04 魔術の師
◆◆◆
──翌朝。
二人は同じ毛布にくるまりながら、いつの間に眠っていたようで、狐のクズノハに顔を舐め回されて目を覚ました。
だが、その『いつの間にか寝ていた』という事実に、二人は内心で驚愕する!
しかも、ひとつの毛布に二人でくるまって、だ。
その現状に気づいたレイアストとモンドは、即座に離れて距離を取る!
そうして、互いに踞りながら自分の迂闊さに顔を赤くしていた。
(え、えぇぇ……こんな所で、熟睡しちゃうなんて……しかも、男の子とくっついたまま……)
(まさか、僕ともあろう者が……で結界があるとはいえ、こんなに無防備に寝ちゃうなんて……)
普段なら、決してあり得ない事態。
しかし、あの一時は想定外な安らぎを感じさせてくれた。
レイアストとモンドは、そんな気持ちにさせてくれた相手の顔を見ようと、同時に顔を向ける。
そうして視線がかち合うと、なんだか妙に気恥ずかしくなって、ヘラヘラとした笑みを交わした。
「キュウン!」
いつまでも生暖かい笑みを交わし合う、二人を叱咤するようなクズノハの鳴き声に、ようやく現実に引き戻されたレイアストとモンドは、そそくさと身支度を整える事にした。
幸い、びしょ濡れだった服もすでに乾いており、レイアストは木陰に隠れると、借りていたモンドの服を脱いで畳もうとする。
だが、そんな彼女の手がふと止まった。
(モンドくんの服……)
彼の香りが付いた服が、無性に胸を熱くさせる。
ほとんど無意識のままに、レイアストはモンドの服に顔を埋めると、そのまま思い切り深呼吸して少年の残り香を堪能した!
(はふうぅぅぅ……)
鼻を通り、胸一杯にモンドの匂いを吸い込んだレイアストは、えもいえぬ幸福感を味わう。
(はあぁぁ……って、これじゃまるで私、変態みたいじゃない!)
我に返り、ガバッと顔を上げたレイアストは、自分の行動がギリギリだった事を自覚し、羞恥と申し訳なさとちょっとした満足感で、複雑な表情のままその場に崩れ落ちる!
(ごめんね、モンドくん……助けてもらったのに、こんなダメな女で……)
なんで、こんな事をしてしまったのか……自己嫌悪しながらもなんとか立ち上がったレイアストは、情緒がぐちゃぐちゃのままに綺麗に畳んだモンドの服を返却する。
そんな彼女が浮かべていたなんとも言えない表情に、モンドの方が戸惑う始末だった。
(だ、大丈夫かな、レイアストさん……なんだか、すごい顔をしてたけど……)
心配しながら、戻ってきた服をしまおうとした時、ふわりと流れた風がそこに漂っていたレイアストの残り香を乗せて、モンドの鼻腔をくすぐる。
その瞬間、モンドの心臓はドクン!と大きく高鳴った。
(そうか……替え服は、レイアストさんが昨晩、ずっと着てたんだよな……)
その当たり前の事実が、ますますモンドの鼓動を早くする。
無意識の内にモンドは甘い香りが付いた服に顔を近づけ、昨夜の密着していた時を思い出しながら、スンと小さく鼻を鳴らした。
わずかに吸い込んだ空気と共に飛び込んできた、男からは絶対に発せられないであろう心地よい香りが、彼の胸と心を満たしていく。
(いい匂い……レイアストさんの匂い……)
トロンとした意識のまま、もう一度その香りを堪能しようとした時、呆れたようなクズノハの視線に、モンドはハッと理性を取り戻した!
(な、なにをやっていたんだ、僕はっ!こんなの、まるで変態みたいじゃないかっ!)
ほんの少し前のレイアストと同じく、己の行動に罪悪感を覚えたモンドは、ガクリと膝をつく!
