05 かつての英雄
「さて、改めて自己紹介させてもらうが、俺ぁモンドに魔術の指南をしてる、マストルアージってもんだ」
「わ、私はレイアストといいます!」
先生……マストルアージから差し出された手に、よろしくですと握手しながら答えると、彼は「ほぅ……」と小さな声を漏らした。
「な、なにか?」
「いや、今触れただけだが……お嬢ちゃんの潜在的な魔力は、凄そうだな」
何気ないその一言に、レイアストの心臓がドクンと跳ねる!
(ま、まさか、私が魔族だってバレたんじゃ……)
焦るレイアストの顔をジッと眺めていたマストルアージは、さらに何かを探るように、さわさわと彼女の手を撫で回す。
「ひゃうっ!」
その感触に思わず声が漏れたレイアストの反応を見て、おっさん魔術師は満足そうな笑みを浮かべた。
「いやぁ、やっぱり若い女の子の肌触りや、反応はいいもんだな!」
「先生!セクハラですよ!」
語気に厳しい響きを込めた弟子に嗜められ、マストルアージはやれやれと呟きながらレイアストの手を離す。
「そう固い事を言うなよ、おっさんになると純粋に若い女の子との接点が減るんだからよ」
「僕は先生の事を基本的に尊敬はしていますが、時々女の人にそういう態度を取るのは良くないと思ってます」
「手厳しいな……しかし、今までそんな事を言ってきた事もねぇのに、どうしたんだ急に?」
「えっ、そ、それは……」
モンド自身としても、今まで口出ししなかった師の悪癖に、なぜ抗議してしまったのか少し戸惑っている。
ただ、マストルアージがレイアストの手を撫で、それに焦ったような反応をした彼女を見て、衝動的に口を開いてしまったとしか言いようがなかった。
(ふむ……他人に興味を示しているのは、いい事だ。しかも、それが女の子か……モンドも、男の子だな)
レイアストに執着のような物を見せる少年の姿に、マストルアージは満足そうに頷く。
そんな師の目の前で、少女と少年はにこやかに言葉を交わしていた。
「あの……なんだかありがとうね」
「いえ、先生に苦言を呈するのも弟子の役目ですし……それに、レイアストさんが困ってる時は、いつでも助けます!」
「モンドくん……」
「レイアストさん……」
見つめ合う二人は、どちらからともなくギュッと手を繋ぐ。
(えぇぇ~……なんだよ、この二人……)
つい、お前が触るのはいいんかい!とツッコミを入れたくなったマストルアージだったが、さすがにそこまで野暮な事はしない。
しかし、出会ったばかりだというのに、そんな初々しくて甘酸っぱい二人だけの世界を作れる彼らに、おっさんとしてはどうにも居たたまれない気分にさせられた。
(これが若さか……)
少しくらいは好きにさせてやろうかと、マストルアージも配慮してやることにする。
だが、さすがに十分近くもそうしている二人に対して限界がきた!
「お前ら、その辺にしとけよ!」
マストルアージの一喝に、レイアストとモンドは慌てて手を離す!
そうして、二人だけの世界に入っていた事を自覚して、真っ赤になりながら照れていた。
そんな反応を見て、マストルアージは「もう、付き合っちゃえよ、お前ら……」と、つい口に出かかったのをグッと堪える。
この二人は、まだ微妙な段階……下手に突ついて、関係性が壊れるのはよろしくないとの中年の配慮だった。
(それに、復讐以外の生き甲斐があった方が、モンドのためにもなるだろうからな……)
少年の過去を知る魔術の師は、できればレイアストがモンドの暗い宿命に光明を当ててくれる存在になるよう、期待する気持ちを抱きながら、二人に対して苦笑するのだった。
「と、ところで先生、こいつは……」
話を変えるように、モンドはマストルアージが仕留めた魔獣の方へと話題を移そうとしたので、マストルアージもその流れに乗って、獲物を背に説明を始める。
「ああ、サイレントサーベルタイガーだな」
「なっ……」
「おっ、知ってるのかお嬢ちゃん?フフフ……お嬢ちゃんみたいな若い娘さんなに驚いてもらえると、おじさんも色んなところが元気になりそうだぜ。」
レイアストの反応に気をよくしたのか、モンドにじっとりとした目で見られながらもセクハラめいた事を交えて、マストルアージはニカッと笑う。
(これが、あの……実物にお目にかかるのは、初めてだけど……)
しかし、そんなマストルアージの言葉も耳に届かないほど、横たわるその骸に目を奪われながら、レイアストはゴクリと息を飲んだ。
サイレントサーベルタイガー。
その名だけはレイアストでも聞いた事があるほど、魔族の間でも有名で狂暴な魔獣である。
成体になると体長は七メートルを越え、体重も五百キロ以上となる巨体ながら、物音ひとつ立てずに移動が可能であり、しかも用心深く状況を観察するほど知能も高い。
不意打ちを得意とし、下位の竜ですら狩る事があるこの魔獣を相手にする際には、本来なら十名以上が死角の無いように布陣して対処しなければならないという、非常に厄介な獣だ。
だというのに、マストルアージはそれを単独でそれを撃破したという。
「この危険な魔獣を仕留めるとは、さすが先生ですね」
「まぁな」
ニッと口角を上げながら、マストルアージは背後に倒れ伏している巨獣を椅子代わりに、腰を降ろす。
「ですけど、辺境の村を襲ってたのは、この個体で間違いないんですか?」
「ああ。前に村を襲ってたコイツと遭遇した時に、お前が負わせた手傷と、俺が付けたマーキングがあったからな」
「そうですか……なら、僕と一緒にいると襲って来ない可能性があるから、単独行動を取るという先生の読みは大当たりでしたね」
「カッカッカッ、いつもの博打もこのくらい読みが的中してればなぁ」
境界領域においても、上位に位置する捕食者を狩っておきながら、まるで大した事でもないような気楽さで、師と弟子は言葉を交わす。
そんな二人と自身のレベルの違いに、レイアストはただ呆然とするしかなかった。
「さて、あんまりコイツの死体を晒しておくと痛んじまうし、別の魔獣が寄ってくるかもしれんからな」
レイアストが十分に驚いてくれて満足したのか、マストルアージはさほど大きくもない道具袋のような物を懐から取り出す。
そして驚く事に、サイレントサーベルタイガーの巨体を、その中へと押し込んでしまっていくではないか!
