手を組んでクーデターを起こした裏切り者の手によって……壊滅した!僕の家族も全員……」
モンドはギリギリと歯を食いしばり、血が出そうなほどに拳を握りしめる!
ハッキリと言葉には出せなかったが……おそらく、彼の家族は全滅の憂き目にあったのだろう。
そして、それほどの惨劇があったという事は、モンド自身も死ぬような目にあったのかもしれない。
「当時、たまたま我が家に龍州式の魔術を学びに来ていた、マストルアージ先生が助け出してくれなかったら、僕もその場で死んでいたと思う……」
「モンドくん……」
主君と家族を亡きものにされた事……彼が、その大きな一因となった魔族を恨む理由が、よくわかった。
自分よりも背も低い、まだ年端もいかぬ少年が受けた悲しみはどれ程のものだろう。
そんなモンドの心情を思うと、レイアストは自分の胸も張り裂けそうな辛さを覚え、できる事なら今すぐにでも彼を抱きしめてあげたかった。
「はっ!魔族領域にも数々の国はあるが、人間なんぞと組む輩がいるとはな」
呆れたと言わんばかりに、アガルイアは肩を竦めて見せる。
「挙げ句の果てに、情けなく生き残った弱者から逆恨みなんぞを向けられるとは迷惑な話だ」
「勘違いするなよ……僕は魔族が嫌いなだけで、逆恨みなんて真似はしない!」
「んん?その割には、俺達を見る目に随分と敵意が感じられるが?」
「それは、お前達がレイアストさんを侮辱したからだ!」
そこまで言うと、モンドは大きく深呼吸して、息を整えた。
「先生はよく言っていたよ……『魔族に対する復讐を、忘れる必要はない。だけど、恨みに目を曇らせるな』ってね。わかっているつもりだったけど、僕の中では魔族という種族に対する憎しみが育ってたみたいだ……」
そう言いながら、モンドはチラリとレイアストの方へ視線を向ける。
その瞳には変わらぬ暖かな光が宿っており、レイアストは再び胸が高鳴るのを感じていた。
「裏切り者と結託した魔族は、確かに憎いし必ず復讐する!だけど、その憎しみを魔族全体に向ければ、別な憎しみを生んで争いの輪が広まるだけだろう……その事を思い出させてくれたのが、魔王の娘であるレイアストさんだ!」
「モンドくん……」
「だから、僕はお前達から彼女を守る!これ以上、憎しみに心を汚されないように……そして、レイアストさんに悲しい想いをさせないために!」
堂々と誓うモンドの姿が、レイアストにはとても大きく、頼もしく見えた!
それは母を失った喪失感と、父に捨てられた虚無感に満ちていた彼女の心を晴らし、同時に自分がモンドに対して抱いていた気持ちを、ハッキリと自覚させる!
(わ、私……モンドくんが好きっ!好き好き好き、大好きっ!)
兄と対峙する彼の背中を見つめながら、レイアストは心の中で自覚した想いを何度も叫んだ!
思い返せば、あの初めて出会った瞬間から、たぶん恋に落ちていたのだと思う。
しびれるような胸のトキメキが彼女を震わせ、心臓の鼓動に乗って溢れ出す想いは言葉にはならずとも、とどまる所をしらない!
彼の体温、鼓動、呼吸のリズムすら愛しくて、できる事なら今すぐにでもひとつになってしまいたかった!
だが、抱きつきたくて伸ばしそうになる腕にギュッと力を込めて、レイアストは感情を抑える!
今はまだ戦いの途中……ここでうっかり自分の気持ちを告げてしまい、モンドが動揺でもして集中力を欠いたら、あっという間にアガルイアの餌食となってしまうだろう。
それに、自分の素性や経緯に関して、話さなければならない事もたくさんある。
全ては、この事態が終息してから……レイアストはそう自分に言い聞かせ、滾る恋心を胸の内にしまった。
「……くだらん」
一方、正面から真っ直ぐに視線をぶつけてくるモンド対して、アガルイアはそう吐き捨てる。
「お前ごときの思想なんぞ、知ったことか!そもそも負け犬の分際で、俺の前に立ち塞がる事自体が不敬だろうが!身の程をわきまえろ!」
再びバチバチと大気を焦がし、今度は雷の魔法を両手で生成したアガルイアは、モンドとレイアストに狙いを定めてそれを撃ち放つ!