(ごめんなさい、レイアストさん……僕は、ダメな男です……)
ひとしきり自分を責めたモンドは、せめてもの罪滅ぼしとばかりに立ち上がると、気合いを入れて朝食の準備にとりかかった。
◆
「……ところで、レイアストさんはどちらに向かうつもりだったんですか?」
「へ?」
朝食を終え、後片付けをしていたモンドからそんな事を聞かれ、レイアストは間の抜けた声を漏らした。
「ええっと、あれよ!クルアスタ王国の、王都まで行く予定なの」
「そういえば、昨日もそんな事を言ってましたね」
(えっ!?言ったっけ……!?)
モンドの言葉にドキリとしつつも、よくよく思い出してみれば、助けてもらった時に荷物の確認をしながら、王都云々とポロリ漏らしていた事を思い出す。
(あんな、独り言みたいな些細な一言を、覚えてるなんて……)
普通なら、油断ならない相手だと警戒するべき所なのだが、レイアストの胸に去来したのは「モンドくんは、私の事をよく見てるんだな♪」という、謎の喜びだった。
だが、そんな浮かれたような気持ちも、次の瞬間には冷水を浴びたように沈静化してしまう。
なぜなら、モンドとはここでお別れになる可能性が高いからだ。
(いや……それは当たり前のことなんだけどさ……)
元々、彼には偶然助けられただけだし、目指す場所も違うだろう。
だというのに、ここでモンドとの縁が切れてしまうかもしれないという事実が、とても寂しくて悲しい事のように思えた。
(モンドくんとは、昨日会ったばかりなのに……別々の道を行くって思うだけで、なんでこんなにざわざわするんだろう……)
自分でも訳がわからない、説明のつかない感情に翻弄され、レイアストの表情はどんよりと沈んでいく。
だが、そんな彼女の内心を知ってかしらずか、モンドは意外な提案を出してきた。
「でも、クルアスタの王都だと、僕達の目的地と一緒です。良かったら、レイアストさんも同行しませんか?」
「ええっ!?」
その嬉しい申し出に、レイアストはパアッと顔を輝かせる!
まだ、彼と一緒に過ごせるかもしれないという期待に胸が騒いだが、少しだけ気になる文言があった。
「モンドくん……いま、僕達って言ってたけど……」
「ええ、今は別行動を取っていますけど、僕の魔術の先生がこの近くで狩りをしてるんです」
「魔術の先生が……狩りを?」
「そうです。それというのも、ターゲットの魔獣がやたら用心深い奴で、明らかに優位な状況でないと姿を見せないらしいんですよ」
境界領域に巣くうような魔獣であるなら、そのくらいの知恵は持ち合わせていてもおかしくはないだろう。
しかし、敢えて単独行動を取ることで自らを囮にするとは、モンドの先生とやらはかなりの剛胆な人物に違いない。
(そんなすごい人が同行するかもしれないのかぁ……)
すごい人物の話を聞かされると、落ちこぼれと馬鹿にされていた今までのトラウマが刺激されるような気がして、レイアストは勝手に落ち込む気持ちになっていった。
◆
「キュウン」
先導するように先を進んでいたクズノハが、少し開けた場所に出るなり声をあげて足を止める。
モンドの先生なる人物の元まで、この子が案内してくれる手筈になっているそうなので、きっとこの近くにいるのだろう。
いったい、どんな人間が出てくるのかと、少し怯えながら周囲を見回していたレイアストだったが、不意に信じられない光景が視界に入ってきたために、その場で固まってしまう!
彼女の視線の先……そこには、少なくとも彼女を一飲みにできそうなくらいの、巨大な魔獣が横たわっていた!
幸い、魔獣はレイアスト達に気づいていないのか、もしくは満腹なのかグッタリとしたままで起き上がる気配は無さそうだ。
刺激してはまずい……その一点に集中し、レイアストは静かに逃走へと移るべく、モンドの手を取ろうとする!
だが、それよりも一瞬早く、モンドはその手をぶんぶんと振り上げた!
「あ、先せ……」
急に大きな声を出そうとするモンドの口を寸前で押さえ、レイアストはギュッと抱き締めながら静かにするようにと、ヒソヒソと耳打ちする!
(ど、どうしたんですか?)
