04 魔の森の奥から
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「よし……これで完璧だわ」
丁寧にカモフラージュされた簡易式の拠点を前に、レイアストは小さく頷いた。
ここへ来る前に、マストルアージ達が用意してくれた、対魔獣用や対邪人用の特殊結界も展開してあり、危険なこの境界領域内にでも安全に休めるだろう。
作りとしては二、三人程度が中で休める大きめなテントといった程度の物だが、数日寝泊まりするだけなら十分といった所だ。
なにより、レイアストにとってはここでモンドと二人きりで過ごすという事に意味がある。
(ここが、私とモンド君の愛の巣になるかもしれないのね……)
人間領域での愛情表現には疎いレイアストでも、男と女が二人きりでひとつの場所で共に過ごせば、なにがあってもおかしくないという事ぐらいの認識は持っていた。
ジンガとの戦いでキスを覚えてから、少年への愛情は日に日に募っているのだが、周囲の目もあってかいまいち行動に移せずにいた。
しかし、こうしたお膳立てが出来てしまえば一気に関係を深めるチャンスであり、レイアストはむしろそれを望んでいる。
(でも、私ってばちょっと大胆になってるな……もしかして、またクズノハちゃんの影響を受けてるのかも?)
モンドの家に代々使えている狐タイプの式神であるクズノハは、レイアスト達を助ける他にも子孫を残すための補助を担う役割も持っている。
そのため、転身したりするとちょっとした興奮状態になるので、初めて転身した時はモンドに対して歯止めが効かなくなりそうで大変だった。
さすがに最近は慣れてはきたのだが、それでもクズノハの子孫繁栄な権能にわずかなりとも引っ張られている可能性はなくもないだろう。
ただ、変な所でビビりでもあるレイアストにとっては背中を後押ししてくれるような物なので、ありがたいと言えばありがたい。
(私とモンド君の気持ちは、一緒のはず。真面目なモンド君だから任務中に自分からは来ないだろうけど、それなら私からあんなことやこんなことを……!)
お互いに恋愛経験値は雑魚レベルではあるが、それでも年上な自分がリードしてあげねばと、使命感まで持ち出して気合いを入れるレイアスト。
しかしその建前とは裏腹に、心中を現す顔つきと口元は緩み、瞳孔がハート型になっている気がするほどに妄想に蕩けた表情を浮かべていた。
「レイアさーん!」
「っ!?」
その時、不意に心弾む声の主がレイアストを呼ぶ声が耳に届き、彼女は反射的にそちらへ顔を向けた!
その視線の先には、こちらへ駆けてくる少年が一人。
「モンドくーん♥」
大きく手を振りながら愛しい少年を出迎えると、彼もまたブンブンと尻尾を振る大型犬のようなにこやかな表情で、レイアストの元へやって来た。
「お帰りなさい、モンド君♥」
「はい、ただいま戻りました」
元気よく返事をしてくれるモンドの姿に、レイアストは少年を撫で回したくなる気持ちが溢れるが、まだ早いとばかりにその欲望をなんとかねじ伏せる。
そんな彼女の葛藤には気づかず、モンドは見事にカモフラージュされた夜営場所に感嘆のため息を漏らした。
「すごいですね……僕も今まで夜営とかしてきたからそれなりに慣れてるんですけど、こんなに見事に風景に溶け込む擬装を見たのは初めてです!」
「フフフ、まぁこれでも魔族領域にいた頃は、時々野外訓練の名目で危険な森に放置された事もあるからね。この手のカモフラージュは、お手の物よ!」
「そ、そうなんですか……」
一応、この人はお姫様なのに……といったモンドの気の毒そうな表情にも、褒められて得意気になっているレイアストは気づかない。
「それで、モンド君の方は?」
「ええ、僕の方もバッチリです」
そう言って、少年はにっこりと笑顔を見せた。
先程のわんこっぽい仕草に続き、そのあまりの愛くるしい笑顔に腰が抜けそうになりそうなのをグッと堪え、レイアストはモンドの報告を受ける。
拠点となるテントの設立をレイアストに任せ、モンドは敵の補給部隊が近づけば察知できるように監視用の呪符を周辺に設置していた。
これらの呪符は魔力形態が違うからか発見されにくく、さらに術師であるモンドのみが異変があった時に知ることができるという優れものである。
また、邪人や魔獣が引っ掛かりすぎる場合も想定して、『人間サイズ』『一定数の集団』などに反応するよう調整もしてあるのだという。
そんな呪符を、魔族の補給部隊が通るであろう道に数十枚ほど設置してきたと得意満面で語るモンドに、レイアストは「やっぱりすごいよ!」と彼を褒め称えた。
「レイアさんに褒めて貰いたかったから、頑張りました」
「モンド君……」
照れくさそうにはにかむ少年に、レイアストはキュンと胸を締め付けられるような感情が止めどなく溢れだし、思わず彼を抱き締める!