「なあっ!? ええっ……?」
再び目を丸くするレイアストに、マストルアージはまたも得意気に笑みを浮かべた。
「ふふん、いいだろう?これは、市販のマジックバッグを俺が改良した、自作の魔道具さ」
「改良……魔道具……!?」
「おうよ!しかも、容量はかなりでかく、中に入れた物に状態保存の効果も付与した、優れものだぜ!」
得意気に自慢するおっさんの話を聞きながら、レイアストはまじまじとそれを見つめる。
城から出た事なかったために、マジックバッグの現物を見るのは初めてだったが、市勢にはそんな物があるという話なら聞いた事があった。
魔力を付与されたそれは、見た目よりも多くの物を収納する事ができ、入れた物の重さも感じなくなるという、とても便利な道具らしい。
だが、聞いた話では精々個人の荷物を多めに入れておけるくらいの容量しかなかったはずだ。
それを改良した自作の物とはいえ、魔獣の巨体を収納していながらまだ余裕がありそうな彼が持つ魔道具は、現状の物に比べて破格すぎる性能と言っても過言ではあるまい。
魔獣を倒したモンドの先生であれば、ただ者ではないと思っていた。
だが、これほどの魔術師である彼は本当に何者なのなんだろうかと、改めてレイアストは息を飲んだ。
「さぁて……これでまぁ、ここいらの村も安心だろう」
魔獣を片付けたマストルアージは、改めてレイアストへと顔を向ける。
「で、俺達はもう行くが、お嬢ちゃんはどうするんだ?」
「あ、あの、お二人はクルアスタの王都へ行くと聞きました。できれば、私も同行させてもらいたいのですが……」
「ほぅ……」
「僕からもお願いします」
再び、探るような目付きになったマストルアージは、頭を下げるモンドとレイアストをチラリ一瞥する。
そして、何事か思案しているようだったが、「ま、いいんじゃねぇか?」と、あっさりレイアストの同行を許した。
「人間領域に向かうなら、まだまだ道中は危険だしな。お嬢ちゃん一人くらいなら、負担もたいした事はないだろ」
「あ、ありがとうございます!」
「良かったですね、レイアストさん!」
「うん!モンドくんのおかげだよっ!」
キャッキャッとはしゃぐレイアストとモンドは、マストルアージの言葉にわずかな棘があった事に気づいていない。
しかし、そんな二人に逆に毒気を抜かれた気がして、マストルアージは自分の荷物をまとめてくると言い残すと、スタスタと歩いていった。
その背中を見ながら、レイアストは隣のモンドに、こっそりと耳打ちするように尋ねる。
「ねぇ、モンドくん……あの先生って、もしかして、有名な人なんじゃないの?」
「あはは、色々と桁違いの人ですから、まぁビックリしますよね」
狂暴な魔獣の討伐や、魔道具の改良など、魔術師としてかなりの腕を持つのは分かっている。
しかし、それだけの実力がある人間であるのに、魔族との戦争に参加していない様子なのが気にもなった。
「あの人は、かつて『英雄戦争』で聖剣の英雄と共にパーティを組んでた事もある、超一流の実力者です」
「え?」
『英雄戦争』……そして、聖剣の英雄の一行……という事は……。
「二十年前、魔王の一人であるデルティメアと戦った事もあるっていうんですから、すごいですよね」
「っっ!?」
師の功績を誇るようにキラキラした笑顔を浮かべるモンドに対し、レイアストは言葉を詰まらせ、今にも吐きそうなほど真っ青な顔になっていく!
よりにもよって、旅の同行者が父親との浅からぬ因縁の仇敵とは、どういう因果なのだろうか。
さらに、自分を助けてくれたモンドがその弟子だという偶然が、レイアストの胃をキリキリと締め付けてきた。
「よぉし、それじゃ行くとするか」
「は、はぁい……」
支度を終え、戻ってきたマストルアージが出発を促す。
そんな彼に引きつった笑みを返しながら、レイアストは目的地まで何事もないよう天に祈っていた。