(え?ど、どうしたもこうしたも……あそこに、すごくヤバい魔獣がいるでしょっ!)
レイアストの言う通り、視線の先には彼女達よりもはるかに巨大な、虎に似た一匹の魔獣が横たわっている。
大きな声を出して気づかれようものなら、あっという間に襲われてしまうだろう。
レイアストの震える身体に押し付けられているモンドは、彼の顔面に当たる胸の柔らかさや、意識が痺れそうになるいい匂いに溺れ、もっとこうしていたいという欲求に囚われそうになる。
が、なんとか理性を総動員して誘惑を振り切ると、大丈夫ですよと告げた。
「ほら、見てください。あそこにいる人が、僕の先生です!」
「え?」
モンドの指さす方へ目を向けると、確かに一人の魔術師らしき人物が魔獣の側に立っている。
その人物はまるで無防備に見えて、魔獣の事を一切気にもしていない。
まるで、もう危険などは無いかのように。
「先生!」
再び、モンドが声をかける。
「おお、モンド……か……」
すると、こちらを振り向いた中年男性が、驚愕の表情で固まった!
もしや、こちらの背後にも何か魔獣が迫っていたのでは!?
そんな思いが沸き上がり、レイアストは背後を振り返るが、そこには何もいない。
そうなると、何に驚いたというのだろうかと首を傾げていると、モンドの先生が叫んだ!
「モ、モンドぉ!お前、魚を釣ってこいとは言ったが、女の子を釣ってくるたぁ、どういう事だぁ!」
その一言に、レイアストはかの先生と初対面、さらに彼の弟子と抱き合っている状態だという現状に気がついた!
「あ、あわわわっ!」
慌ててモンドから離れると、彼の先生はあっという間に距離を詰めてくる!
「お前なぁ!知らない人に付いていくのはダメだが、知らない人を連れてくるのもダメだろうが!」
「い、いえ!レイアストさんは、川に流されていた所を、僕が偶然助けただけで……」
「川に……?」
モンドの言葉に、先生はレイアストの顔を覗き込みながら、胡散臭そうに眉を潜めた。
「ふぅん……まぁ、人助けはいいだろう。それで、お前このお嬢ちゃんの素性とかは聞いたのか?」
「いいえ、レイアストさんには何か事情がありそうでしたし。でも、クズノハも懐いていましたから、悪い人ではないと思います!」
「ほぅ……クズノハが……」
いい笑顔で元気よく答えるモンドに、先生は眉間を押さえながら複雑な表情を浮かべた。
(まぁ、あんな事があって暗い顔してる事が多かったモンドが、こんなに明るく話すのは良いことか……。それにしても、この娘……)
何か思案していた先生は、そのまま顔をレイアストに向け、声のトーンを落としながら尋ねてくる。
「おう、嬢ちゃん……モンドに代わって単刀直入に聞くが、あんた何者だ?」
「と、通りすがりの一般人です……」
「ほぅ……で、なんだって境界領域なんて危ねぇ場所で、川に流されてたんだい?」
「森で薪拾いをして、川で洗濯をしていたんですが、うっかり……」
「………………」
(う、疑われてる……無理もないけど……)
一応、こういう事態を想定して考えていた言い訳をしてはみたが、当然のようにレイアストを見る先生の目は厳しい。
無言の圧力を感じて、身の縮むような思いをしていたレイアストだったが、そんな風に小さくなる彼女を見て、先生は大きな笑い声をあげた!
「カッカッカッ!この危険地帯で薪拾いに洗濯たぁ、豪気な姉ちゃんだな!」
一瞬前の圧力は霧散し、楽しげに笑いながら先生はレイアストの肩を叩く。
どうやら誤魔化せたようだとホッと胸を撫で下ろすと、同じように安心した表情を浮かべたモンドと目が合った。
(良かったですね、レイアストさん……)
(うん……ありがとう、モンドくん……)
目と目で語り合う若い二人に、モンドの先生はどこか遠い目をしながら、若いなぁ……と、しみじみ小声で呟いていた。