「レ、レイアさん……」
「私もね……モンド君に褒めてもらえると、すごく嬉しい……」
「そんな……じゃあ、たくさん褒めますよ?」
「うん!褒めて褒めて!」
和気あいあいと互いを褒め合いながら、二人は同じ想いを胸にする。
それはいつしか、聞いてほしい人へと伝える言葉になった。
「……大好きです、レイアさん」
「うん……私も、モンド君の事が大好き」
静かに抱き合い、それ以上は何も言わなくても相手の気持ちが理解できる境地に至った二人は、どちらからともなく顔を近づいていき……。
「っ!?」
突然、モンドが弾けるように身を震わせた!
「ど、どうしたの!?」
「敵です!それも、かなりの人数みたいです!」
「て、敵っ!?」
もう少しだったのに……という、喉まで出かかった言葉を呑み込み、レイアストはブルブルと拳を震わせる。
なんでこのタイミングで現れるのか、せめて一晩くらいは平和に過ごさせてくれても……など、やり場のない怒りと愚痴がグルグルと頭を廻るが……こうなっては仕方がない。
空気の読めない敵の出現に、お預けを食らった形のレイアストは、彼女らしからぬ闘志に燃える瞳で森の奥を睨み付ける。
そして、同じ気持ちを抱いていたモンドも似たような目付きで、敵が来るであろう方向を見据えていた。
「……行こう、モンド君」
「ええ、レイアさん」
偵察任務と心得てはいるが、場合によっては多少は大暴れしても構うまい。
そんな八つ当たりへの自己弁護をしながら、二人は呪符の反応があった地点へ向かい走り出した。
◆
なるべく敵から発見されぬよう、鬱蒼と繁る森の中を走るレイアストとモンドは、ほどなくして敵の反応があった場所の少し手前にたどり着く。
ここでしばらく身を潜めておけば、進軍してくる敵の一団を黙視できるだろう。
「……なんだか、ずいぶんとゆっくり進んでくるんだね」
「そうですね……かなり慎重になってるのかもしれません」
ここに来るまでの間に、少し冷静になった二人はヒソヒソと言葉を交わす。
普通の進行速度であれば最初に反応があった地点からさらに進み、次の呪符を設置した場所を過ぎた辺りで敵の姿を捉えられると考えていた。
しかし、敵はそうとう慎重に歩を進めているのか、結局はここに来るまで会敵していない。
こんなにノロノロと進んでいては、境界領域に巣くう奴等に襲われるかもしれないというのに、よほど守りに自信があるのだろうか。
そんな事を話し合いながら警戒していると、急に森の中に変化が現れた。
「これは……霧?」
唐突に周辺が薄い靄に覆われたかと思うと、その濃度はどんどん増していきとなりにいるモンドが辛うじて見えるほどの濃霧となる。
気温や天候の急激な変化があった訳でもないのに、自然とこんな状況となるはずもない。
明らかに人為的な環境操作であると判断した二人は、すこぶる悪くなった視界でも敵の姿を確認すべく、さらに気配を消して道の方へと近づいていった。
すると、道の奥からこちらへ向かってきている、いくつかの足音がレイアスト達の耳に届く。
二人は地に這うように姿勢を低くし、その集団を黙視しようと眼をこらした。
(それにしても……妙に静かな連中だなぁ)
霧のせいもあってハッキリと敵の数がわかる訳ではないが、少なくとも十数人以上の影が歩いて来るのは確認できる。
しかし、そいつらはまったく口をきかず、異様なほどに沈黙を保ったままだ。
さらに、危険地帯を行進しているというのに、緊張感のような物も伝わってくる気配が無い。
これは、よほどの訓練を積んでいる精鋭かもしれないと、むしろレイアスト達の方が緊張してしまいそうだった。
そんな彼女達が潜んでいるポイントに、敵の人影はさらに迫って来る。
(……え?)
(……なっ!?)
濃霧の向こうから、ゆるゆると現れた一団。
その異常な姿に、レイアストとモンドは思わず溢れそうになった声を、必死で堪えた。