「金剋木!金気を持って雷を制す!」
しかし、モンドが着弾寸前で奇妙な術式を展開すると、轟音と共に飛来した死の一撃は、二人に届く直前で不自然に弾けながら霧散していった!
「小僧……」
「これぞ、龍州に伝わる『五行術式』!お前の雷は、通用しない!」
「おおっ!モンドくん、すごい!」
思わずレイアストの口から飛び出した称賛の言葉に、モンドは照れたように笑い、アガルイアは不機嫌そうに顔を歪めた。
『五行術式』……それは、この旅の道中でモンドから聞いた、彼の故郷で発展したという特殊な魔術形式だ。
大陸の人間が使う魔術や、魔族が使用する魔法とは似ているようでまったく形態が違い、直接的な攻撃よりも味方の守りや強化、そして敵の弱体化といった効力に特化しているのだという。
今のアガルイアの攻撃を防いだのも、金気と呼ばれる魔力属性を発動させて、木気に属するという雷撃を打ち消したのだ!
しかし……。
「くっ……」
完全に打ち消したと思ったのだが、体に走る苦痛を受けてモンドは小さく呟く。
人間と魔族の魔力量の差なのか、それとも未熟さ故なのか……術式を発動させたにも関わらず、わずかに貫通したアガルイアの雷は、モンドの肉体にダメージを与えていた。
(さすが、『雷神』の異名は伊達じゃないって事か……このままじゃ、ジリ貧だな)
状況を把握し、自分だけではこの難敵に勝つことは難しいと冷静に判断する。
しかし、頼みの綱といえる師匠のマストルアージは、どこかにいるのか姿が見えない。
もしや、いまだに最初の爆発の衝撃で、打ち所でも悪く失神しているのだろうか……そんな考えが頭を過る。
だが、モンドがわずかな思考をしている間に、アガルイアは先の一撃を上回る雷の魔法を発動させんとしていた!
「お前みたいなガキに、俺の雷を防がれるとはな……やるじゃないか。敬意を表して、俺の最大魔法で殺してやる」
言葉とは裏腹に、虫でも駆除するかのような無機質で冷たい感情を込めて、アガルイアはこれまでとは比べ物にならない、巨大な雷の塊を生成する!
「死ね」
その呟きに、レイアストとモンドは死を覚悟した!
(……ダメっ!モンドくんを、死なせたくないっ!)
大好きな少年を想い、心の中で絶叫するレイアスト!
だが、その瞬間!
彼女は自分の脳内で、ガチャンと鍵の開くような音を聞いた気がした!
◆
「…………………ここは」
『ここは、貴女の精神世界よ、レイアスト……』
彼女の名を呼ぶ声に、レイアストはビクンと体を震わす!
懐かしくも優しい、この声は……。
「お母さん!」
叫ぶ彼女の視線の先、そこには幼少の頃に引き離されたレイアストの母フレアマールが、慈母の微笑みをたたえて大きく両手を広げていた。
十数年ぶりの再会……なにより、レイアストは母と会うために旅に出たような物なのだから、彼女の胸に去来する想いは、いかほどの物か。
溢れ出す涙も拭かず、レイアストは母の胸に飛び込んでいった!
「うえええええぇぇん!お゛があ゛ざん゛んんっ!」
年甲斐もなく、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら抱きついてくるレイアストに、フレアマールは『あらあら……』と苦笑しながら、娘の頭を撫でる。
しばらくそうしていている内に落ち着いたのか、ようやく泣き止んだレイアストは、頭を埋めていた母の胸の間から顔をあげた。
「会えたのは嬉しいけど、なんでお母さんがここに……もしかして、すでに私は死んでるとか……!?」
『縁起でもない事を、言うんじゃありません!』
かなり以前にデルティメアの城から放逐されたと聞いて、もはや生死は絶望的だと思われていたため、そんな考えに至ったレイアストに、フレアマールはツッコミのチョップを入れる。
そうしてひとつため息を吐くと、母は再び優しく娘の頭を撫でた。
『今……あなたと話している私は、正確には本物の私じゃないの』
「え……?」
『あなたの魔力を封印した時に仕込んでおいた、残像思念みたいな物……かな』
どれだけ高度な術式を組めば、そんな事が可能なのか……こうしてちゃんと受け答えしているのが残像思念だと聞いて、レイアストは目を丸くする。
そんな娘の姿を見て、母の残像はしてやったりとばかりに微笑んでみせた。
『あなたが生まれながらに持っていた魔力の大きさは、あなた自身の命さえ脅かしかねない物だった。それでも、長い時間をかけて適正な訓練を施せば、ゆっくりとコントロールできたかもしれないわ。けれど、あの男……デルティメアは、そんな悠長な真似はしないでしょう』
父の名を口にした時、フレアマールの顔が少し険しくなったのを見て、レイアストはチクリと胸が痛んだ。
ああ、やはり父と母は、種族を超えて愛しあった訳ではなかったのか……と。
レイアストの悲しげな表情に気付き、フレアマールはごめんねと小さく謝る。
『私は、魔族に捕虜にされていた時期があってね。その時、デルティメアに相手をさせられて、あなたを宿したの』
「そう……なんだ……」
だとすれば、自分の存在は母にとって忌まわしい物だったのではないだろうか……と、顔を伏せるレイアスト。
しかし、そんな娘をギュッと抱きしめて、フレアマールは微笑む。
『確かに、初めは怖かった……でもね、あなたが生まれてきてくれた時に感じたのは、大きな喜びだったわ。私にとってあなたと過ごした数年間は、最高の幸せだった……レイアストの笑顔があったから、私は生きていけたのよ』
「お母さん……」
十数年ぶりに受けた、母からの暖かい抱擁。
フレアマールから伝わる本心からのメッセージは、レイアストの中に影を落としていた小さな心のトゲを、優しく溶かしていく。
少なくとも、自分は母から愛されていたのだと確信できたレイアストの瞳から、またジワリと涙が溢れて頬を伝っていった。
『さて……と』
しばらく抱き合っていた母娘だったが、そっと体を離して真面目な表情となる。
『あなたがこうして、私の残像思念と会っているという事は、私のかけた封印が解けようとしているのね』
「そうなの!?」
『そうなのよ!』
自分では、唐突にこの空間に飛んだような感覚なので、何が起こっているのかまでは、さっぱり自覚していなかった。
しかし、封印を施した本人が言うのだから、間違いないのだろう。
『デルティメアに利用されないよう、私が施していた封印が解ける条件……それは、あなたが心から誰かを愛し、守りたいと願う事!』
「愛っ……!?」
『まぁ、将来の義理の息子がどんな子なのか、ちょっとだけ見てみたかったけどね』
「ひ、飛躍しすぎだよ!」
母の言葉に、モンドの笑顔が頭に浮かんだレイアストは、顔を真っ赤に染めて狼狽える!
そんな娘を愉快そうに眺めながら、フレアマールはソッと肩に手を置いた。
『あなたが好きになったのが、どんな人なのかは知らないけれど、全力で守り共に戦いなさい。あなたの力は、そのための物なのだから……まぁ、余裕があれば、デルティメアの奴を一発ぶん殴ってくれたら嬉しいわ』
グッと親指を立て、ついでというには物騒な事を言いながら笑顔を見せるフレアマールの姿が、徐々に希薄になっていく。
「お母さん!」
『封印解除と一緒に、私の持てる全ての戦闘知識を、あなたに与えてあげる!それを目一杯活用して頑張ってね、レイアスト……愛してるわ』
最後の言葉と笑顔を残し、母の姿は虚空へと消える。
その残像に手を伸ばしたレイアストは、急速に覚醒していくのを感じた。
◆
雷の咆哮と同時に炸裂した電撃が、モンドとレイアストの肉体を焼き付くす!
その場で消し炭となったであろう、生意気な人間の小僧と出来損ないの妹を想像して、アガルイアは口の端を歪めた。
しかし、立ち込める土煙が風に流され、そこから姿を現した二人を見て、アガルイアの顔に驚愕が浮かぶ!
「なん……だと……!?」
魔王軍において、一軍を率いる将でもある彼の渾身の攻撃を受けたにも関わらず、レイアストとモンドは多少のかすり傷のみで、ほぼ無傷の状態で立っていた!
いや、それだけではない!
かの出来損ないの妹からは、炎のように形どった魔力の波動が溢れ、彼の攻撃を防いだのがレイアストなのだと告げている!
「馬鹿な……お前ごときが、なんだその強大な魔力は!?」
雷神の異名を取るアガルイアではあったが、さすがに突然のレイアストの変化には動揺せざるを得なかった!
そして、その一瞬の隙を突いて動いたレイアストの拳が、棒立ち状態だったアガルイアの顔面に突き刺さる!
「うおっ!」
「これ以上……兄様の好きにはさせません!」
思わずよろめいた兄に向かって、覚醒したレイアストは、全力を込めて叫んだ!